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電話工事始末記

 電話線の光ファイバー化の工事が日本全国で進められている。私には分かっていなかったが、私の地域も昨年進められていたようである。そして、勧誘の電話が盛んに自宅に入るようになった。しかし、今のところ特に不自由も感じていなかったし、電話の話ではあまりメリットも感じなかったので断っていた。
 しかし、昨年12月に入って「訪問して説明したい」という言葉を受け入れてしまった。この時点で了解したと同じことである。専門の営業職の人の話を否定できるだけの知識はない。インターネットの環境は抜群に良くなる上、利用料金も現在より安くなること、電話も光電話となり全国一律3分8.4円とかなり安くなること、そして現在なら3万円近い工事費が無料になることなど、良いことずくめである。多分将来は光ファイバーにすることになるだろうからと、契約することにした。
 さて、工事であるが、1月に入って、1月下旬以降で都合のよい日の問い合わせ電話が入り、いろいろ話していて2月1日でお願いすることにした。理由は2点あり、その一つは、私が現在年間契約しているプロバイダーが1月31日までになっていること、もう一つは、新しいプロバイダーとの契約が、工事該当月は無料になると言うことからである。全くタイミングの良い工事日である。ただし、問題なく進めばだが・・・・。


 2月1日、仕事を休んで立ち会わねばならない。あいにくの雨である。約束の午後1時に若い人が3名でみえた。どんな工事をするのか私には全く分かっていない。そして、工事を始めてすぐに「線が通らない、ここを見てください」と言われる。脚立に上がって見てみる。どんな工事をしようとしているのか分かった。電話線というのは、鞘管(さやかん=各種の配線を通すために設けた、径の一回り大きな管)の中を通して、取りだし口まで達しているのである。その鞘管が折れ曲がっていて、事前に通す呼び込み用の線が通らないのである。工事の人は通らないというだけである。「次まだ行かねばならないところがあるので、直してもらった後、営業と打ち合わせてください」と言って、行ってしまうのである。サア、弱った、現在使用中の電話線が通っているので下手なことはできない、さっそく地元の電気屋さんに来てもらう。「何だ、こんなことくらいやればいいのに・・・」と言いながら、10分ばかりで直してくれた。
 さっそくまたN社に電話をする。電話に出た人は「2、3日後に工事行程打ち合わせをして、その後になります」と言う。一気に頭に血が上る。もうインターネットは切れたままである。1日だけの辛抱と思っていたのに、これでは何日待てばいいのか分からない。「営業するときはすごく熱心で、契約を取ってしまえばもうどうでもいいのか!」と、声を荒げる。「何とか工事の方と交渉する」という言葉に電話を切る。そして、3時間後くらいに「夜何時になるか分からないが、工事に行く」と言う電話にヤレヤレである。
 7時半頃、また同じ若い3人がみえた。そして、再開。そして、またすぐに通らなくなってしまった。もう自分も必死である。脚立に上がって見てみれば、急に角度を変えるところでまた鞘管がつぶれている。ペンチを持ってきて、工夫をしながら管を広げる。通った!その後順調に進むかと思えたが、かなり進んでまたつかえた。今度は屋根裏である。さっそく懐中電灯を持って上がる。狭い屋根裏をほこりにまみれながら、苦労して問題箇所を見つける。今度は鞘管が途切れていて、ビニールテープで電話線が保護されている。これでは通るわけがない。そのテープをはずして通るようにする。今度はどうだ・・・1mも行かないうちにまた止まる。天井裏から部屋へ下ろすところで折れているようだ。しかし、今度は壁の中であり、もう自分ではどうにもならない。今日はあきらめて帰ってもらう。
 早速いつも来てもらっている同級生の大工さんに電話して、翌朝一番に来てもらうことにする。
 大工さんと再び屋根裏に上がり、2人で思案する。まず天井板をはずしてもらう。すると折れている箇所が見える。狭いので木を切ってもらい、ペンチを持って手が入るようにしてもらう。もうこれで大丈夫だろう。
 そして再びN社に電話する。工事の方と調整してみると言われて電話を切る。もう1日半、仕事を休んでしまった。家で待っていても仕方がないので、午後から出勤した。しかし、その日は電話がかからなかった。
 さてどうするか、このことが気になって早く目が覚めてしまう。もう寝付かれない。いろいろなことを想定する。ともかく出勤してから電話をしてみよう。
 駅へ行って電車を待っている間に、N社に勤めている知人のH氏に出会った。早速困っている状況を話した。「一度努力してみよう」と言われて、その場を別れる。地獄で仏に出会った感じである。その後、職場から数度の電話のやりとりをし、2月6日の午前に来てもらえることになった。2月6日はまた休まざるをえないが、ともかく早くやってもらわねばならない。
 そして、6日9時半頃、同じ3人組がみえた。早速開始である。どこに問題があり、どうすればいいのか、私しか分かっていない。脚立に乗ったり、屋根裏に上ったり大忙しである。そして、ともかく呼び込み線が通り、光ファイバーケーブルが通ったのである。後は向こうが本職である。自分の出番はない。12時頃工事は無事終わり、その後はパソコンのセットである。このセットもN社側で行ってもらうことになっていたが、そんな時間調整をしていたらいつ使えるようになるか分からない。自信はなかったが、資料をもらって挑戦してみることにした。そして、数時間後に無事インターネットも使えるようになったのである。

