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継 続 の 秘 訣

 「継続は力なり」という言葉があるが、物事を成し遂げるに継続はかなり重要な事柄である。小さな雨滴が長年のうちに堅固な岩に穴を開けることがごとく、小さなことも続けていれば大きな力になる。これは継続がいかに難しいかを言っている裏返しの言葉でもある。われわれ人間は本当に怠惰にできている。三日坊主という言葉があるがごとく、意気込んで始めてもすぐに飽きて止めてしまう。よほど大きなきっかけか、決意がないとなかなか続かない。

 私の参加している60名ばかりのメーリングリストで、先月(4月)に「欠かさずやっていること」というテーマで意見募集があった。その中で紹介されたことを少し羅列してみる。
 (1)毎朝ラジオ体操をする (2)帰宅したらうがいと手洗いをする (3)朝晩布団の上でストレッチ運動をする (4)年2回血液検査と歯垢を取る (5)日めくりをめくる (6)週末にビリヤードを行う (7)出勤前の主人に毎朝お茶を入れる (8)毎日散歩とピアノの練習をする  (9)毎年お墓参りに行く (10)毎年正月に玄関前で家族揃って写真を撮る。 等々。
出された意見をみると健康に関するものが多い。このメーリングリストの参加資格が40歳以上ということから見れば、当然の結果であろうか。

 それでは私自身には何があげられるだろうか、拾い出してみたい。
 日記などというものは続かないものの代名詞みたいに言われていると思うが、実はその日記なるものを18年に渡って続けている。それ以前にもいろいろな形で書いていたが、「三年当用日記」なるものを使い出して、6冊目18年目に入っている。K出版社のものを継続して使っている。年始めに「年頭の所感」を書き、そして1ヶ月書き終えると、その月の主要な行事を書き出し、その月のまとめを書く。年の終わりにも1年の回想を書く。毎日書くことは起床時間、就寝時間、天気、そして本文は11cm×6cmのマスに書く。この日記を使う理由は、この程度のことなら10分もかからずに書けること、前年書いたことがおのずと目に入り対比することができることなどである。私がこれだけ書いてこられたのは、決まった時間に書く習慣ができたことにあるだろう。日記は一般にその日の夜に書かれると思うが、私は翌朝に書くのである。夜は仕事の都合や飲んで帰ったりして時間がどうしても不安定で、書くのがついおっくうになる。その点朝は起きてから出勤するまで毎日判で押したような行動である。その中に組み入れてしまえばほぼ間違いなく書くことができる。このように朝書くようになって18年間続いてきたのである。朝10分でも多く寝ていたい人にはかなりの努力がいるが、私は必要があればどんどん起床時間を早くしている。今は起きてから出勤するまで2時間以上の時間がある。日記を書きたく思いながら挫折される方は是非朝書かれることを試みられたい。

