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ウォーク10年を振り返る
平成15年12月で愛知県ウォーキング協会(平成12年8月以前は愛知県歩け歩け協会)の会員になって、丸10年が過ぎる。これを機会にこれまでのウォーク人生を振り返ってみる。 |
私は農家育ちの影響があるのか、野外活動が好きである。運動神経は劣るが、学生時代はいつも何かの運動クラブに属していたし、就職してからはハイキングやジョギングを続けてきた。平成5年に知人から愛知県ウォーキング協会の例会に誘われ、その年は数回の参加であったが、平成6年から会員になった。 会員となってすぐの1月13日から3泊4日で開催された「熱田・伊勢125km初詣ウォーク」に参加した。このウォークは以前から新聞の記事で知っていて関心があったので、この愛知県ウォーキング協会の主催と知ってすぐ申込みをした。第1日目は熱田神宮から桑名の渡しまでの29kmであったが、もう1日目からいくつものマメ(肉刺)を作った。それでも4日間、体をガクガクにしながらも完歩し、この間、全国から集まったウォーカーからウォーキングの世界についていろいろな話を聞いた。全国的な大会がいくつもあること、30km、40kmといった長距離ウォークがあること、アル中と呼ばれる歩くことを仕事としているような歩き中毒の人がいること等、15km程度の日帰りウォークしか知らない私には全くびっくりするような話ばかりであった。このウォークで新しい世界が私の前に一挙に開け、実質的意味でこのウォークが「私のウォーク原点」となった。当時の文を少し引用してみる。 ”私はもう十数年にもなろうか、シーズンになるとほんの少しだが ジョギングを続けてきた。そんなこともあってか、歩くことを少し軽視 してきた感じがあるが、今回の参加でこの考えはかなり修正されて しまった。ウォーキング(大会)の楽しさや利点は、他のスポーツと 比較して、優るとも劣らぬことが分かってきた。” その後、愛知県ウォーキング協会の例会に参加する回数も増え、平成7年度8年度には年間完歩賞(注:年間に規定回数以上の参加者に与えられる賞)をもらっている。また、平成8年頃からは滋賀県ウォーキング協会の例会にも参加するようになった。一度出かけてみて、気に入ってしまったのだ。東海道本線(愛称・琵琶湖線)や北陸本線のすぐ近くに湖があり、山があり、史跡がある。このウォーク環境の良さに、一時、愛知県ウォーキング協会の例会に参加するよりも多く参加する時期があった気がする。さほど近いともいえぬが、慣れてしまうと遠さはあまり気にならぬものである。 泊まりがけで遠出もするようになった。平成7年3月には「瀬戸内倉敷ツーデーマーチ」に一宮の仲間9人と参加し、平成8年9年には、日本のウォーキングのメッカ・埼玉県東松山市で開催される「日本スリーデーマーチ」に一人で参加した。しかし、振り返ってみると、泊まりがけで出かけるのはこのころが最も多かった気がする。平成10年頃から老いた母の体調が悪くなり、外泊を控えざるを得なくなったからである。しかし、近郊の日帰りウォークはますます盛んになり、その後も年間50日前後のウォーク(山登りを含む)に出かけている。 とは言いながらも、今までの中でもっとも思い出深いウォークは、平成12年9月から13年10月にかけて実施された「道元さん慕古の道・七街道ウォーク」である。京都の宇治・興聖寺から福井の永平寺までの250kmを、5ステージ延べ11日間かけたウォークである。とても全コース参加できるとは思っていなかったが、幸いに前泊を必要とせず、また都合もうまくついて全コースを歩くことができた。更に幸いだったことは、私の属した班はいつも同じメンバーが同じ宿に泊まるという状況が続き、全員が自然に親しくなったことである。今でも千葉県から福岡県までの20名近くが、ウォークの機会を作って集まっており、すでに3回ウォーク会を持った。またこのウォークでは配布される日程表や名簿と共に、前回の状況の紹介を私のホームページを印刷して配布されるという思いがけないことが起こった。私としては今までの最長のシリーズ参加であると共に、こんな出来事からも記念すべきウォークとなっている。 平成10年3月に一宮市の真清田神社から根尾村の淡墨公園までの55kmを歩く「第1回早春淡墨桜浪漫ウォーク」が実施され、参加した。