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七街道ウォーク
   
                   「七街道ウォーク第9班完歩記念誌」発行にあたって、
                        全行程を振り返って書いて欲しいという依頼があり、
                        乞われるままに記憶を辿って綴ってみたものを一部修
                        正たものである。ホームページ「ウォーク→七街道」
                        と併せて見ていただけるとありがたい。       


 平成12年9月11日から12日にかけて、愛知県内では伊勢湾台風以来という水害に見舞われ、このウォークの参加が危ぶまれたが、何とか9月15日の朝、家を出ることができた。スタート会場の宇治・興聖寺に来てみれば、台風が日本に近づいている不安定な天気ながら約900人のウォーカーが集まっている。10時30分興聖寺を出発、乃木神社まで一気に歩くが、真夏と違わない暑さにもうここまででかなり疲れる。昼食は参加者の多さに御香宮の予定を少し先の伏見港公園に変更となる。もう1時になっている。その後、誕生寺、欣浄寺、藤森神社を拝観し、初日のゴールの建仁寺に着いたのは5時40分、もうほとんど真っ暗である。五条大橋近くのホテルへ急ぐ。ホテルは3人の相部屋で、私が最初に着いたが、その後入ってみえた人は全身ずぶ濡れである。アッという間の土砂降りで防ぎようもなかったという。少しの違いが大変な違いになってしまった。
第2日目の9月16日は昨日のゴール・建仁寺からの出発である。いつ降り出してもおかしくない空模様に、出発式は簡単にし、ゴールも3kmばかり短縮、昼食はゴール後ということに変更される。平安神宮で少し休憩するが、詩仙堂では流れに沿って拝観し休まずに先を急ぐ。曇り空のため昨日より体は楽であるが、いつ降り出すとも知れぬ空模様に気持は焦る。八瀬遊園で休憩したのみでゴールの左京区花尻町の土井しば漬け店に着いたのはまだ1時である。しば漬け店の工場等を見学して、宿の民宿に向かう。宿に着きしばらくすると雨が降り出す。
 第1ステージ最終日の9月17日は三千院からである。鯖街道をひたすら歩き、花折峠では峠越えのコースとトンネルを通る短縮コースに別れる。今日は雲一つない快晴にさわやかな風、素晴らしいウォーキング日和である。コースも旧街道を歩く部分が多く、茅葺きやトタン屋根の家がやたら目につく。そんな風景に山里の雰囲気を満喫する。そして、3日目ともなると親しくなり声を掛け合う人も多くなる。ゴールの大津市葛川・明王院には2時に到着、すぐ貸し切りバスに乗って湖西線の堅田駅に向かう。
 ウォーキングの満足感は天気に大きく左右される。悪い予報の中の出発であったが、初日少し降られただけで終わったのは幸いであった。こうした大会は平常では見られないものが見られるのも大きな魅力であるが、今回も興聖寺や建仁寺で特別拝観があった。

  
 

第2ステージ初日は平成13年3月31日、前回のゴール大津市葛川の診療所からである。今回の参加者は前回の約6割500人である。午前11時に出発すると、まもなく雨が降り出す。昼食場所の龍松寺では幸い止んでいて助かった。ところがその後再び雨に、そしてなんと雪まで降り出す。カラフルな雨具を着て500人が1列になって歩く風景は壮観である。濡れて冷え切って興聖寺に到着する。お御堂にあげていただき、熱いお茶をよばれ、ストーブで体を乾かす。本当に助かった、ありがたかった。1日目のゴールはその後15分で到着する。今日の宿泊場所は「朝日の森 自然研修所」である。4人用のコテージで飲んで話して宿泊の良さを満喫する。
 翌朝、目を覚ましてみたら外は真っ白、そしてまだ雪が降っている。管理人さんも4月に入って雪が降るとはと驚いてみえた。この地方でも滅多にないことのようである。うっすら雪で化粧した山の景色は墨絵の世界だ。しかし、研修所を出る頃には雪も止み、まもなく青空が広がる。今日も淡々と歩くが、昨日と違って暖かく晴れ上がり気分は上々である。今回の一番の見所、熊川宿ではゆっくり見学する。宿場町に入ると気持ちもタイムスリップし、ゆったりした気分になる。ゴールの上中町役場には2時半に到着する。小浜線が電化工事でバス代行になっているという思いがけないこともあったが、敦賀回りで無事帰宅する。


第3ステージは6月9・10日の2日間。上中町役場を10時に出発し、概ねJR小浜線に沿って歩く。梅雨の晴れ間というにはかなり暑い日である。歩き始めて1時間程で明渓院に着き、更に10分くらいの鳥羽小学校で早い昼食となる。その後、常在院を経て円成寺に着く。円成寺では素晴らしい松が迎えてくれる。「見返りの松」と知って納得する、うまく名付けたものだ。3時半には初日のゴールの三方駅に着く。
 迎えのバスで三方町小川の民宿に行く。その民宿には我が9班の班員のみが泊まるように配慮されていた。夕食時には飲むほどに盛り上がり、ユニークな自己紹介が続き皆一挙に親しくなった。
 2日目は三方駅近くの三方町役場からである。今日は30kmあり、帰りの列車の時刻を配慮して最初からかなりのスピードで歩く。歩き始めてまもなく左手に三方五湖がみえてくる。久々子湖では湖畔を歩く。親しくなった班員と次々声をかけながら進む。木野トンネルを通って、千鳥苑脇の砂浜で若狭湾を見ながらの昼食となる。その後、関峠を通り、幸松寺に参拝し、ゴールの永建寺に午後3時の到着となる。
 今回のステージは私にとって格別のステージとなった。9日の日、スタート会場で配布された冊子に私のホームページの第1・第2ステージの記録の全文が6ページに渡って掲載されていたのである。私のホームページがこれほど大きく扱われたのは初めてで、感激と恐縮の極みである。


