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イチローと落合

 言わずもがな、イチローは84年ぶりにアメリカ大リーグの年間安打数の記録を破り、落合は現役時代3冠王を3回達成し、就任1年目にして中日ドラゴンズを優勝に導いた監督である。
 私は熱心なプロ野球ファンではないが、なぜか今年は早くからこの二人の発言に興味を惹かれてしまった。二人について、新聞等で知るくらいの知識しかないが、二人の発言には哲学的な匂いがし、また人間性が非常に似ていると感じたからである。二人が素晴らしい結果を残した今年に何か記録してみたくなった。と言っても、新聞等の記事をまとめることしかできないが・・・。


 まずイチローである。
 アテネ・オリンピックでの日本代表選手の活躍に、哲学者・梅原猛氏が9月6日付け中日新聞で随想を書いているが、その中でイチローにふれている。
 “栄光を手にした選手達は仏教で言う六波羅蜜、すなわち六つの徳のうち精進、忍辱、禅定の徳を備えていることを感じる。彼らは栄冠を得るために自己の欲望を抑え、全力を尽くし精進(しょうじん)した。忍辱(にんにく)の徳を持ち、負けたときの悔しさやスランプを発憤の材料とした。そして、禅定(ぜんじょう)、深く考えて、いざというときには無心になってことに集中する。
 この三つの徳を完全に備えている日本人はイチローではないかと思う。私はイチローに宮本武蔵を感じる。仏教の徳はまだ日本人に生きているのである。このような徳が生きていれば、今後も日本の国は健康に繁栄するにちがいない。”
 そして、10月1日付け毎日新聞のコラム欄で、
 “「打者」「走者」「飛球」などの野球用語は、野球好きで知られた俳人・正岡子規の考案になる。その子規は病床でベンジャミン・フランクリンの自伝を愛読し、「余の如く深く感じた人は恐らくほかにあるまいと思う」(病床六尺)と書いた。
 そのフランクリン自伝は、自らを律する13の徳で有名だ。節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲。アメリカでの成功の条件を、今こういうふうに並べれば、いやでも一人の日本人が思い浮かぶ。マリナーズのイチローである。”
イチローを仏教の三つの徳を備えている人と見なし、また、アメリカでの成功の条件と言うより、聖人の条件とも思われる13の徳を備えている人と言っている。
 
 では、イチロー自身はどんな発言をしているか拾い集めてみる。
・(記録達成で)満足と感じるのは、少なくとも誰かに勝ったときではなく、自分の定めたものに達成したときでしょうか。(10月5日付け中日新聞)
 ・(チームが低迷する中での記録達成は)自分からモチベーションをつくらねばならなかった。プロとして、試合に勝つことだけが目的ではない。プロとして何を見せなければいけないか、自分自身が自分自身に教えてくれた気がする。(10月4日付け中日新聞)
・(大リーグの「力の野球」に対して)僕の存在が、大リーグの誤った方向を変えるきっかけになれば。(10月3日付け中日新聞)
・(四球を選ぼうとしない姿勢の批判について)四球を楽しみにしているお客さんはいないでしょう?四球では、見ている方もやっている方もつまらない。なんとしてでも勝つというアマならいいが、プロだから。どれだけ自分が楽しみ、まわりも楽しませられるかだ。(10月3日付け読売新聞)


