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ウォーキング指導者研修


 (社)日本ウォーキング協会及び日本市民スポーツ連盟が認定する「公認ウォーキング指導員」なるものが存在することは以前から知っていたが、あまり関心もなく過ごしてきた。しかし、生涯ウォーキング愛好家として過ごしていくのなら、また、退職後更にウォーキング活動を広げていくつもりなら、一度ウォーキング指導員の研修を受けてみるのもよかろうと、今年になってそんな気になっていた。比較的近くで、仕事上もあまり問題のない時期の開催ということで、平成15年4月25日から3日間、長野県飯田市の「飯田やまびこツーデーマーチ」にあわせて開催された「公認ウォーキング指導者研修会」に参加した。

 参加を問い合わせると、まもなく申込用紙と共に「受講のきっかけ・指導員としての抱負」というレポートを求められた。その中で私は次のように書いた(一部省略・修正)。
 ”若い頃からハイキングは好きで、10年ほど前に愛知県ウォーキング協会(当時は愛知県歩け歩け協会)の例会に誘われ、その後「熱田神宮・伊勢神宮125kmウォーク」に参加してウォーキングの世界を知り、本格化しました。今ではウォーキングをもっとも素晴らしいスポーツと思っているし、人にも勧めています。私はウォーキングの魅力を「歴史を訪ね、自然に触れ、友と語らう」と表現しています。40歳代半ばからという今のウォーキング人口からは比較的若くこの世界を知り、入会したことも一つの幸運と思っています。昨年より歴史ある愛知県ウォーキング協会の役員になり、また、歴史は浅いが活発な活動をしている一宮歩こう会の設立時からの幹部会員であることが、今回公認ウォーキング指導者研修を受けようとした動機です。自分の思いのみではなく、しっかりした知識を持って多くの方にウォーキングを勧めていきたいと思います” 
 と書いたのだが、ウォーキングといっても所詮歩くだけのこと、人間誰しも歩いていることに研修も指導もさほど必要なことでもあるまい、と思っていたのが本音である。


 4月25日午後1時からの開講に間に合うように高速バスに乗ってでかけた。新規研修者は15名、更新研修者は3名であった。
 第1日目は「ウォーキングの広がり」「公認ウォーキング指導者制度」「ウォーキングABC(指導マニュアル)」等の講義であり、第2日目は午前に「健康日本21(ウォーキングの医学的効用)」「地図の読み方」「子どもウォーキングをすすめるにあたって」等の講義があった。午後から実技に入り「正しいウォーキング指導法」「実際に歩きながらの指導」などであった。第3日目は緑陰での講話、そして、20kmコースを歩きながらの実技指導などがあり、修了証書授与式となった。
講義は実際に歩き続けておられる5名ばかりの講師で担当された。そして、毎夕食には酒類も入り懇親がはかられた。こうして3日間の研修は終わった。

 この研修は、各県のウォーキング協会やその支部の運営方法の話が主体かと思っていたが、そのような話は一切なかった。上記に書いたようにウォーキングの効用、今ウォーキングが必要とされている理由、歩き方、ストレッチングの仕方、地図の読み方などであり、まさにウォーキング指導者育成のための研修であった。
 そして、この研修は私にとってどのような意味があったのか、受講する前と後で意識に変化はあったのであろうか。このことを書くに当たって、研修後に「ウォーキングリーダーとして」という課題のレポート提出が課せられたので、提出したレポートの一部を引用することによって代えたい。
 
