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東海豪雨を振り返って
東海地方、特に愛知県民とって昨年9月11日から12日にかけての東海豪雨は、昭和34年の伊勢湾台風以来の水害となった。あれからもう1年立ち、新聞等で東海豪雨を扱う記事が目につくので、私も少し振り返ってみたい。 私は11日夕方、終業後早々帰宅の途に着いたが、途中で電車がストップしてしまい、いくら待っても動きそうにもないので歩くことにした。しかし、途中から運良くタクシーが拾えたが、それでも道路が冠水していて引き返すことが何度もあったりして、普通なら1時間くらいのところを5時間かかって帰宅した。自宅は大丈夫だったが、近くの川は越水し田や畑は海となっていた。翌朝の道路には水に浸かって動けなくなった車がかなりの台数放置されていた。 名古屋の北西部を流れる庄内川や新川が決壊し、西枇杷島町を中心とする地域が最大の被害地域となっていた。この地域を通過する道路は混雑を極め、JRや名古屋鉄道は復旧に時間を要し、岐阜・名古屋間の移動はかなりの困難を生じた。この地域の災害が大きく報道されたが、被害はほとんど県内全域に及んでいた。 9月11日の未明から12日までに、名古屋市で567mmの降雨量を記録し、明治24年に名古屋気象台が観測を開始して以来史上最高の雨量で、名古屋市の年間雨量の約3分の1に当っていた。時間雨量でも11日午後7時に93mmを記録している。88市町村のうち77市町村が被害を受け、21市町村に災害救助法が適用された。死者7名、負傷者97名、床上浸水21900棟、床下浸水40700棟、河川や砂防の施設被害は800カ所、道路橋梁の被害は500カ所などとなった。 通信施設や排水ポンプが故障で動かなかった、災害非常食がすべて水に浸かって役立たなかった、連絡情報がうまくいかなかったなど、何か基礎的な部分の欠陥も露呈された。水が引いた後、ゴミの量が膨大でその処理が困難なこと、水に浸かった車が交通障害になっていることなども伝えられた。 その後、庄内川や新川には特別の災害復旧費がつけられ、新たな計画のもとに防災対策が進められている。また、ゴミの処理にも大変な費用と時間を費やして処理されたようだ。この東海豪雨を振り返り、浅薄な知識ながら少し問題点と対策を考えてみたい。 まず第1に、町の発展に河川等の改修計画が追いついていかないことがあげられる。都市型災害といわれるゆえんである。田や畑は次々とつぶされ宅地化している。一方、個人の権利が強まった昨今、防災のためといっても用地買収をしての河川改修計画は、なかなか理解が得られず進まない。災害があると役所の怠慢を言って非難するが、役所を非難しているだけでは何も進まない。田畑の貯留能力はすごいものがある。これだけの雨水貯留池を造ろうと思ったら何百億円かけてもできない。これから都市近郊において田は単なる米作りの場所というとらえ方ではなく、貯留池という機能を重視したとらえ方が必要だ。例えば、転作奨励金を出すという形から水田維持奨励金を出すという形も一つの方法である。水田の宅地並課税もこの面から見ると問題がある。そうしないと都市近郊から水田はますます減り、いくら水害対策を施しても危険は増すばかりである。 次に、一昔前なら建てないような低地や危険地も開発されて建物が建っていくのも、被害を大きくしている要因である。河川や排水施設が整備されてきたことによって、個人の自己防衛や安全意識が低下してきている。人間のすることなど自然というものの前では小さなものである。山は崩れる、川は氾濫するということが忘れられている。住宅地は地形を考えて選ばねばいけない。すでにできている建物に対してはハザードマップの活用も必要だ。ハザードマップとは、河川が破堤した場合の浸水状況等の予測図であるが、作成はまだまだこれからである。 我が家も先日、避難場所と避難経路を記した地図が配布されてきたが、これだけではまだたりないと思った。 そして、つい最近まで全国でも有数の豊かさを誇っていた愛知県が、こんなにも脆かったのかとびっくりしている。豊かな時代にすべき基礎的な災害対策を怠ってきたと言われても仕方がない。いつ起こるか分からない災害対策などは、平穏なときにはなかなか理解が得られずつい後回しにされる。今回この災害で「治水にもっと予算を増やせ」と言う声が一気に上がるが、予算は限られている。どの予算を削って治水に回すのか、「私の要求しているこの道路は少し遅くなってもかまわないので、その分治水に回してください」と言った発言がない限りその発言に信憑性、実現性はない。小泉内閣は強力に行政改革を進めようとしてる。国の使命の第一は、国民の生命財産を守ることである。国も地方も財政難の折り、新しい便宜の提供はできるだけ民間にゆだね、今ある便宜を守ることに重点を置きべきであろう。 土地利用の面から思いつくままに少し書いたが、よく言われていることもあるし、独りよがりの部分もあろう。まだまだ他にもやらねばならないこともあるだろうが、いずれも簡単にできることではない。ひとつひとつ根気のよい積み重ねしかない。だが、災害は明日にも再び起こるかも知れない。だから災害は起きることと覚悟しておかなけばいけない。その上で、起きたときの備えをしておくことが個人でできる一番のことであろう。 9月は防災運動の時期である。愛知県の各地でも例年以上の規模で防災訓練がなされたようである。しかし災害のことはすぐ忘れられる。繰り返しての喚起が重要なことである。東海地震が騒がれてもうだいぶ年月がたつ。最近はその声も小さくなった。地震への備えは大丈夫だろうか。 (平成13年9月7日) |