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高 齢 化 社 会
60人ばかりのメーリングリストに参加しているが、その中のkさんが老人介護の疲れから倒れてしまった。義父に介護が必要になったことをメール上で発言し始めてまだ数ヶ月のことである。kさんとは2年ばかりのメール上の交流のみで、会ったこともないので家庭環境等もよく知らない。ただ非常に頑張り屋さんで、気遣いもよくされる方と感じていた。kさんの発言内容が気になって私は「介護保険など利用できるものは何でも利用する、周りの協力を得る、頑張り過ぎないように気をつける」というようなことを何度も書いた。自分の両親と義父母の4人の老人を抱え、これからどうなるだろうと気にかかる。 こうした話を聞くことが日に日に多くなっている感じがする。平均寿命が80歳という時代になり、90歳を越える人も珍しくない現在、看るべき人が看られる側になっていたり、Mさんのように一夫婦で4人の親を看なければならない例も多くなっている。こうした老人問題始め人口問題は専門家には十分見通しがつく問題である。現在の介護保険などはその見通しのもとに作られた制度と思っている。我々にはその制度を信じて、上手に活用していくしか方法はない。 我が家も今年87歳になる老母がいる。老人性痴呆症と診断され、デイケアなどのサービスを利用するようになってもう丸4年になる。介護保険も当初から要介護3と認定され、それが今も続いている。一時かなり悪い状態だったが、妻の誠実的理性的な対応に老母も信頼し、小康状態を保っている。小康状態を保っている理由に「自分でできることはできるだけやってもらう」ことや「庭の草取りなどのできる仕事がある」ことと思っている。妻は自分でする方がよほど楽であろうが、毎日同じことを繰り返し言って、老母にできるだけやらせるようにしている。本当に頭がさがる根気である。花畑や庭の草取りは家族の一員として存在を示せる場である。私がすれば簡単に終わることであるが、できるだけやってもらうようにしている。寝ているだけの冬場はやはり調子がおかしくなるのである。 今年の3月に二女が結婚して家を出ていった。夫婦と老母の3人の生活に入った。私も定年まで片手で数えられるほどの年齢になった。親の面倒をみるという問題に加え、自分の老後をどう迎えるかを真剣に考えねばならない。先日ある雑誌を見ていたら、東京電機大学の斉藤教授が 「高齢者福祉というと、ヨボヨボで動けない人を助けることだと思っている人が多いかも知れませんが、そうではありません。確かに寝たきりの人もいます。でも今日においては元気な高齢者が非常に多いのです。ただ、若い人に比べるとどうしても部分的に衰えたところがあるのです。ですから、環境を整え、その衰えた部分を補えば、若い人と何ら変わりない力が発揮できます。この衰えた部分を補うことこそが老人福祉なんです」 と言ってみえる文章に出会った。少子高齢化の社会に向かって、高齢者を生き生きと社会に参画させる、本当にそうだろうと思った。 そうした中で自分をどうとらえていくのか、労働提供者として有用な能力や働き場所はあるのか、また、個人生活として趣味やボランティアなど生き生きと活動できるものはあるのか、自分自身に問うていかなくてはならない。私自身の後者についてはこのホームページでも紹介しているように、川柳とウォークを長く続けている。今後これを発展させるのも一つの方法だと思っている。例えば、ウォークでは今年から愛知県ウォーキング協会と一宮歩こう会の役員を引き受けた。単なる自分の楽しみからボランティアの域に発展を始めた。方向性を確認しながら進めていきたい。川柳についても同様である。 いずれにしろ、私には与えられた環境を生かしながら、老母に1日も長く穏やかに過ごしてもらい、自分たちもまた自分たちにふさわしい健全なすごし方を見いだし、努力し、積極的に生きていきたい。といってもいつ痴呆が始まり、体調不良を起こすかもしれない。そのときは考えてやってきたのだからと、その成り行きを淡々と受け入れられるようになりたい。 世界一の高齢化社会に確実に向かっている中、世の中の変化もすさまじい勢いで進んでいる。高齢になっての社会の変化は大変つらいものがある。しかし、最初に紹介したメーリングリストのメンバーに、昨年からパソコンを始めインターネットも始めたという75歳の男性と、66歳の女性がみえる。これからの社会の一つの手本である。日本の福祉に不満を言ったり、要求をするだけではもうすまない状況になっている。高齢化社会の中の高齢者はより一層考えねばならない。 (平成14年4月10日) |