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「話・話」1000話


 この随想は、私が属する作文の会「朗人」の平成20年
11月発行の第28号に投稿するために書いたものです。
                (平成20年10月17日)



 2004年5月26日から私のホームページに「伝えたい話・残したい話」(以下「「話・話」」と記す)として始めた話題が、2008年10月3日にきりのいい1000話になった。この機会に第1話から読み返してみた。いろいろな感想に浸る。

 新聞の意見欄等を見ていると、識者にしろ一般人にしろ、圧倒的に多いのは要求、批判である。それも必要ではあるが、お互いに自分を忘れ、要求や批判ばかりしていては心豊かな人生や社会にはほど遠い気がする。それは主に自分で構築するものである。時折ある良い話を拾い出し、心を浄化することは自分自身にとって有益だろうし、それを伝えることは社会的な意味が少しはあるだろうと思ったのが、この「話・話」を始めたきっかけである。冒頭に「設立の意図」として「日々の出来事や、話、言葉などで、皆さんに伝えたいこと、記憶しておきたいことを週に2回を目標に書いていこうと思っています。おつき合いください。」と書いた。
 まず、新聞等からこれはという良い話題を拾い出す。その話題を引用しながら自分の感想や意見を書く。時には関連する自分の体験も書く。恥の上塗りになるが、単なる紹介より身近な話題になるだろうと思うからである。冒頭に書いたように最初は週に2話位のつもりで始めた。幸い職場には全国紙数紙と地元紙の中日新聞、その他業界紙があり、話題を探すのに事欠かない。また目にする雑誌等も活用し、週2回程度ではストックがどんどん貯まる。まもなく、可能な限り毎日となった。始めて1年10ヶ月後に定年退職となる。その後は、自宅で購読している中日新聞が中心となる。この時点から1日おきをめざす。話題に窮すると図書館へも行く。こうして今日まで来た。


 当初と最近では、取り上げ方も書き方も大分変わってきているが、意見や考え方より、実際の行為、行動としてあったものを優先してきた。いくら立派なことを言ってみても、論は論である。もちろん、毎日や1日おきとなれば、素晴らしい行為、行動だけとはいかず、生活上有益だと思う知識や自分が良いと思う話であれば取り上げてきた。でも、回数が増えるに従って話題に窮するときも多く、そんな時は、軽い話や笑いを誘う話も良かろうと取り上げてきた。議論を呼ぶ話題は極力避けてきた。1000話ともなると似たような話も多くなるが、人はすぐに忘れるものなので、それはあまり意識しないことにした。見つからなければ掲載しなければいいのであるが、毎日や1日おきと決めたら、できるだけそれを実行したいのである。その心がけがなければ私に継続は難しい。話題を見つけたときに掲載すればいいとしていたら、1000話どころか、もうとっくに中止していたろう。
 先にも触れたが、掲載する日に書いているのではない。常に5話程度をストックし、順に掲載していく。それまでの間、時間を見つけて読み直し、手を入れる。最初は気持ちが高揚するのか、かなり過激な文になっているのがほとんどである。読み直すほどに柔らかな文になっていく。それでも独善に陥っている文が多いであろう。私の文は付け出しで、取り上げた文が第一と理解して欲しい。また、今回読み直してみて誤字脱字の多いのに赤面している。早速気のついたところは修正した。今回紙に印刷したもので読み直したが、パソコン上では見落としが多いのではないかと気づいた。


 さて、1000話を読み通して、自画自賛であるが、我ながらよくこれだけ良い話を拾い出し、書いてきたものだと感心する。。社会的な意味があったかは不明であるが、自分自身に良かったことは疑いようもない。良い話といっても自分からかけ離れたものは取り上げられない。この間は、定年間際から定年を迎え、第二の人生に入った時期である。よって、定年後の過ごし方や健康に関するものが非常に多くなっている。趣味やボランティアの話、そして、夫婦のあり方や生活の知恵、社会のマナーや環境問題の話も多くなっている。取り上げ方が偏った面になっていることは否めないが、それでもかなり広範な話に及ぶ。おそらく900人以上の人の体験や見識であり、立派な人生の指針、エキスになっている。若い人に通じる話も多い。今、私の座右の書はと問われれば、この「話・話」と言いかねない。
 1000話から数編を取り出すのは難しいが、目に付いたもの3編を紹介する。