 さて、この騒動でいろいろなことを知り、思うことがあった。この騒動の第一原因は、我が家の配線状況にあったことは明らかである。我が家は築60年近くたち、昭和58年頃に増改築している。その時、電話線もいじられ、きちんと鞘管に収められていればよかったろうが、場当たり的な処理をしてあったことに問題がある。私は電話線がどのように張られているのか、全く知るよしもなく、また、今回どのような工事をするのかも知らなかった。多くの工事を手がけているN社にこんな例はなかったのであろうか。増改築をした家など無数にあり、唯一例外とは思いがたい。電話線に対する問いかけは一切なかった。N社の配慮不足を感じる。
 そして、工事をしに来た人が、ただ通らないと言うだけで、何の原因追及も工夫もしない態度に不信感を覚えた。多分マニュアルに余分なことをしてはいけないことになっているのだろう(事実そんな発言もあった)が、原因追及や工夫は余分なことではない。素人の私でも2ヵ所の阻害点を除去できる程度のことは、何とかならないだろうか。
 天井裏の不都合部分を取り除き、電話をしてからその日は全く何の連絡がなかったのも、不信感が募った。インターネットが使えなくて、非常に困っている状況は十分に理解してもらっているのにである。
 もし、H氏の助力がなかったらどうなっていたのだろう。あの対応だと何週間も待たされたのではなかろうか。察するに、営業は顧客獲得に走り回り、工事の担当は体制以上に押しつけられ、その確執をしているのだろう。工事日が契約後2ケ月近く後になることからも、そのことが十分に察せられる。そして、自分のように工事がトラぶったことを想定していないから、大変なことになってしまう。
 今の時代、多くのことにおいて、95%の人の満足を得られれば、残り5%の不満など斬り捨てればいいという対応である。企業倫理を忘れて、コスト、効率を重視すれば当然そうなる。東横インのホテル改装問題などその典型である。弱者に優しい対応など、コスト、効率の前にはかけ声だけである。
 そして、自分に目を向けねばならない。以前のプロバイダーとの契約期間を延長しておけば、工事がうまくいかなくても何もあわてることはなく、悠然と対応できた。その費用と手間を借しんだのである。これは、危険負担をおざなりにし、トラブルを想定していなかったのはN社と同じである。あまりにタイミングのいい成り行きに惑わされてしまったのである。インターネットがある期間使えないことと、費用・手間を天秤にかけて判断、対応しておかねばいけなかったのである。一宮友歩会の公式ホームページを持ち、愛知県ウォーキング協会などのメール問い合わせ先になっていることを考えれば、もう個人の楽しみの範躊ではない。これくらいの危険負担はしなければならなかったのである。貴重な体験、教訓である。
 営業の人に乗せられて安易な契約をしたことも反省しなければなるまい。営業の人が良いことばかり強調するのは当然のことである。工事の内容やデメリットをもっと問いただしておくべきだった。
 工事が無事終わり、インターネットの接続もでき、ヤレヤレと思っていると、妻が名古屋の妹に電話がつながらない、といって騒ぎ出した。それから市内や市外の人、いろいろな人に試みた。 FAX も試みた。相手からは何の支障もないが、こちらからできない人があるのだ。このトラブルにインターネットで調べてみた。しかし、よく分からない。電話で問い合わせることにする。ところがこれが混んでいて全くつながらない。数時間がかりで電話をかけ、つながったところで状況を話し、すぐに回答を得た。そして、電話機の設定を変更すると問題は難なく解決した。こんなことどこにも書いてないのである。営業からも工事の人からも、FAX付き電話機ではトラブルがあるかもしれないなんて、一言もなかった。N社の対応には不信感がまたつのるのである。N社という大優良企業に、何の不信感も持たずただ黙って聞いたところに大きな拙速があった。

 N社にとっても利用者にとっても、これ程不運なことは滅多にないことかもしれない。でも、先の分からぬ人生である、小さなことながら大きな考える材料になった。インターネットのできなくなった6日間は、全く時間に余裕ができてしまった。朝起きて、帰宅して、すぐにパソコンの電源を入れる生活になっていたがその必要がない。いかに多くの時間を使っていたかを思い知らされた。反省すると共に、インターネットの活用の大きさも知った。インターネットのある生活に改めて感謝しながら、それに毒されることなく今後の有効活用を考えていきたい。
 工事が終わった夜、N社から光ファイバーヘの切り替えを勧誘する電話が入ったときには、妻と顔を見合わせて思わず笑ってしまった。
                              (平成18年4月20日)


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