zu009
尾張野ウォークを
     振り返って


 日本ウォーキング協会が全都道府県で展開しようとしている「オールジャパン ウォーキング」の愛知大会を、一宮市を中心とした尾張部で開催しようと話が聞こえてきたのは、昨年(平成13年)7月頃であったと思う。そして、8月17日に第1回目の打合会が開かれ、私にも出席依頼があったので出かけた。来年1月開催という話しに、そんな短期間で準備ができるとはとても思えなかったが、平成14年1月19・20日の開催が決まった。
 この大会は日本ウォーキング協会、愛知県ウォーキング協会及び一宮歩こう会が主管団体となったが、準備が始まると開催地が一宮市ということで、自然に一宮歩こう会が主体的になっていった。私は愛知県ウォーキング協会及び一宮歩こう会の一会員として、わずかであるが携わってきた。2,3回の打合会に出席したこと、コースの下見に出かけたこと、大会前日の2日間仕事を休んで、コースに案内板や矢印を取り付けたり、会場設営の準備を手伝ったくらいである。


 大会は、織田信長や豊臣秀吉が青春時代に駆けめぐった地として、「信長・秀吉 尾張野ツーデーウォーク」とつけられた。一宮の真清田神社をスタート及びゴール地点として、2日間で6コースが設定された。初日の19日は「犬山城40kmコース」「小牧城30kmコース」「浮野古戦場12kmコース」の3コースで真清田神社から東部方面に歩くコースとし、2日目の20日は「清洲城30kmコース」「稲葉宿20kmコース」「妙興寺8kmコース」の3コースで真清田神社から南部方面のコースが設定された。戦国時代を彷彿させるコース名である。
 信長・秀吉という大会名が良かったのか、北海道から鹿児島まで全国から1200名の事前申し込みがなされ、当日も200名の申し込みがあった。2日間で延べ2500人以上の人が歩いた。続々と送られてくる参加申し込みに幹部は嬉しい悲鳴を上げていた。どうも1000人くらいの予想を立ててみえたようで、記念品等が足らなくなって追加注文された。それでも当日申し込みの人に渡らない人が出たようである。

  1月開催ということに私にはいささか不安があった。尾張平野という全く平坦な地形に、ウォーカーにはもともと魅力の少ないところである。それも花などが咲き、季候の良い時期ならまだしも、伊吹おろしの寒風吹きすさぶ時期である。午後はどのコースも向かい風になり、この風にあたったら耳など引きちぎれるかと思うであろう。雪が舞うかも知れない、それが普通である。でもウォークの良し悪しの半分以上はまず天気であるので、第1回目だけに天気はなんとか良くしたかった。
 ところが誰の心がけが良かったのか、2日間ともこの時期これ以上のウォーク日和はないという穏やかな日であった。何という天の配剤であろうか、本当に感謝したくなる。翌21日が朝から強い雨で、大雨警報も出た。1月に大雨警報が出るのは名古屋気象台に記録がある昭和33年以来初めてという天気だっただけに、本当に幸運を思わざるをえない。


 私は第1日目犬山城40kmコースのコースリーダーに指名されていた。また、準備運動の先導も言われていた。ところが年末から、肩から首にかけて痛く、辞退しようかと様子を見ていた。でも何とかやれるだろうとそのまま引き受けて、指令台上でラジオ体操第1をやった。指令台も不安定で思うように跳んだりできなかったが、何とか形だけはついたろう。この歳になって言うのははばかられるが、小学校時代に市の徒手体操の大会で好成績を収めたことが今でも自信になっている。人間の面白さだ。そして、コースリーダーとして真清田神社を出るときは、会旗を掲げて先頭を歩くという晴れがましい舞台を与えられた。翌日の新聞にこの場面の写真が掲載され、豆粒ながら私と分かる人もあって、このことで声をかけられたりした。ただ、1kmほど歩いたところで、次に出発するコースのためにこの旗を取り戻されてしまったのは残念であった。旗が無くなればただの人である。
 翌日は清洲城20kmコースのアンカーをつとめた。アンカーはウォーカーに気を配りながら最後尾を歩き、案内板等を回収していくのである。アンカーは自分のペースで歩けない上、最後尾のウォーカーの気づかい等もありなかなか大変である。