 第4ステージは、第1ステージからちょうど1年後の9月8・9日である。8日は敦賀駅前からの出発である。昨日までの雨も上がり上天気の中、歩き始めてまもなく、寺の一角に大谷刑部吉継公の供養塔がある永賞寺に参拝する。今日は全行程を通じて最も厳しい「木ノ芽峠」を越すということで、余力を蓄えながら歩く。昼食後まもなく木ノ芽峠登口にさしかかる、いよいよである。道路脇に真新しい「道元禅師入越慕古の道」の碑が立てられている。急な坂を1.5km、約1時間で峠に到着する。疲労困憊である。峠の茶屋では今日のために店が開かれている。木の芽団子を買って9班の到着する人にささやかな褒美として渡す。そして、集まった班員で感激の記念写真を撮る。その後は下り坂一辺倒、言奈地蔵を左に見、板取宿に下り、北国街道をどんどん歩いてゴールの今庄サイクリングセンターを目指す。そしてそこが今日の宿である。
 翌日9日も朝から雲一つない、さらによい天気である。棟岳寺、今庄宿場街を通り、湯尾峠にかかる。我々のためにであろうか、下草も綺麗に刈られている。今日はさほどのこともなく30分ほどで峠に到着する。そして、湯尾の町に下り日野川に沿って歩き、南条レインボーパーク(南条SA)で昼食となる。いつものことながら、第2日目の午後からは帰りを急ぐ人が多くなり、スピードが上がる。3時頃にはほとんどの人が武生駅に着いた。
 それにしてもこの第4ステージは天気に恵まれた。前日の9月7日(金)も後の9月10日(月)も雨であった。もし10日にずれていたら台風15号の影響で中止になっていたかも知れない。良すぎて暑くて疲れた2日間であった

 

いよいよ最終ステージ、永平寺を目指して第5ステージが10月27日から始まった。武生駅より歩いて15分くらいの龍泉寺で出発式が行われる。そして、室生寺、萬慶寺と進む。秋晴れの上天気の中、少し汗ばむくらいで快適である。鯖江市役所近くの西山公園でちょうど12時、紅葉も始まっており、その下で昼食を取る。その後はひたすら歩き、予定通り午後4時に本日のゴールである福井中央公園に着く。
 そして最後の夜になるこの夜の食事は、料亭ですることになっていた。班長さんが予約しておいた料亭に9班全員が繰り出す。十分に飲み、十二分に話し、楽しい夜を過ごす。
 翌28日はいつ降り出すとも分からぬ天気の中、中央公園から歩き始めるが、1時間もすると雨が降り出す。羽二重餅の古里で休憩をとり、志比南小学校で昼食となる。昼食を終えればいよいよゴールの永平寺である。3班ごとに隊列を組み、雨の中、永平寺に特別参拝する。参拝後近くの寂光苑で解散式である。その前に寂光苑の入り口近くに設置された「完歩記念碑」の除幕式が行われ、解散式では永平寺から完歩証と記念品が渡される。田中康彦日本ウォーキング協会長始め多数の人の完歩を祝す言葉が述べられ、皆それぞれ感激を胸に抱きながら帰路についた。



 私のおかれた家庭や仕事環境から、5ステージ・延べ11日間・250kmのウォークに全コースの参加は考えられないことである。それも1年ちょっとの間にである。それが「できてしまった」と言うことはいくつもの幸運が重なってできたと思う。(1)冒頭にも書いたように、東海豪雨のすぐ後で参加が危ぶまれたが、幸いにも参加できた。ここで躓いていたら、多分1ステージも参加していなかったと思う。(2)第2ステージを終えた段階で私のホームページを参加者に紹介したい旨連絡をいただいた。それが、少し無理してもその後のステージにも参加し、ホームページ上でこのウォークを紹介するのが私の使命のように思えた。これも全コース参加の大きな動機付けになった。(3)どのステージも初日の出発時間がかなり遅く設定され、私にはどのステージも前泊を要しなかったことも大きい。(4)更には私の所属した班が良かった。班員のほとんど全員がいつも同じ宿に泊まるという幸運もあった。一夜を共にし、一緒に飲食をするというのは親しくなる大きなチャンスである。そのチャンスを班長夫妻が大きく生かされた。「同窓会ウォーク」をし、「完歩記念誌」を発行するような班が他にあるであろうか。
 延べ11日間にはさわやかな日、酷暑の日、雨の日、更には雪の日といろいろな天気があったように、いろいろな出会いや体験があった。こうした思い出深いウォークを作ってくださった皆さんありがとう。
                         (平成14年1月18日)


 
川柳&ウォーク