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継 続 の 話 話

 我々凡人にとって私がもっとも重視し、大切に思うことは継続である。たいしたこともできない我々がなせる技といえば、小さなことでも継続することである。できそうでできないのが継続である。継続することによって大きな成果になる。だから継続できればもう凡人ではなくなる
 こんな私であるので、、ホームページの「伝えたい話・残したい話」(以下「話・話」と書く)でも、継続されている話は何度でも取り上げている。継続の話になるとすぐに感心してしまうのである。改めて「話・話」の中から様々な継続の話を拾い出し、その素晴らしさを認識したい。引用文はおおむねそのままに、私のコメントは大幅に修正して紹介します。


(第45話) 村積山登山3000回                 2004,8,31
 三河富士と呼ばれる愛知県岡崎市の村積山(標高262m)に11年前から登り続け、7月末、その数が3000回に達した市川敏雄さん(75歳)が、8月20日付け朝日新聞に紹介されていた。退職後、健康のためにと村積山を登り始め、そのうち「誰もやっていないことをやってやろう」と回数を意識し始めたという。午前4時40分に家を出て、7時半に帰宅する。真冬の突き刺す寒さの中を歩くのが一番好きで、夜明け前の闇の中で、自分を鍛える充実感に浸るという。
 現役時代は教職で活躍され、退職された後もこのように話題になるということは素晴らしい。しかしながら、少し疑問に思うところがある。「真冬の突き刺す寒さの中を歩くのが一番好きで、夜明け前の闇の中で、自分を鍛える充実感に浸る」といわれるが、寒さ、暗さはかなりの危険を伴うのである。私の知識からすると、運動は夕方の方がいいのである。夕方の運動は熟睡にも役立つ。そうして次の目標の4000回を達成して欲しいと思う。


(第156話) 家計簿45冊                   2004,12,29
 “「もうやめようか」と思いながら45冊の家計簿が並んでいる書棚を見ると、我ながらよく続けたものだと感心する。「結婚以来つけている」というと「エーッ」とびっくりされる。新婚のころは婦人雑誌を活用することが多かったが、今は統計ノートを使っている。赤線が適当な間隔で引いてあるので、私なりの項目をつくり日記も兼ねて記帳していて、とても重宝だ。”(12月24日付け朝日新聞・要約)
 この文は鈴鹿市の主婦・鈴木さん(69)の投稿文である。家計簿も日記と同様継続の難しい代表である。誰もが一度は挑戦しながら挫折するのである。
 要るものは要るからといって、家計簿をつけない人もあろうが、その効用は大きいのである。家計の実態を把握すれば改善も図りやすいだろうし、いざというときの対応もしやすい。いつ、いくらで購入したのか、次の購入の参考にもなる。日記代わりにもなる。
 私の妻も結婚して以来日記を兼ねて続けている。ただ違うのは、家計簿が一貫して「ときわ総合サービス(株)(以前は貯蓄広報中央委員会」編集発行のものであることと、継続年数が違うことだ。私たちはもっと若いのである。


(第154話) 学級通信7000号                 2004,12,27
 “一宮市北方小学校の三輪教諭(59)が、子どもや親に当てて作り続けた学級通信が、今月7000号に達した。三輪さんは「子どもたちの喜ぶ顔が楽しみで作り続けてきたが、来年3月の退職を前にいい記念になった」と38年の教師生活に充実感を抱いている。”(12月17日付け中日新聞)
 学級通信はすべて手書きで、内容は子どもたちの日記から数人をピックアップし、三輪さんのコメント付きで紹介したり、子どもたちの様子を大きなイラスト入りで伝えたりである。最初は週2、3回の発行、90年からは毎日にしたという。
 学級通信もその効用は大きいと思う。生徒、父兄、先生の交流に大いに役立つ。この交流が欠けているところに問題が発生しやすい。しかしながら今の先生に過度の負担もなく、この学級通信が作れるだろうか。私の娘婿が小学校の教師をしているが、疲れ切っている。もう少し事務的負担を減らし、生徒との交流時間が持てるようにしなければ、皆不幸な結果になる気がする。
 それにしても全くすごい人がいるものだ。それも身近に・・・・調べてみたら高校の先輩であった。