 次
に会員として参加していた2つのことを書いてみたい。
 先ず川柳について「川柳東浦の会」の会員として、創立時から解散するまで21年9ヶ月間この会に在籍し、毎月1回の例会に10〜15句程度を提出していた。260回全回というわけではないが、ほとんどの回に提出した。会員の入退会はあったが常時20人くらいであった。解散になったのは事務的なことをほとんど負っていた一会員の方が体調を崩して、参加できなくなったことがきっかけである。
 次に作文を書く「フローラ」という10人足らずの会にも参加した。この会は会員も固定し、30年以上存続し、昨年7月に270号の会報を出して解散した。私は途中からの参加であるが、それでも解散時までに13年、92回に及んだ。各自が思いのままに数枚の作文を書き、世話役の人に送ると会員分の冊子を作り、各自に送ってくれる。意見交換するでもなく、テーマを設けて書くわけでもなく、それだけでこれだけの期間存続するとは立派なものである。解散したのは書く人が少なくなったことにある。これだけの期間、テーマを自分で見つけ書き続けることは大変な努力がいる。中心になっていた人は自分の文の他に「はじめに」と「おわりに」の言葉も書いていたから、その努力と能力には本当に感心する。私も参加している期間は一度も欠かすことはなかった。3,4枚3000字程度の文章を目途に書いていたが、時には1枚の時もあった。内容はともかく、ただ不投稿にしたくなくて提出していた。
 この2つの会は奇しくも平成13年に解散になってしまった。会が解散になって私もやむなく途絶えてしまったが、それでもこれだけの間を継続できたことは十分に誇れることだと思う。確たる考えもなく「継続の秘訣」などという、私には不相応に大きなタイトルを掲げてしまったが、継続できた理由を推測してみたい。
 1)会に参加したこと。
 一人では継続が難しいことも、仲間があると以外にたやすくできる。定期的に人のつながりの中で行っていく力は大きなものがある。川柳は妻も一緒にやっていて、私がさぼりたくなるといつも叱咤されていた。また、名目上ながら会長になっていたこともおいそれと止められなかった。フローラの方は会員も少なく、自分が書かなければという責任感と、何としても欠かさないぞという意地みたいなところがあった。
 2)好きであること。少なくとも嫌いでないこと。
 句を作ることも文章を書くことも好きでも得意でもなかったが、続けているうちに自信がついてきた。最初は苦痛なときもあるが、それを乗り越えるまで努力が必要であろう。好きになり得意なものになってしまえば後は楽に続いていく。
 3)公言して自分に負荷をかける。
 無言実行ではなく有言実行である。無言実行には奥ゆかしさがあるが、鉄の意志が必要である。有言実行には軽率感があるが、止めた場合に体裁が悪いという負荷を自分にかけ、それを利用して続ける。この手は私がよく使う手で、凡人には有効である。いつだったか定かでないが、川柳東浦の会において「会が存続する限り続けます」と宣言したことがある。調子に乗ってとんでもないことを宣言したものだと悔いたが、はからずも現実となってしまった。この宣言したことも継続の力になっていたと思う。

文武両道とはこれまた大げさな言い方であるが、私は文芸的なことと運動的なことの両方を行なうようにしていきたいと思ってやってきた。文芸的なことについて書いたので、次は運動的なことに触れてみたい。
 学生時代は剣道や弓道といったものをやっていたが、就職して途絶えた。そして、体力の衰えを感じ始めた30歳過ぎにジョギングを始めた。一生懸命取り組んでいた年もあるが、絶え絶えの年もあった。更に、40歳半ばになってウォーキングの魅力に取り憑かれ始め、次第に転向してしまった。アル中(歩き中毒)と自称するほどに年々深入りし、今年(平成14年度)より愛知県ウォーキング協会と一宮歩こう会の役員を引き受けて、もう続けるより仕方がないところまできた。ウォーキングについては「歴史を尋ね、自然に触れ、友と語らう」と私はよく言うが、どれも自分の好きなことであり、ジョギングからの続きで体力にも自信がある。今のところ継続に不安はない。

 続くものがある一方、止めたものも多い。
・百人一首をやってみようと、テープ付きのカルタを買って覚え始めたが、覚えきらないうちに止めてしまった。
・8ミリカメラに一生懸命になった時期があるが、子供の成長と共にほこりをかぶっている。
・合唱にも参加したが、5年ばかりで止めた。これは1年のつもりだったから良く続いたとも言える。
・点字も5年ばかりで止めてしまった。
・トレーニングセンターに通い始めたが、数ヶ月で棒を折った。
・エアロフィットネス(自転車漕ぎ)を買ったが、眠ったままである。
・カラオケセットも買ったが、数回使ったのみである。
等々、続いているものより止めたものの方がはるかに多い。それはあまり好きではない、単独である、目標の設定が難しい等があげられよう。


 以上、私自身が続けていることと、止めてしまったことを紹介しながら、継続しやすい条件を推測してみた。あまりに大雑把で何の参考にもならないし、例えば、好きになるにはどうすればよいかまで踏み込まねば意味がない。ダイエットも非常に継続しにくいひとつであるが、あるホームページを見ていたら50もの継続する方法を載せていた。ことによってはさほどに継続は難しいのである。それだけ継続には意味がある。「継続は力なり」である。ささやかでも良いと思われる行為は、いろいろな知恵を働かせながら続けていきたいものである。凡人が成果をあげるには継続という成果が最も手っ取り早いのだから・・・それができなくて何ができようか・・・。
                    (平成14年5月5日)

川柳&ウォーク