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 138エコ朝市

 一宮市で朝市を開く計画が私の耳に入ったのは、昨年(平成15年)11月頃だったと思う。主謀者は一宮歩こう会の会長・K氏である。K氏に確認してみれば
 「同級生のF氏やT氏が仕事を辞めて暇にしているので、ボケ防止のために何かやらせてやらねばと思って考えている」
 と、冗談めかして言われた。
 私はすでにF氏T氏と面識がある。これも昨年のことであるが、7月に開催された「尾張一宮七夕ウォーク」で、私と3人で2日間、荷物預かりの担当をしたのである。もちろんお二人は一宮歩こう会の会員ではなく、人手が足りなくて、会長が同級生に助っ人を乞われたのである。



 

 「一宮朝市研究会」と、もっともらしい会の名前をつけ、会長はF氏、事務局長はT氏とし、多分二人だけの研究会として発足した。この名刺を持って朝市を実施している団体に出かけて調査が始められた。もっとも参考になったのは愛知県尾張部の丹羽郡大口町だったようで、ここでかなり叱咤激励をされたとのことであった。私も最初聞いたとき、月1回程度開くのだろうと思ったが、毎週やると言われる。大口町で「毎週やらないとお客さんがいつ来ていいかわからない、それでは定着しない」と言われ、毎週開くことにしたというのである。
 初市は12月20日の土曜日と決められた。そのことを12月11日の一宮歩こう会の役員会で伝えられ、駐車場などの整理を手伝って欲しいと会長から頼まれた。歩こう会が朝市の手伝いとは、また突飛な話であるが、私にはF氏T氏の縁から、このお二人が中心メンバーなら手伝わざるをえないだろうと、出かけることを約束した。


 さて、12月20日、朝起きてみたらこの地方としてはとんでもない大雪である。20cm位は積もっていそうである。こんな日でもやるのかとF氏に電話を入れてみれば、やると言われる。仕方がない、自転車に乗って出かけることにする。雪がからまってなかなか進まない。凍える中30分以上かかって約束の7時にやっと間に合う。会場は一宮地方裁判所近くの富士権現社という神社の境内である。通称お旅所といわれているところである。すでに数人が来て準備を進めている。「138エコ朝市」と記した20本ばかりの、のぼりが用意されている。また、20着ばかりの真っ赤な半天の衿には「138エコ朝市」と刺繍で、背中には「いらっしゃいませ」と大きな文字が施されている。
「138」とは「イチ・ミ・ヤ」をもじったものであり、「エコ」とは「環境に優しい」という意味でつけられたのであろう。早速半天を着て、のぼり立てを手伝う。出店者は7組くらいである。合板が用意されていて、その上に商品が並べられる。ほとんどは家庭で採れる大根、キャベツ、人参などの野菜であるが、卸店から仕入れた食品をほとんど原価で売っている人もある。
 開店時間の7時半前から、この朝市を知った近くの人が、雪の中一人二人と現れる。ほとんどの商品には100円の値札がついている。売れればいい程度で儲ける気はないので、市価の何分の一の安さである。初のことであり、商品が少ないこともあってまたたく間に売り切れる。初市が大雪という思い出に残る日に、無事出立となった。

 考えてみると全く面白い企画である。チラシから少し引用してみる。
       ********************
 主として定年後の暇人・有志が集まり、各地の朝市を見学したり、大口町で教えを受けたりして、朝市や農業のことを学びました。
 この朝市の狙いは
 @街(地域)を元気にしたい。
 A高齢化農家・農業を元気にしたい。
 Bふるさとの食材、料理を見直し、生活を元気にしたい。

 という欲深いものですが、経済効率一辺倒の社会に、スローライフという生き方に気づいてもらう、そんな想いもあります。
 出店者募集の欄には
 *市場に出荷するほどではないが、まだまだ元気に農業をしている方、
 *日曜菜園をしていて、家族で食べきれない方、
 *そのほか、手作りでモノを作っている方、
などを募集しています。
       *********************
 となっている。


 その後数回、2時間ばかりのことなので、出かけられるときに出かけた。順調に推移している感じである。毎回長芋を10本ばかり売っている人に聞いてみた。
 「こんなに毎回もってみえて、今までどうしてみえたのですか?」
 「近所の人に貰っていただいて、残りは腐らせていた」
 と言いわれる。こんな人に打ってつけの朝市である。饅頭を売ってみえる老夫婦に聞いてみた。
 「結構売れていますね」
 「ここに来ると元気が貰えます」
 この言葉を聞いただけで、K会長は良いことを発案したな、と思った。F会長が知り合いから野菜を貰ってきて、ボランティアの人が売っている店もある。これがどうも資金源のようである。地産地消ということも売り言葉にしている。採ってきてすぐに消費者に渡るので新鮮である。家庭菜園で作った野菜は形は悪いがあまり消毒がしてない、それだけに安心して食べられる。新鮮で安くて安心で、朝市の近くの家庭にとっても全くありがたい催し物である。毎日必要な物だけにすぐに常連客もつくだろう。