(第262話) 10句マラソン                   2005,4,20
 “    理髪店出て春風とすれ違う
       芽起こしの雨に喫茶の灯がうるむ
 3月下旬のある日のページには、こんな句が連ねられていた。京都市山科区の樋口知津さん(83)は、12年間、毎日、俳句を10句ずつ詠み続けている。「10句マラソン」と呼んでいる。ノートは29冊、作品の数は4万7千句を超えた。「うまく作れず、思い悩むこともあります。でもこれのおかげで物事をマイナスにとらえることがなくなったんですよ」
 実は、10句マラソンを始めるまでは、ひとりぼっちで、さまざまな壁に突き当たってきた。10句マラソンを始めたのは、樋口さんが俳句好きであることを知った甥が、熱心に勧めたのだ。「アイデアをノートへいくつも書き留めていく『アイデアマラソン』のように、俳句をいくつも書き留めてみては、と言われたんです。それで、毎日10句を作ることを決めました」
 樋口さんは、10句マラソンをすることで「人生の喜びが3倍になる」と話す。例えば旅行なら、実際に出かけた時、帰宅して俳句を作る時、年月を経てその俳句を読み返した時・・・・と、旅の楽しさが3回分味わえるというわけだ。
 苦しくつらかった経験も、10句マラソンを通じて、いい思い出と受け止められるようになったのかもしれない。”(4月12日付け読売新聞)
 1日10句か・・・不可能な数字ではないな・・・短期間なら・・・。70歳を過ぎて、それも12年間とは驚きだ。人生マイナス思考であったものが、この10句マラソンによって「人生の喜びが3倍になる」といわれるまでになる。素晴らしい効果である。人間、挑戦してみるものである。
 旅の楽しみが3回から、私の口癖を紹介します。「旅の楽しみは行く前3割、行って5割、帰って2割」。


(第332話) 1年1回                      2005,6,29
 “愛知県岡崎市で今年、難しいとされるササユリの人口栽培が成功し、切り花2千本が出荷された。
 ササユリは、乱獲や野山の環境変化で激減した。「もう一度咲かせてやりたい」。地元の農業鈴木さん(75)は20年前、たった一人で人口栽培の挑戦を始めた。「花は年に1回しか咲かんから、人口栽培に挑むチャンスも20回だけ。球根が腐った理由を突き止めても、それを生かせるのは1年後。農業ってそういうもんなんだわ」
 12年前からは同市農業バイオセンターが、土壌改良など技術面で鈴木さんをバックアップ。農家の仲間も加わって試行を続け、今年ようやく切り花の出荷にこぎつけた。”(6月21日付け中日新聞)
 1年1回のチャンスを20年続けてやっと成功。待つことに気が遠くなってしまう。こうした地道な努力を続けている人があって世の中保たれている。毎日続ける継続も尊いが、こうしたあまり機会がないことの継続も尊い。場合によっては後者の方が難しいかもしれない。
 ボクもササユリを一輪一輪と里山で出会ったことがある。あの時のうれしさ、あの可憐な装い、あの甘い香り、ボクの好きな花だ。

(第515話) ラジオ体操5000回                2006,1,15
 読売新聞の投稿欄は、「挑む」というテーマで募集があり、1月5日に第1回の掲載があった。「1年の計は元旦にあり」、年明けにふさわしいテーマである。その中から紹介します。
 “定年退職をして早いもので15年目となり、今年75歳の誕生日を迎える。この間、生活信条の第1に「健康」を挙げ、毎朝、ラジオ体操をしてきた。
 4年ほどたって、幸運にもラジオ体操幹部指導者研修会に参加する機会があった。そこで基礎的なことを勉強し、いっそうラジオ体操に熱を上げた。
 古希を過ぎて体力の衰えを感じるが、今年でラジオ体操を本格的に始めて15年がたち、実施回数は実に5000回の大台に乗ることになる。ラジオ体操は毎日行う方が効果的という。そのためにも日々の摂生に努め、健康な生活の中で挑戦し、1日も早く5000回の達成を果たしたいと思う。”
 浜松市の内田さん(74)の投稿文。定年後からでも続ければ、5000という数字が達成できる。継続というのは凄いものである。
 さて、この文を読んでボクもラジオ体操に挑戦しようと決意しました。
 「平成18年4月1日から朝6時半のラジオ体操放送に合わせて、ラジオ体操を行うことをここに宣言します」。
 さあ、大変なことになった・・・・でも条件は整っているのです。我が家では、ほぼ毎日、この時間にラジオ体操の放送が流れているのです。妻が時折やっているのです。私はこの時間パソコンに向かっていますが、そのパソコンの時間を10分間中断すればいいだけのことです。こんな程度のことができなくて、何ができるというのか・・・・大見得を切りましたね、後悔しないように頼みます。