その年の12月に「淡墨桜浪漫ウォークのボランティアにご参加下さい」という案内が「早春淡墨桜浪漫ウォーク一宮実行委員会」から届いた。第1回の一宮市内からの参加者に案内が出されたようである。第1回は根尾村が中心で準備されたが、出発地が一宮ということで、一宮側の世話をする主管団体を作ろうというわけである。早速「手伝ってもいい」という回答を送った。その後、賛同者によって何回も会合がもたれ、平成11年3月に第2回が無事開催された。 ところが、この時集まったボランティアから「歩く会」結成の話が持ち上がり、同年5月22日に「一宮歩こう会」が結成されるのである。そして、7月31日に第1回目の例会が一宮市内でもたれ、その後、会は順調に発展してきている。私は当初からの会員として、会の運営に参加し、また、平成14年の役員拡大により幹事となった。一宮歩こう会は、このようにボランティアをしようと集まった人達がきっかけで発足したところに大きな特色があり、会長、副会長がそれまで歩いたことがない人であることも特色であろうか。「尾張一宮七夕まつりウォーク」という、会の大きさからは考えられないほど大規模な全国的大会を開いたり、マラソン大会の手伝いをしたりと、このボランティア精神の発揮はいつまでも忘れたくない精神であり、新しい会員にも伝えていきたい精神である。 平成14年に一宮歩こう会と共に、歴史ある愛知県ウォーキング協会の役員になったことから、会への係わり、意識は大きく変わってきた。今年4月に公認ウォーキング指導員の研修を受ける気になったのもこんなことに起因している。私は定年まであと数年といえども、まだ仕事では現役の最中である。ウォーキング人口は現在大変な勢いで増えているが、協会(団体)に入って活動している若い人はまだまだ少ない。私が愛知県ウォーキング協会の会員になったのは40歳代半ばであったが、現在200人ばかりの男性会員で50才未満はわずか8人である。当時「あなたは若いときからこういう良い世界を知られて幸運ですね」とよく言われた。これは本当にそうだったと思う。定年を迎えて会員になられる方は多い。ウォーキングの推奨と共に、日本マーチングリーグ、オールジャパンウォーク始め、全国各地で毎土曜日、毎日曜日に、それもいくつも重なって大きな大会が開催されるようになった。参加しようとすればいくらでも参加できる。そして入ってこられた皆さんはもののみごとにアル中になられる。私の10年分などアッという間に越されてしまう。しかし、私の10年は忙しい中、理解ある妻のおかげでやってこられた。これは大きな重みがある。この積み重ねの中で、私はウォーキングにますます魅力を感じてきている。ウォーキングの魅力を「歴史を訪ね、自然に触れ、友と語らう」は私の口癖であるが、こんなことができるスポーツは他にない。 平成12年3月から「川柳&ウォーク」と題して、ホームページの作成を始めたが、これはウォークという素材があったからこそ始められたことである。このホームページのおかげで、PHP研究所発行「ほんとうの時代・平成14年10月号」に私自身とウォークについて、気恥ずかしくなるほど立派に書いて掲載していただいた。今年11月発行の保存版にも再掲された。先日(11月16日)には、JCBカード会報誌「NOON」からも取材を受けた。本当にホームページの効果は驚くべきものがある。 愛知県ウォーキング協会でもホームページの開設が、今年7月から始まっている。提案したのは、実は私であり、私が表向きこのサイトの管理者ということになっている。会長からインターネットの活用について相談を受け「まずはホームページの立ち上げでしょう」と申し上げた。そして、作成はホームページに詳しい会員にお願いし、相談しながら運営している。現在のところトラブルもなく、閲覧者も次第に増えている。効果を発揮するのはこれからだろう。 私のウォーク歴について、主にこの10年を振り返って書いてきたが、改めて私の中におけるウォークの存在の大きさと、いかに周りの人に支えられながらやってきたのかを感じざるをえない。健康はウォークの副産物といっているが、この副産物でもっていつまでも元気に楽しくウォークを続け、係わりあっていきたいものだと思う。私の年令は、多くの人のウォーク人生の入り口にもまだ立っていないのだから、まだ終わるわけにはいかない。これからの10年はどんなものになるのか、我ながら楽しみである。 (平成15年12月1日) |