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電車の中の風景

 7年ぶりに電車に乗って名古屋へ通勤するようになってもう4年になる。毎日変わらぬ風景だが、長い目で見るとかなり変わってきている。
 私は毎朝名鉄犬山線の岩倉駅から、そこ仕立ての各駅停車の電車に乗る。ほとんどの場合座席に座って行き、地下鉄の丸の内駅で乗り換える。帰りも半分くらいは座って帰ることができる。通勤人口は増えたが、列車はそれ以上に増えて楽になった。昭和40年代の犬山線の混雑度はものすごく、混み具合は全国の十指の中に入っていたし、各駅に押し屋さんがいた。
 通勤する人はほとんど毎日、同じ車両の同じ扉から乗り、同じ席に座る。そうして顔なじみになるが、ほとんど挨拶も話しかけることもない。私にはそれが気まずく、不自然に感じられる。いま岩倉駅から最後に降りる駅まで一緒の女性がいる。時には隣に座ったりする。気づいてもう数ヶ月になり、挨拶でもしたい気分に駆られるが、何かきっかけがない限り話すことはないだろう。

     顔なじみの他人がこない 気にかかる
     いつもの席を確保して安堵する

 特に女性に対しては、何がセクハラと取られるか分からないので迂闊な行動はとれない。セクハラの面から東京では女性専用列車が導入されたと言うが、私にはできたら男性専用列車も欲しい。この歳になると、女性への興味より迷惑に思うことの方が多いのである。
 社内で化粧する女性が多くなったが、私には見てはいけないものを見ている気分になる。先日も新聞に、人に迷惑をかけるわけではなく何が悪いのかさっぱり分からない、と言う意見や、見なければいい、と言う意見が載っていた。これが今の若い人の感覚なのだろうか。化粧するのは綺麗と思われたいから、綺麗と思える顔で人に接したいからするのであろう。以前は外に出て会う人がみな人であった、だから化粧は人前でしなかった。今は見せたい、見られたいと思っている特定の人が人で、その人以外は人でないと言うことであろうか。
 先日も香水の強い人に隣に座られて閉口した。どうにもたまらないので席を変えた。香水も人に良く思われたいからつけるのであろうから、それが迷惑だと思われては逆効果もいいところだ。香水のにおいの強さは自分では分からないのだろうか。

      化粧する女のまわりはなすかぼちゃ
      香水のにおいに負けて席譲る

 車内の床に座り込む若者にも参る。隅の方に座ればまだしも、多くはドアの前に座り込む。乗り降りに全くじゃまだ。少しでも楽したいからか、流行なのか、まさか弱いからというわけではありまい。私には訳もなく地面に座り込むのは乞食の意識であるので、奇怪な景色に写る。

   しゃがみ込む若者に託す明日の日本
   流行に若い良識流される

 私には電車に乗って出かけるというのは、晴れの場に出る感覚である。それにはある程度身なりを整えて出かけることになる。服にもお出かけ用と家用が分けてある。姿勢にもその心掛けがあった。その感覚がなくなったのはジーパンやTシャツがはやり始めてからではなかろうか。車内の化粧もしゃがみ込みもそれだからできるのであろうが、私にはとてもなじめない。
 車内が空いているときは隣の人との間隔をとって座る。前に人が立つようになると少し位置をずらして座ってもらえるようにする。私などそうしないと罪悪感さえ覚えてしまう。しかし、7人掛けのシートに5人で座っていて誰も動こうとしない風景を最近よく見かける。先日など「少し詰めてください」と言って殺される人まで出た。人には自分の領域を侵されたくない感覚が働くそうだ。自分が一度確保した良好な環境は、状況が変わっても侵されることを拒否する時代なのであろうか。良い環境も悪い環境も”分かち合う”という風土はもう取り戻せないのだろうか。

     広めの隙間の前に無言で立つ
     少しだけ詰めて幸せ分かち合う

 私は座席に座ると多くの時は本を読む。月に2回発売されるビジネス書をいつも鞄に入れて持ち歩く。その本は以前月1回の発行であったので、持ち歩くには重かったが、月2回になって週刊誌並になった。疲れた日や考え事がある日は最初から開かない。川柳を作ったり文章を考えることも電車の中でよく行う。電車の中は思いのほか集中できるのである。どの人も過ごし方のパターンを持っている。私のように本を読む人、すぐ眠る人、ボーッとしている人、最近は携帯電話でメールを打つ人が多くなった。パソコンを開く人もある。多いのは新聞を読む人であろうか。気にかかる記事を見たとき思わずのぞき込んでしまう。その時、気づいて読まれないようにする人と、無言ながら読みやすくしてくれる人があるのは面白い。

      いつもの席でいつもの本を読む
      他人の新聞が気になる帰宅途中

 車内放送で「携帯電話の電源を切ってください」という呼びかけで、メールを打つのを止めた人を見たことがない。夢中で聞こえないのか、無視しているのか、時には、放送を聞きながら電話をかけ始める人がいる。友人と一緒に乗りながらそれぞれがメールを打っている場面も多い。いま目の前にいる人と話もせず、遠くの人と会話をしている。傍若無人の会話よりメールの方が静かでいいが、何とも不思議な風景である。ひょっとして、別れてからその人とメールで会話しているなんて事はないだろうか。直接話をするのが苦手で、メールでしか話せない人種がすでに現れているかも知れない。
 私の家族はまだ誰も携帯電話を持っていないという時代遅れな家族なのである。

     目も口も携帯電話の虜なり
     メール打つ人で溢れる静けさ

 こうして拾っていたら昔より悪いことばかりになってしまった。昔より良くなったという事がひとつくらいないだろうか。 
 私の乗る路線では鉄道会社のサービスは、昔に比べればだが、格段に良くなった。整列乗車は良くなった気がする。混雑が減って余裕ができたからであろうか。車内が禁煙になって吸わない人にとっては非常にありがたい。しかし、いろいろ頭を思いめぐらしてみても、乗客のマナーで良くなったことはなかなか浮かんできそうにない。

      車内は禁煙大きなあくびする
      悪くなったマナーを拾う数え歌

                            (平成13年6月23日)

川柳&ウォーク