(第656話) 水質調査11000日                2006,9,23
 “川の水質調査を長年続ける豊田市立西広瀬小学校(児童数37人)が、連続調査
11000日を達成し、9日、同小で記念式典を開いた。山と川に囲まれた小さな小学校で30年間1日も休まず続けてきた記録は、地域を巻き込んで続いている。
 水質調査は、5、6年生の児童12人が担当。学校近くを流れる飯野川、矢作川と両川の合流地点の3ヵ所で、毎朝、水をくむ。学校にある高さ150cmのガラスの透視度計に水を入れて少しずつ抜き、底が見えた高さがその日の透視度となる。
 調査を始めた76年当時、透視度計の高さは30cmだった。河岸で陶土の採取が盛んで、川は白濁していた。その後、活動を知った流域の大人たちも川の浄化を意識し始め、飛躍的に改善した。
 9日の式典では、児童らが同日の透視度測定を実演した。飯野川の透視度は、水を抜かなくても見える150cmを記録した。”(9月10日付け朝日新聞)
 児童数37人ばかりの小さな小学校で、30年間、11000日、1日も休まずと言うのは、休日もやっていたのだろうか。更にこの場合、一人の奇特な人があってできたことではなく、つないでつないでの30年間であることが素晴らしい。この話しで更に更に感心、納得するのは、子供の行動に大人が共鳴し、行動の輪を大きくしたことである。考えてみれば当然かもしれない。30年間というのは地域の人のほとんどがこの調査に係わったことになるであろうから。何事も一朝一夕にできることはない。
 子供の真剣な態度に大人が共鳴することは健全なる親子関係である。子供は社会の鏡、子供の犯罪が広がるばかりの今の日本は何といえばいいのであろう。西広瀬小学校は特異な例か。


(第877話) 絵手紙毎日8年                  2008,1,9
 “福井県おおい町川上の画家渡辺淳さん(76)の大きなガマ口のような郵便受けに毎日、絵手紙が届く。差出人は練馬区の高校2年森岡実莉さん(17)。実莉さんは小学3年の時から渡辺さんに絵手紙を送り続けている。
 「小学2年の担任の先生が毎日、日記を書くという課題を出していました。毎日やることはいいことだし、絵が好きだったから。送る相手がいた方がいいから淳にしました」。
 自宅マンションのダイニングテーブルで1枚当たり15分程度で描く。59歳離れた老画家から絵の通信レッスンを受けようという意図はない。絵の道に進む気持ちもなく、都立高校のバスケットボール部主将として都内で1つでも上のランクをと練習に励む日々だ。「淳さんは私の絵を全部ほめてくれます。習慣付いているので、これからも出します」と朗らかに話した。”(12月28日付け中日新聞)
 川崎記者の記事からです。かなり省略してあります。またまたすごい人がいるものだ。「小学3年という子供の時代から」「8年毎日」「それも絵を」「59歳も年上の人に」、この1つずつだけでもすごいのに驚くばかりである。絵の道に進むつもりでもなく、バスケット部の主将だと言うから更に驚く。森岡さんにこれだけのことをさせるのは何だろうか。絵が好きだけでできることだろうか。継続の重要性を知っているから、といっても大人ではない、小学生である。森岡さんがどのような大人になるか、興味深い。
 神童、天才と呼ばれた子供も20歳過ぎればただの人、という言葉がある。孫を見ていても神童か天才かと思うときがある。子供の能力は大人が思う以上に凄いのである。どの人もそのまま素直に育てば凄いのであろうが、大人社会に触れることによって低下していくのであろうか、もったいないことである。