  では落合について書いてみたい。
 9月18日付け中日新聞で「オレ流管理術」と題して、
“落合監督といえば、昨年の就任会見で「トレードや外国人、FAによる戦力補強はしない」「今の戦力でも一人一人の力が一割アップすれば日本一になれる」と発言して周囲を驚かせた。ファンの間には不安視する声もあったが、ふたを開けてみれば、まさに落合監督の言うとおりとなった。一人一人の個性を見抜き、その力を最大限に発揮させる管理術は、現実社会においても大いに参考になるはずだ。”
 今までの新監督を見ていると、自分の望む野球をするために、自分好みの選手を集め、そのため大幅なトレードをする場合が多い。ところが落合監督は、オレのやりかたでやると言いながら、ほとんどそれをしなかった。オレのやりかたとは、練習の仕方、試合の進め方であった。誰もが「自分は外されるのではないか」と疑心暗鬼になるとき、上記の言葉に誰もが安心したであろう。私はこの言葉だけで興味を惹いてしまった。そして、誰もがやる気になった。プロ野球選手ともなると、それほど大きな実力の差はないのだろう。気力、やる気、そういった精神的なものが大きくものを言うのではなかろうか。
 10月5日付け中日新聞に「落合語録」がまとめて掲載されたので、そこから一部を紹介する。
 ・川崎の開幕戦先発は、1月3日に決めていた。このチームを変えるために必要だったんだ。チーム全員で彼の背中を押してやることがな。(4月2日、開幕戦終了後)
・今日は勝たなくてはいけなかったけれど、勝負というのはそう簡単にはいかないよ。(5月22日、横浜にサヨナラ負け)
・投手を中心にバックがしっかり守って勝つのがうちの目指している野球。前から言っているけれど、うちの二遊間は12球団でナンバーワン。それだけの練習をしてきた。守り勝つうちのスタイルは崩さない。どことやってもよそ行きの野球はしないよ。一つ言えることは、みんなたくましくなったということだ。(5月30日、阪神に1安打で白星)
・いつもいつも言うけれど、結果論であーだ、こーだと言われたら、何もできなくなる。最善の手を打って駄目なら仕方がない。選手は一生懸命やっているんだ。結果論で野球はできない。(7月31日、3連敗で7月を締めくくり)

 更に、10月2日付け中日新聞の「落合博満監督の手記」から一部を抜き書きしてみる。
 “選手たちは自らの手でつかみ取った優勝だ。汗水流して、一つの目標に向かっていって、最下位という下馬評を覆した。監督に就任してまず考えたのは、なぜ4年勝てなかったのかと言うことだった。勝つために何が必要なのか。それは一にも二にも練習量だと思った。コーチたちがしみじみと振り返る。「選手たちは本当によく耐えた」と。昨秋とこの春のキャンプ、徹底的に選手を鍛え上げた。女房からは「みんなは落合博満じゃないよ。つぶれてしまうよ」と言われたこともあった。
 キャンプを酷評する評論家もいたけれど、こっちはマスコミ向けの練習をするつもりはさらさらない。どうやってこのチームを強くするしか考えていない。預かった以上はおれのやりかたでやる。周囲の声はおれには関係なかった。”

 こうしてみてきて、二人の大きな共通点は、自分に自信があることであり、これがすべてでなかろうか。いろいろなことはすべてここから派生する。イチローは過去、現在のどの名選手とも似ていないと言われ、独自のスタイルを築いている。落合はまさしく「オレ流」と言われる独立独歩の姿勢である。何を言われてもぶれない、二人とも全くクールである。それが、時にはマスコミ等の批判の対象にもなるが、それらに迎合していてはここまで到達できなかったであろう。言ってはいけないが、マスコミ等第三者は結果論で言い、全く身勝手が多い。
 そしてこの自信は、天才が天才に不似合いなほどの努力の結果だと思う。技術力、理論、推理力、ある評論家は感受性とも言っていた。
 イチローの出勤は誰よりも早いという。試合開始の5時間前にはトレーナー室に入る。また、試合後にスパイクとクラブを黙々と手入れし、バットを決して放り投げない真摯な態度もある。
 落合は勝てば選手のおかげと言い、負ければ自分のせいという。大声を張り上げることもないという。でもそれだけでは勝てない。選手に他のチームに負けない何かを与える力がある。毎年どこかのチームが優勝し、その監督は持ち上げられる。勝てば官軍、すべてのことがよい方に解釈される。でも落合にはそれだけではないものを感じる。
 イチローは現役選手、落合は監督、この立場の違いで比較することは難しい。できれば二人の現役時代の比較を読んでみたいものだ。 


 二人は社会の表に出て大きく扱われているが、たかが野球選手といった人もある野球選手である。見えないところでこれより素晴らしい人も多くあると思う。でも、見えるところだけに返って意味があると言うこともある。

             この文は、私のホームページの「伝えたい話・残したい話」に
             6回に渡って掲載したものをもとに、加筆修正したものである。
                               (平成16年10月21日)



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