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 ウォーキングの愛好者が増えていると言っても、生活上の必要最小限しか歩かない人が大半であるし、その機会さえ減らそうとしている人が多いのが現実である。そういう人達にウォーキングの素晴らしさ、その効用をいかに伝え、そして、行動に移してもらうのか。少しおこがましい言い方ではあるが、それがわかっている自分には、ウォークリーダーとして行動しなければならない責務があるし、そういう思いで研鑽する必要がある、と今回の研修を終えて思えてきた。そして、今、また、今後何ができるか考えてみたい。
1)今自分の所属する会で正しいウォーキングの普及、実践をはかる。今回習ったことと比べてみると、例会の運営はかなり粗雑である。例えば、クールダウンストレッチングがなされていない。例会の後などに年数回のウォーキング教室の開催を提唱しよう。幸い、愛知県には公認指導員の会も設立されたので、この場も活用したい。
2)東京・大阪ではウォーキング教室が開催されていることを知ったが、いずれ名古屋でもそんな話が出てくるだろう。そのときまでにもう少し研鑽と実践を積んでおきたい。知識だけのウォーキング教室なら誰にもできるであろうが、それ以上に重要なことは実践者としての指導者である。受講者には中高年が多く、それにはやはりふさわしい年齢の講師であることが必要という話が出ていた。確かにそのような面もあり、そのような人をサポートし、自分にふさわしい場があったら積極的に応じてみよう。
3)ウォーキングと環境は密接に関連するという話があった。今、地域環境を良くしようというNPO団体から参加の誘いを受けているが、少し躊躇している面があった。そのNPO団体とウォーキングが共に環境という使命を担っているのなら、その二つを結びつけられないか、今そんな考えが頭をよぎる。もしこれができれば、私の中で異質なものが合体し、活動の場所もでき、素晴らしいものになる。是非模索したい。
4)私は未熟なものながらホームページを開設している。そのホームページの主要テーマの一つはウォークである。ホームページの効用はすごいものがある。その活用を考えながらウォークの実践をし、正しい知識を発信し、更なるウォークの啓蒙をはかりたい。
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 卒論試験のようなレポートであるので、かなり気負った内容になっているが、まんざら嘘ではない。
 ウォーキングの効用、必要性について誰もがすでに知識としては知っており、実践するかしないかが問題であり、それは指導できることではない、と私は思っていた。しかし、講師の方は「誰もが皆さんと同じと思ってはいけない」と言われる。今でもそうかな?と思う気持ちはあるが、講師が言われるように思うことによってこれからやれること、やりたいことは格段に広がってくる。それが前段の文章や1)につながるのである。2)3)についても自分が意識して働きかけていけばそんな場はできる気がする。焦らず、あわてず、機会を捉えていきたい。4)についても今までは自分の歩いた名所旧跡を紹介するようなページが主体になっていたが、ウォーキングの啓蒙という新たな面を広げていきたい。この文章を掲載するのもその一つである。
 国民の健康志向も深まり、行政の後押しもあり、今後ウォーキング人口は確実に増えていくだろう。現在3000万人と言われる人口もどの程度実践されているかわからない。中味も濃くしていかなければならない。それには支援できる人や組織が必要であろう。
 いろいろな事柄に「たかが***、されど***である」という言い回しがあるが、ウォークはまさにピッタリあてはまる。
       「たかがウォーク、されどウォークである」    
 たかがウォーキングなんて取り立てていうほどの技術も体力も必要ないし、そんなに大げさに言うものではない、となるが、されどウォーキングの効用は素晴らしいものがある、いくら言っても言い過ぎることない、是非正しいウォーキングを実践してください、ということになる。研修の成果としてこんなことを考えながら携わっていきたい。

 
最後に講師陣についても触れておきたい。講師の皆さんは、ほとんどボランティアに近い形で引き受けられていたと推測するが、第一線を退かれた方が多かった。第一線を退いた後でもこのように大きな働きをされている、このことに一つの人生としての感銘を受ける。私は常々「人生いくつになってその人の真価が発揮されるかわからない」という言葉を意識している。極端な例だが、それまでの人生は無価値だったが、素晴らしい亡くなり方にその人の価値が見いだされることもある。だから、人間死ぬまで投げやりにならず真摯に対応しなければいけない、というのが私の解釈である。特に女性講師について、ウォーキングを始められたのは60歳、今70歳、喜々としてウォーキングを続けておられ、ウォーキング教室も開講し、また各種の研修に主席指導員として活躍されている。私には先ほどの言葉の見本のような人に思われる。個人的にも話をさせてもらったが、このような人と知り合いになっただけでも、意味合いは違うが、この研修の成果は大きかったと言えよう。

 研修を終えて更に目の前が広がった気がする。好きなことをしながら社会に役立てば望外の喜びである。もう数年もすれば定年である。今回の研修で「私は望ましいことができる環境にいる」ということをより実感した。
                       (平成15年6月6日)

川柳&ウォーク