 この大会を振り返ってみて、よくこんな大きな事ができたとただ感心する。それは第一に一宮歩こう会の会長、副会長とそれを支えてきた幹部にあると思う。本当に敬意を表する。会長は地元の本屋さんの社長で知名度があり、また、タウン誌を発行されるなどこうした企画のノウハウを持ってみえるのである。副会長も仕事上やボランティアを通して顔の広い人である。幹部には定年してまもない気力も体力もまだ十分な人が揃っている。大きな力である。
 他の大会にはない新しい試みがいくつもあった。申込者には事前に大会誌を送って地域のことを知って来てもらう、前日からの泊まり客にはホテルの部屋にウェルカムカードと名産品を置いて迎えるなどという配慮がされた。またコース上では湯茶や名産品、ぜんざいのサービス、資料館などの無料または割引入場券の配布、ウォーカーの安全誘導等沢山の地元ボランティアの協力があった。特に印象的なのは犬山城コースの大口町・堀尾跡公園の歓迎ぶりである。ウォーカーが通りかかると、踊りをして歓迎してくれていた妙齢のご婦人十数人が踊るのを止めて、一斉に寄ってきて歓迎の拍手と声をかけてくれるのである。あれには驚いた。また、ゴールした人を温かく迎えるために、尾張名産の名古屋コーチン、宮重大根、千秋ネギなどの入ったオリジナルな汁が考えられた。これらの多くも寄贈であった。こういうことにあまり慣れていない地方の初の大会で、通過する10市町にこれだけの理解・協力を得るのには大変な苦労と努力があったと思う。これが最も感心するひとつである。今回の出来事がこの地方に与えた影響は、今後徐々に出てくると思う。


 こう書いてくると良かったことばかりのように思われるが、実際はかなり不平不満の多い大会であったと思う。参加者からの苦情は絶え間なかった。叱られた人もかなりいるようである。会ができてまだ数年の一宮歩こう会の実力、準備期間の短さ、尾張特有の気質などいずれも厳しいことばかりで、内情を知る私に感心はすれども不満を言う気は少しもないが、全国から招くウォーカーにこんな弁解は通らない。今後も愛知大会はこの一宮で開催することになるのなら、そういった声をしっかり拾い出し、今後どうするかを検討し、一宮の姿勢をはっきり持って進めねばいけない。
 私が昨年参加した京都の宇治から福井の永平寺まで歩いた七街道ウォークで、第9班で一緒だった人には20人中18人も参加していただいた。この大会を同窓会ウォークにしようということになっていたので案内を出したが、まさかこれだけの人に参加してもらえるとは夢にも思っていなかった。初日の夜にその人達で懇親会を開いたが、ホスト役の私がなんとも恥ずかしい態度を晒してしまった。生涯の悔いになりそうである。今その人達にも意見を求めている。
 しかし、一方こんなことも思う。参加者からの苦情の話を聞いていると、一部のウォーカーにはわがままや横暴と見られるものを多々感じる。サービスを受けるのが当たり前になっているのではないか、会費を払っていると言うが、その会費でどれだけのサービスが受けられると考えているのか疑念が湧いてくる。先ほどから書いているように今回でも非常に沢山の無料提供を受けている。世話している人も皆ボランティアである。一宮歩こう会の会員は参加費を払ってボランティアをするのである。私など歩いたからまだ良いようなものの、大半の人は歩いてもいないのである。私も多くの大会に参加させていただいているが、マナーを守り、感謝の気持ちを忘れないように気をつけないといけないと、より思うようになった。そして、尾張野ウォークがより良い大会になるように微力ながら今後も協力していきたいと思う。何しろウォークは私の人生の伴侶なのだから・・・・・
                               (平成14年2月5日)

川柳&ウォーク