 皆さんが遊び心でやっているだけに実に楽しそうである。これぞ高齢者に生き甲斐、やりがいを与える立派な福祉事業である。これだけ誰もが喜び、創造的な素晴らしい施策はそんなにない。何も下地がない中の出発だけに、目から鱗が落ちた感じである。最近では、市内の遊休農地を借りて農産物を作る話まで持ち上がっている。今後どのように展開していくのか、興味深く眺めるネタができた。私の定年後まで続いてくれれば、私も出店できる。
                           (平成16年4月9日)

(続編)
 前文の末尾に「市内の遊休農地を借りて農産物を作る話まで持ち上がっている」と書いたが、それがなんと動き出してしまった。
 「138朝市研究会・農業体験塾」と称して、稲沢市内の名神高速道路脇に150坪ばかりの農地を借り、4月17日になすやカボチャなどの植え付けがなされたというのである。それを聞いて、早速ゴールデンウィーク明けに見に行った。農業体験塾と書いた立派な看板を掲げていた。それに負けじとカボチャはすでにビニールのトンネルを這い出すほどに大きく成長していた。なすは100本以上植えられているのであろう、本当に朝市で売り出すつもりなのだ。


 


後で聞いたところによれば、参加者は10数人で、多くは朝市の消費者であるという。農業体験塾の募集チラシには
 “「米という字は、八十八と書くじゃろう。これはな、お百姓さんが収穫するまでにかける手間なんだよ」・・・おじいちゃんから、こんな話を聞く機会も減り、私たちの食べている農産物がどのように作られているか知らない消費者が増えてきました。農産物は、自然の恵みと農家の汗に感謝して食べたい・・・・そんな思いで「農業体験塾」を開講いたします”  
 とある。このチラシにまんまと乗せられて参加した人の感想を聞いてみたいものだ。そして、この結末がどのようになっていくのか、興味はつのるのである。

 さらに興味ある話を書かなければならない。この借りた農地は、上赤池公会堂のすぐ東側の土地であるが、この公会堂の敷地内に「御巡幸之跡」という碑が立っている。この碑は、昭和天皇が昭和21年10月23日にこの地にお立ち寄りになったことを、記念するためのものである。そしてこの碑をよく見れば、

  


 「天皇陛下御巡幸ニ祭シ勧農ノ御言葉ヲ賜ル」
と書かれている。昭和天皇がこの地で農業の勧めのお言葉を発せられたのである。翌日発行の中部日本新聞(現在の中日新聞)には
 「早堀り甘藷で有名な赤池部落の大根畑と芋畑の中で、朝早くからむしろを敷いてお待ちしていた群衆が、お姿が見えるや総立ちとなり陛下をとりかこみ、陛下もいちいち帽子をとられて泥で靴やズボンの裾が汚れるのもおいといなく、掘り出した甘藷の前で・・・・」
 と記されている。昭和天皇勧農の地で農業体験塾を始めるとは、これはもう単に偶然と言うには恐れ多い。138朝市研究会はとんでもない使命を負ったのである。私の興味はますますつのるばかりである。 
                                  (平成16年5月12日)


(続々編)
どんな状況になっているかなと、6月半ば7時前に覗いてみた。店もまだ準備中であるのに、もう数十人の客が集まっている。そして、7時30分の開店まで待ってくださいと、なだれ込む客を会長達が押しとどめている。私も少しの間、そんなお願いをして回ったが、結局15分にはオープンとなった。開店を客に応じているとどんどん早くなり、時間通りに来た人の不満を招くということで、時間厳守にしようとしたのである。物理的に入れないようにしなければ無理である。嬉しい悲鳴ということであろう。
 こうしたことを始めいろいろな問題点が浮かんでいる。いくら先進地を勉強したといえども、出店者や客が体で理解していないのだから問題点が起こるのは当然である、悲観することではない。話し合いながら、工夫をしながら、ここの朝市の良いルールを見いだしていけば良い。ともかく益々盛会になってきているのは事実であり、朝市開催は大正解である。会長の夢は膨らむばかりである。


