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結  婚  式

 先月(平成14年3月)に二女が結婚して、私の子供二人は独立していった。親として大きな役目を終えたこの機会に、娘の結婚式を通してその雑感を記してみたい。
 長女は3年前にレストランで結婚式を挙げた。人前結婚式とでも言えばいいのか、神も仏もなく、参列していただいた人の前で誓いの言葉を読み上げ、婚姻届に署名するというものであった。披露宴も同じ席で、友人を主体に賑やかに行われた。BGMは自分たちで選び、お帰り時には手作りの現代押し花を一人ずつに渡していた。
 二女も長女の場合を参考にしながら、こちらもかなり手作りであった。ただ、結婚式はレストランの半分を使い、二女が懇意にしていただいている牧師さん夫妻のはからいで、正味1時間もかかる本式な教会式であった。披露宴は残りの半分の場所に移動して、これもまた賑やかに行われた。

 
二人の娘の結婚式を終えて、特徴的なことを少しあげてみたい。
1)仲人をお願いしなかった。
 これは今の時代かなり一般化しているようで、特に特徴といえることでないかもしれない。
2)結納は断った。
 結納も一つのけじめであるかもしれないが、結納品を飾るほどの家でもないし、結納金は何か嫁入り道具を要求されているようであり、また、娘を売り渡す感じがして、話はあったが断った。両家とも特にこだわられることもなく、受け入れていただけたことは幸いであった。その代わり、料理屋で会食をし、二人がプレゼントを交換するという形をとった。
3)本人たちの工夫を生かした式であった。
 結婚式を本業とする結婚式場ではなく、副業的に行っているレストランを選んだので、かなり自由に本人たちの希望が受け入れられた。引き出物、衣裳等本人たちがいろいろな店を走り回って気に入るものを探していた。結婚式の案内状、全体の席次表などは本人たちが作ったものであった。特に、席札に一人ずつ手書きで、感謝の気持ちやこれからの決意を書いていたことは、親ながらその心使いと努力には感心した。費用についても本人任せであるので、どのような結果になっているのか知らない。親もお祝品を贈るという感じで対応したので、さほどの負担はしていない。

 以上のようなことをあげてみたが、結婚式は親の方が一生懸命になる話をよく聞く。親の愛情がなせることで、特に否定はしないが、私は本人たちが工夫をし、努力をした方が思い出深いものとなり、本人たちのためであると思っている。私の妻も私の考えにほとんど賛意を示すが、それはたぶん、私たち自身がこうした結婚式であったからであろう。私たちの場合は、事情もあって友人たちで結婚式実行委員会を作ってもらってあげた人前結婚式である。私たちがそれを誇りに思い、また、そんな結婚式を望んでいることを娘たちは十分に承知していたのだろうが、承知していてもできることではない。相手方の家族も納得しなければならない。

 さらに結婚式は本人たちや両家がよければいいと言うだけではなく、社会に生き、普通に世間づきあいをさせてもらっていくには 世の中のしきたりに調和しなければならない部分も当然ある。私の住んでいるところは「名古屋嫁入り物語」というドラマができるような、豪華な結婚式で名をはせている尾張部の田舎である。現在はかなり簡素化されたと思うが、例えば嫁入り菓子を撒くなどという習慣は今も残っている。家から花嫁衣装を着て出れば菓子を撒くことも様になるが、二人とも式場で身支度をしたのでそれはできない。そこで、撒く代わりに妻が娘と一緒に隣近所に菓子を配って歩いた。また、隣組という相互扶助組織があるが、その人たちも結婚式に招くことになっている。一般には跡取りの時に行うのであるが、娘二人とも相手の姓を名乗ることになったので、跡取りというのが曖昧である。しかし、一家に1回はする必要があるので、今回、結婚式の翌日にその人たちだけを料亭に招いて披露した。これは招かれる方もその方がよいだろうという、私の考えで行った全く新しいやり方である。
 こうして私にも満足度の大きい結婚式を娘たちが作ってくれたし、私もまがりなりにも世間とのつきあいを果たし、ホッとしているところである。

 
花嫁の父親の心情は特別なものがあると言われてよく聞かれるが、私自身でももう少し感極まるものがあるかと思っていたが、意外なほど淡々としていた。娘を取られるという感情から言うのであろうが、少しやせ我慢の気がないわけではないが、結婚は取った、取られたではないと思っている。幸いに二人とも県内に住んで、会おうと思えば容易に会うことができるのも、淡々とできた理由かもしれない。

 以上、二人の娘の場合を書いてみたが、例外の話でもあるように思うし、最近では取り立てて言うほどの話しでもない気がする。別々の環境で育った二人が、始めて公式に二人して世間にでる行事である。昔に比べれば簡素化されてきたと言ってもまだまだ大変な行事である。家庭によってもその差は大きい。両家の事情もまだお互いよく分からない中で調整して執り行わなくてはならない。あまりの煩わしさに結婚を止めたくなる話も聞く。結婚式は若い二人の門出の儀式である。それによって二人の門出を祖害すようであってはならない。二人を忘れた議論は厳に慎まねばならない。それを分かっていながら難しいのは、お互いは善意のつもりで議論しながらも、かみ合わないときが往々にしてあるのである。当人たちのためといいながら、実は自分の見栄や、自分方を有利に図ろうとしていないか、時々振り返ってみる必要がある。
                     (平成14年4月19日)

川柳&ウォーク