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ウォーキング大会の舞台裏
           ・・・名古屋ツーデーウォークを終えて・・・


 「第2回青春の秀吉・名古屋ツーデーウォーク」が、良くも悪くもともかく終わった。
 第1日目の平成16年1月17日(土)は名古屋市市政資料館をスタート・ゴールとする名古屋市内を巡るコースで行われたが、出発時からほぼ終日雪の日となった。第2日目は名古屋市中村区の豊国神社をスタート・ゴールとし、名古屋市及びその西部となる海部郡1市4町を巡るコースであったが、前日とうってかわっての良い天気であった。
 ほとぼりが冷めない時期にと1月24日に反省会がもたれた。これを機会にこの事業を振り返り、舞台裏も紹介しながら反省点を含めて書いてみる。   


 昨年6月11日にまず「名古屋ツーデーウォークプロジェクト委員会 」がもたれ、続いて6月15日に初の打合会がもたれた。私はこの打合会から参加したが、第2日目・25kmコースのコースリーダーに割り振られていた。私は定年(60歳)までまだ数年あるが、比較的早くウォーキングに目覚めたこともあって、愛知県ウォーキング協会に入会してもう11年目に入っている。こうした実績と公認ウォーキング指導員であることからこの大役を仰せつかったようだ。固辞していては幹部も困るだろうと思って、できないところは応援してもらうということで引き受けた。
 そして、何回も試歩をしなければならないコース作りも、私は一度も歩くことなく、私の担当分も作ってもらった。他の方には平日の方が都合がいいからである。そうはいっても私も可能な限り、夜や休日の打合会には出たし、仕事を休んで、お世話になる施設の挨拶回りにいったりした。その他、担当コースを事前に歩き、矢印等の案内板の取り付け位置を確認し、交差点やチェックポイントに張りついてもらう人の割り振り、連絡、指示などをした。
 
 いよいよ開催である。前日は特に忙しいが、今回は仕事の都合上休んで手伝うことはできなかった。1月17日第1日目は何と雪である。私は市政資料館ではなく豊国神社に8時に行く。18日の案内板を取り付けるためである。自分に必要な矢印等の案内板を受け取り、それぞれの持ち場に出かける。私は大治浄水場から甚目寺観音までの15kmを担当し、この間に約100枚の案内板を取り付ける。2人で雪の降る中を歩きながら、凍える手で取り付け終わったのは午後3時であった。
 翌日本番の日は、前日とうってかわってこの時期これ以上はないという上天気である。この日はアンカーをつとめ、取り付けた案内板を回収して歩くのである。35kmコース・25kmコースの参加者全員が出発したのを見届けて、8時30分に3人で出発する。そして、25kmコースを歩きながら35kmコースとの合流点まで回収する。これでこの日の役目は終わりである。その後、チェックポイントなどの状況を見ながら、また、いろいろな人と話をしながら歩き、ゴールに着いたのは4時であった。


 私が今回係わったことはこの程度であるが、反省会で出た話や私が「尾張一宮七夕ウォーク」など過去に携わったことで気づいたことも含めて記してみる。

1.(出発時間)
 大治浄水場を過ぎて後ろを見るとウォーカーがまだ歩いてくるではないか、どこで抜いてしまったかとびっくりする。聞いてみれば8時45分に出発したといわれる。そして、矢印がなくて迷ってしまったと、悪びれた気もなくいわれる。
 主催者としては出発式の時間までに来ていただいて、出発式後、順次歩いていただくことを想定している。考えてみると、JRや私鉄が開催するウォーク大会は、ある時間内に出発すればいいことになっている。それと一緒になっている気がする。これはよくわかるように「**時までに来てください」と書かなければいけないと気づいた。


2.(矢印等案内板)
 矢印がなくて迷ったという苦情をよく言われる。私たちも経験を積みながら配慮していたつもりだが、気が回らない部分も多々ある。反省会でも話題になったが、公園や施設の中は以外に盲点である。貼らせていただけない所もあるが、貼れる所ではもう少し配慮しなければと私自身も反省している。
 しかし、ウォーカーには矢印はあくまで歩くための補助手段であり、地図で確認しながら歩いてもらいたいと思う。知らない土地へ行って、地図だけではなかなか歩けないことは私もよく体験しているが、地図を見ながら歩く習慣はつけたいものだ。
 また、両側歩道の場合、矢印は片側しか貼ってない場合が多い。そんなときよく両側を歩かれている風景を見かけるが、これは矢印に従ってもらいたいと思う。その先の事情を考えて、歩いてもらいたい側に貼っているわけで、反対側を歩くのは危険や間違えるもとである。
 またアンカーが気を使うのは、最後尾の人である。それがルートをはずれられていると、見落としてしまい、案内板をはずしてしまうことになる。このあたりのことも気をつけて欲しいことである。

3.(参加コース)
 次に、沢山のコースがある場合、自分の能力と目的を見極めて参加して欲しいと思う。長距離を歩きたい人、ゆっくり見て回りたい人、体力的に短い距離しか歩けない人等、多くの人に参加していただきたくて、沢山のコースが設定してある。
 今回の2日目35kmコースの場合、4時までにゴールとなっていたので、休憩、見学等を入れて7時間15分で歩けないといけない。時速5kmの人では見所も横目で見ながらほぼ歩くだけで終わる。6km以上でないとゆっくりした見学は無理である。
 私個人としては、参加者はできるだけ見所は見ていって欲しいと思っている。今回でいえば25kmコースまでであろう。私自身は時速6km以上で歩けると思っているが、それでも30km以上になると、もう歩くだけになる。1日20kmから25kmが適当と考えている。
 ゴール時間を遅くすればいいという意見があると思うが、この時期にこれより遅くすることは無理である。最後のアンカーが到着したのは4時半であり、後片づけが終わったのは6時近くである。本部設営の人は、朝まだ暗い5時前から設営を始め、真っ暗な夜までの作業である。この環境で誰がこれ以上のことを要求しえようか。