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◎(第828話) 朗人               ( 2007,9,27)
“私は今年満70歳になりました。嫌な言葉ですが、名実ともに「老人」の仲間入り。映画や施設などの入場料は、老人割引の恩恵を受けています。「老人」を辞書で引くと「年とった人」「年寄り」と書いてありますが、その通りですね。でも、たとえ体力は衰えても、気分は若いころと少しも変わりません。
 「敬老の日」が近づきそんなことを考えていたら、三十年来お世話になっている人から、素晴らしい色紙をいただきました。その色紙には二匹の若アユの絵と「老人になるな朗人になろう」と書かれていました。今まで、このような言葉を聞いたことがありません。わが意を得たり。早速この色紙を玄関に飾り、毎日ながめて「朗人」になるように心掛けています。おかげで、今年はいい気分で「敬老の日」、いや「朗人の日」が迎えられそうです。”(9月17日付け中日新聞)
 愛知県丹羽郡の浅井さん(男・70)の投稿文です。「朗人」はボクが所属している作文の会の名でもある。そんなこともあって取り上げたが、ボクの会の名がなぜ「朗人」になったのか、名付けた人に聞いたことはない。ボクは「ろうにん」と発音していて、どちらかというと「浪人」の意識であった。しかし考えてみればこれは面白くも何もない。この文のように「老人」をもじって「朗人」の方が意味もあるし、楽しい。「朗らかな老人」、我等のめざす道である。夢のある造語はさすがわが会の主宰である。最近のボクが忘れがちであった「朗らかな老人」をこの投稿で取り戻したい。


◎(第482話) 行き着く先             ( 2005,12,10)
“場所はある南の国。登場人物はアメリカ人と現地人の男。ヤシの木の下で、いつも昼寝をしている男に向かってアメリカ人が説教する。
 「働いて金を儲けたらどうだ」。男は見上げて言う。「金を儲けて、どうするのだ」「銀行に預けて増やせば、大きな金になる」「大きな金ができたら、どうする」「立派な家を建てて、もっと大きな金ができれば、暖かいところに別荘を持つ」「別荘を持ってどうするのだ」「別荘の庭のヤシの下で昼寝でもするよ」「おれは以前からヤシの下で昼寝をしているよ」”(11月30日付け毎日新聞)
 福岡県宗像市の教員・名倉さん(50)の投稿文。あまりに見事なブラック・ユーモアに何も書くことはない。
 豊かな生活をするために、働いて、また他の手段でお金を得る。そのために、自分も家族も犠牲にし、社会をとげとげしいものにしている。豊かな生活は追えば追うほど際限がなくなる。そんな愚かさをしていないのだろうか。働くことが喜びとか、社会に役立つことが目的といい、お金はその副産物と思えればそんな望ましいことはない。健康はウォークの副産物と言うボクの口癖と同じだ。自分は食べるに精一杯でそんなゆとりはないと、多くの人はいわれるだろうが本当にそうだろうか。

◎(第1話) 5年の命短縮              (2004,5,27)
 我ら9人からなる駄文の会「朗人」の第1号が5月23日に手渡された。それを記念する意味で、その中から話してみます。無花果さんの作文には非常に考えさせられた。その筋は、
 “神さま?らしき人から「もう1度人生をある時点からやり直させてあげましょう」と告げられ、どこからやり直しをしようか・・・そして、このありがたい申し出に対して、神さまは5年の寿命を縮めるという条件を出された”と言う話である。
 あの時点から自分の人生はおかしくなった、あの時点からやり直せたら素晴らしい人生になるだろう、と言う想いは多くの人にあろう。さて5年寿命を縮めるといわれて・・・本来の自分は何歳まで生きられるか・・・分からない。5年縮めたら明日死ぬことになるかも知れない・・・・
 私には半分呆け、食べて寝るだけの89才の母がいる。その母でも、少し体調が変調をきたすと大騒ぎである。死にたくないのである。先ほどの申し出にさっと答えられる人はどれほどあろうか・・・答えられない人は、さほど悪い人生ではない・・・むしろ良い人生といえるのではなかろうか。

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 この「話・話」を読んで頂いている方は、数人なのか、数十人なのか、また百人を超えるのか定かではない。ホームページに掲載すると共に、私が属している50人ばかりの「DMA(ドリーム・ミドル・エイジ)」と言うメーリングリストにアップしている。「DMA」では時折反応の声が聞けるが、概ね好意的に読んで頂いているようだ。
 そして、読み直して気がついたのだが、これも一面ではあるが、自分史になっていることである。話題に関連づけて、自分の小さい頃の出来事から今までの体験を臆面もなく紹介している。系統づけてもらうと、私の人生や環境がかなりはっきり浮かび上がり、赤面しなければならないであろう。私もいつか自分史が書けたらと思っていた時期もあったが、ホームページを作成するようになってこれもひとつの自分史であり、その必要性も意欲もなくなっていた。この「話・話」を読み通して、その必要性は更に感じなくなった。


 そして一応の目標としていた1000話にたどり着いた。この間に良い話を見つける楽しみ、やり甲斐を見いだした。もちろんこれからも続けたい。次は1500話を目標としよう。更に似たような話が多くなるだろうが、いい話は何度読んでもいい。今の調子で進めば、平成23年中には達成できるだろう。目標を持つのは第二の人生においても必要なことである。


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