 ところで、野菜作りにまんまと乗せられた人の感想を聞かねばならないが、その前に私自身の意見を記してみたい。
 まんまと乗せられた人に「良い機会に恵まれて本当に良かった、おめでとう」と、申し上げたい。私の生い立ち、体験から本当にそう思えるのである。
 私は農家の長男として生まれ、当然農業を継ぐものとして育った。それがある事件をキッカケに、また、時代の流れもあって大学にも行き、勤め人となった。父が68歳で亡くなると共に、専業農家から家庭菜園程度になり現在に至っている。専業農家の苦しさも楽しさも十分に知っているつもりである。その上で、農業体験塾はその「楽しさのみ」を味わえる場と思える。

 先日新聞を見ていたら「プチ就農 シニアに人気」という記事が目についた。従来の家庭菜園の延長のようだが、様々な形態になりつつあるようだ。
 (1)農業体験農園・・・プロが苗や肥料などすべてを準備し、農作業の手順を手取り足取り教える。(2)サークル活動農園・・・・会社のサークル活動として、農作業をする。土いじりで気分がリラックスでき、新たなアイディアが生まれる効果もあるという。(3)滞在型農園・・・農村部に農園を借り、長期滞在して農作物を作る。
 といったものが紹介されていた。さしずめエコ朝市体験塾は(1)の形態であろう。偽装表示事件などで安全な食への関心が高まる中、自分の手で食べ物をを作りたいという欲求が強まっていることが背景と新聞では分析していた。


 これは私の勝手な想いかもしれないが、動機はどうであれ、土に触れる機会の無かった人が、その機会を持つことは人間の幅がますます広がると信じている。土に触れ、植物の成長を助け、見守る。こんな自然で創造的なことが人間に悪いはずがない、楽しくないはずがない。そのように思えない人は、まだ経験不足、認識不足だけである。私の妻も全くの町育ちで、土に触れたこともなかったが、今は一人でも草を取ったり、肥料をやったりしている。楽しいとはいわないが、実を付けたことを発見したときなど嬉しさがあふれている。まんまと乗せられた方で、まだしまった思っている方があったら、もう少し身を入れてやって欲しい。絶対に楽しくなります。
                                (平成16年6月26日)

 

(続々続編)
 16年10月中旬に「ご招待状」が届いた。何事かと開いてみれば「138エコ朝市・一周年記念 大地の恵み感謝祭」とあり、次のような文面である。



この朝市が始まりましたのは、昨年(平成15年)12月20日でした。
第1回が大雪の日という大変印象深いスタートでしたが、毎週土曜日、
休みもなく続き、この12月4日に第50回目を迎えます。 
出展者も来場者も4倍以上に増え、すっかり一宮の名物市に
育ちました。これは、ご支援いただいた多くの方々、ご来場くださった
大勢の市民のお陰であることはもちろんですが、なにより、この朝市を
支えている「大地の恵み」のお陰であることも忘れてはなりません。
そこで、一周年を記念し、ご支援者・ご来場者・大地への感謝祭を企画しました。


とある。もう1年になるのだ。そして、もう50回も開かれるのだ。私は時折思い出したようにのぞくのみになっていたが、この間深く関係した人には敬意を表さねばならない。毎週というのは、いろいろ都合もあるだろうに、言葉で言うほど簡単なことではない。
 この感謝祭は、12月11日午前11時からとある。私はこの時間にはすでに別の用事が入っていて、そちらに出かけねばならない。全く残念だが、やむなくその日の7時半からの朝市のみをのぞくことにした。そして久しぶり行ってみて、出店者、買い物客が多くなっていることにびっくりした。また、開始時間もきちんと守れるようになっていた。本当に地域に根付いたのだ。ゼロから1年でよくここまで来たものだと感心する。

 


益々賑わいを見せる朝市


「大地の恵み感謝祭」の準備も進み開始を待つ会場


 11時よりは大地の恵み奉納神事があり、餅つきや尾張野汁の提供があったようだ。参加者から聞いたところによると、300人以上が参加、うどん、パン、赤飯などの屋台は早々に売り切れ、大盛況であったようだ。餅つきはあしなが育英会の高校生ら14名が担ったが、初めての餅つきにモタモタで、元青年たちの活躍の場が突然できたようだ。「簡単に餅は作れない。戦後を生き抜いた人達は凄い!」という高校生らの声に、「縦社会」を学ぶよい機会だったとあしなが指導者の弁である。私も餅つきなら大いに活躍でき、名を高めることができたが、参加できなくて残念であった。
 舞台裏は知らないが、表向きには大成功、大躍進の1年であった。
                                 (平成16年12月24日)

 川柳&ウォーク