4.(大会の性格)
 各地の大会に参加している人から、地図について指摘を受けた。残り距離を記入して欲しい、また、見所の位置がはっきりわかるように表示して欲しいというものだった。私も全くその通りだと思ったので、反省会で発言しておいた。いろいろな大会で得られた有意義な情報、知識を教えていただけるのはありがたいことである。
 ところが、あちらの大会ではこうしてもらえた、こういう接待があったと、当然のようにいわれるのはどうかと思う。飲み物やマイカップを持ってくるのはウォーカーとして当然のことである。尾張一宮七夕ウォークではコップは用意しないことにした。この大会は市民団体が運営する大会であり、企業や役所が仕事でやっている大会ではないのだ。そこを認識して参加して欲しいのだが、その違いをどう認識していただくのかは主催者側に課せられた課題でもある。

5.(会費・財源)
 役員を含め主催者側は全員が無給、ボランティアである。開催日以前の幹部役員の働きは大変なものであるが、それは別にしておいて、17日、18日両日とも100人程度の人が出て任務に当たっている。その他に、湯茶、冬瓜汁などの接待は地元の人にお願いしている。
 当日だけお願いした愛知県ウォーキング協会やその支部の会員の人も、寒い中さぞ大変だったと思う。なぜこんなことに使われねばならないかと思った人もあろう。特にコース後半に交通整理やチェックポイントに当たった人は長時間であり、食事をする時間もなかったと思う。事実、私もアンカーの役割を終えた後、チェックポイントでスタンプ押しを引き受けて、その人に食事をしてもらった。これだけのことをしながら、役員は当然のことながら、1日ボランティアの人も、1日は歩けるからと参加費を納めて任務に当たっているのである。これには私も不満である。こうした世話に当たる人に、せめて参加費は免除にするか、また、別の報いる手段を講じるべきだと思う。こんなことをしていたら手伝ってもらえる人がますます見あたらなくなってしまう。
 では会費を免除しようとなると、収支会計が問題になる。今のところ中間の会計報告しか受けていないが、どうも赤字になるかならないかきわどい所のようである。80万円の広告料を集めながらである。たかが歩くことに1500円もの参加費を取って、何に使われているだろうと思われる人もあろうが、実は参加費では必要経費の6割程度しか満たせないのである。他の団体は知らないが、私が係わった他のウォーキング大会も同じようなものである。広告料収入などは今の幹部の力量が大きくものをいっている。誰でもできることではない。私はここにも問題があると思っている。こうした市民団体の会は、行政等の補助以外必要経費は参加費で賄うのが大原則である。ところがこの地区で行政の補助などというのは遠い夢の話だし、また、受けたことによる負担、束縛は大変なものである。 
 

6.(ウォークマナー)
 反省会の中で一番驚いたことは、車道用信号機のみで歩行者用信号機がない箇所で、信号を無視して渡っている人がいて注意したら「東京では車に注意して渡ればいいことになっている」といって怒鳴られたという話が出た。また、大阪の大会では主催者から「赤信号で渡るときは注意して渡ってください」という説明を受けたという話である。この地方でそんなことをしたら、マナーの悪い大会という批判を受けてしまうだろう。たとえ、東京、大阪で通ってもこの地方では通らないルールだから、そのことも説明書に書いてください、と発言した。その他のことでも、郷に入れば郷に従うのである。それが旅である。私が他地区の大会に参加して批判を受けるようなことをすれば、その大会の主催者を傷つけることになる、私自身気をつけねばと思う。
 後日、先ほどの信号機の話を東京、大阪の人に話したが、そんなことはありえないといっていた。そうだと思うが、世話をしているとこんな目にも合うのである。

 いろいろ書いてきたが、最後に書きたいことは、ウォーカーの皆さんに、こうした大会を開くためにボランティアを募られたら、機会があれば応募してくださいということである。特に全国に歩きに行かれる方は是非お願いしたいと思う。人間は誰もが幸せに過ごしたいと願っている。幸せというのは感謝の気持ちが持てる所に生まれる、感謝の気持ちが湧かない所に幸せはないと思う。例えばこのウォークでは、こうした大会の一端でも携わるとその苦労が実感でき、他の大会に出かけたとき自然に「ご苦労様、ありがとう」という感謝の言葉が発せられる。事実、私が今回お手伝いをお願いしたどの方も、こんな努力や苦労があるのかと納得してみえた。そんな努力や苦労も参加された人の「ありがとう、ご苦労様」の一言で癒されるのである。

 私は前述したように末端の一役員にすぎないので、これだけの事業のどの程度のことがわかっているか、非常に心もとない。しかし、情報開示をいわれる時代である。舞台裏も示しながら理解をしてもらうことがますます必要になると思う。このことが、この文を書こうと思いついた理由である。あまり働かなかった私が、ホームページを持っている故にせめてできることでもある。舞台裏と言いながら、ウォーカーの皆さんに要望するような部分が多くなった感がするが、ご理解いただければありがたい。
                                  (平成16年1月31日)


川柳&ウォーク