(第1053話) 投稿33年                    2009,1,19
 “本紙に初めて投稿したのは、1975年7月のことである。「夏休みは継続のよいきっかけ」という発言だった。それが掲載されて原稿料は1000円だった。現金から図書券・カードと変遷はあるが、今でも1000円に変わりがないのが面白い。
 以来、投稿を続けて33年ほどになる。その投稿数は800余編でファイル7冊を数える。その中で掲載されたのは249編で、そのすべてを保存している。
 今年は傘寿を迎える。ちょうどよい節目でもあり、記念事業?として「投稿文集」を作りたい。それが私の新年の決意である。今その準備として、内容となる目次と本の体裁などを楽しみながら考えている。これまで行ってきた投稿を年を追ってまとめ、その折々の世の中の動きが見えるような貴重な一冊にしたい。”(1月4日付け中日新聞)
 岡崎市の市川さん(男・79)の投稿文からです。33年の間に約800編投稿され、249編が掲載されたという。月2編投稿された計算になる。新聞の投稿は多くの方の目に晒す。書くにもかなりの気配りと勇気がいる。この「話・話」も多くの方に見られる可能性はあるが、現在のところそんなに多くの方ではない。新聞とは比較にならない。それが33年間である。そして、投稿文集ができるほどになった。こだわりであろうか、継続の成果である。
 投稿欄を見ると時折見かける名前に出会う。ひとつの楽しみ、生き甲斐にされているのであろう。前向きな姿勢であるだけに評価したい。


(第1089話) 体育館通い2000回               2009,4,3
 “2月に市営体育館のトレーニングルーム利用2000回達成の表彰状をいただいた。会社勤務をやめてから、運動不足とぼけ防止のために運動を心がけた。街にトレーニングジムはなく、市営体育館のトレーニングルームに通って7年6ヵ月が過きた。有酸素運動や、軽い筋トレが主だが、健康増進と持病の高血圧症、糖尿病の改善効果も見られる。
 「継続は力なり」と考え、無理なく、怠けず、楽しく継続してきた。トレーナーの優しい支援にも励まされた。トレーニングルームに通う多くの人々と出会い、親しい仲間もできた。中でも2年前、3人で旅した北海道、そして昨年の2人の東北・陸中海岸のマイカーの旅は、忘れられない思い出だ。
 後期高齢者の医療費が問題となっている今日、高齢者の健康づくりは大切なテーマである。今年、私は古希を迎える。「継続は力なり」という言葉を忘れず、利用3000回をめざしたいと思う。”(3月18日付け毎日新聞)
 新潟県小千谷市の小林さん(男・69)の投稿文です。7年半、2000回というと、月22回である。ほぼ勤務と同じである。退職後の新たな出勤場所である。そんな気持ちで励んでこられたのであろう。高齢者の健康作りはある意味義務である。そんな気持ちで臨まないと高齢者問題、医療費問題は大きくなるばかりである。
 ボクも歩くだけでは駄目だろうから、市営体育館のトレーニングルームに行くことも考えねばと思っているところである。勤務の帰り道に体育館があるのでさほど難しいことではない。いや、やってくださいと言わぬばかりに恵まれているのである。これを機会に週1回でもいい、本当に考えてみよう。
 2006年1月15日の「(話・話)第515話 ラジオ体操5000回」の中で、ボクはラジオ体操をすると宣言した。しかし、数ヶ月で棒を折った。ずっと心苦しく、気にかかっていた。そして、昨年6月から妻と再度始め今だ続いている。生活のサイクルの中で定着してきたようだ。今度はどこまで続くのだろうか、我がことながら興味が湧いてきた。


 継続に係わる話を10話ばかり紹介した。継続という話となれば、何十年ということになり自然高齢の方の話が多くなる。高齢といっても、定年後に始めた話も多い。これは余裕ができるからであろうか。その中で「絵手紙毎日8年」の高校2年・森岡さんの話は希有な例であろう。引き継いで引き継いでの継続の話もあった。世の中いろいろな良い話があるものである。
 こういう話を聞くと、自分とはかけ離れた全く素晴らしい人に思えるが、行っている本人は意外にそう思ってみえないのではなかろうか。生活の中に組み込み、ある一定の段階を過ぎれば習慣として淡々とこなしている、そうしたらもう何十年となってしまった、そんな思いではなかろうか。とは言え、それがなかなかできないから称賛の記事となるのである。
 ボクだって毎朝のラジオ体操を始めてもう1年となり、この「話・話」だってもう5年1100話となり、日記に至っては25年になる。ただ残念なことながらこれらは自分の趣の範囲内のことなのだ。

                             (平成21年6月22日)


川柳&ウォーク