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再び第九を歌う
21世紀を迎えました。尾張西部の一宮市、尾西市および木曽川町の2市1町の主催による「21世紀の開幕を祝する演奏会」という催しが、2001年1月21日に一宮市民会館で開催された。 この演奏会のメインプログラムはベートーヴェンの交響曲第九番ニ短調作品125「合唱付き」、つまり第九です。その合唱の練習が昨年5月より始められた。私はこの催しを知ったとき、参加すべきか迷った。そうこうしているうちに何人もの人から「是非きてください」「お前が来ないということはどういうことだ」というような電話がはいるようになった。こう誘われては行かざるをえないと、9月から練習に参加した。私が最後に第九を歌ったのは、平成2年12月18日のことだから実に10年ぶりのことになる。参加者は160名ほどで、昔と同じような練習の仕方をしていた。ただし、教え方は合唱指導者によってかなり違う。夫婦で指導にきてみえたが、実に親しみやすい教え方であった。 私が参加するようになってすぐに、昔の仲間10名ばかりが練習終了後に歓迎会を開いてくれた。懐かしい顔に昔話に花が咲いた。しかし、その後練習が終わった後の飲み会は1度もなかった。昔は毎週毎回やっていただけに、いかにも寂しく、その分親しくなる人も少なかったのは残念であった。 そして、昨年12月17日にナゴヤドームで「ハート・ハーモニードームコンサート2000」という催し物に参加することが知らされた。この催し物は愛知万博の開会の日に、万博会場で第九を歌うことを目指して、3年前より練習や演奏会がもたれていた。当会にも参加の要請があったのである。一宮の演奏会の前哨戦のようなものであり、参加費も無料である。私も都合良く参加することができた。合唱団3000人、聴衆2万人の壮大なイベントである。少しの緊張のもと、久しぶりに大声が上げられた。 1ヶ月後「21世紀の幕開けを祝う演奏会」は開かれた。 第1部は少年少女の合唱や市民楽団による演奏があり、第2部が市民合唱団180名と、この演奏会のために市民で結成されたオーケストラによる第九第4楽章の演奏である。指揮者は黒岩英臣氏、ソリストは藤原歌劇団のメンバーなど一流の人であったが、その人達を除くと全く市民が主役の21世紀の幕開けにふさわしい演奏会であった。また、行政区域を乗り越えて企画するというのも21世紀にふさわしいものである。私はこの2市1町は早く合併すべきだと思っているので、その一つの現れと好感を持ってとらえた。 会場はほぼ満席、演奏も練習以上のできばえに大成功といえるものだった。快い緊張とライトの熱さと大きなエネルギーを使うことによって流れ出る汗をものともせず、大きな口を開け、大きな声で精一杯歌い、大満足であった。打ち上げパーティーの会場もその勢いで盛り上がった。何回も第九の合唱をし、私も人に負けず劣らず大騒ぎをした。 今回久しぶりに第九に参加していろいろなことを思い起こした。昭和63年に一宮青年会議所が一宮市で第九の演奏会を開こうと企画し、会員募集をした。歌うことに全く縁のない私が、合唱好きな友人に誘われ、興味半分で参加した。そして、演奏会が近づいた9月頃、折角集まった会員をこのまま散会にするのはもったいない、来年以降は市民団体として演奏会を開けないだろうかという動きがでてきた。そして、いろいろな経過をたどりながら「一宮第九をうたう会」が昭和63年12月1日に結成され、音楽音痴の私がなぜか初代会長という重責を担うことになった。250人以上の会員の勢いに乗った熱意に、私は動かされ動いた。大変な紆余曲折を経ながら2回の演奏会を成功裏に終え、平成3年1月20日に会長を退き、平成5年6月25日に退会した。この間の苦労や困難、その成果としての喜びは大変なものであった。また、こうした市民団体の運営として、このときの苦労を担う気になればほとんどの会はこなせる、と言う私の自信にもなっている。 今回の合唱団の3割ぐらいは当時歌っていた人たちであった。練習ではその人達が引っ張ってきたと思う。また、現在の「一宮第九をうたう会」の会員は50人前後になっているが、あの当時歌を始めた人が他の会に移り、合唱活動を続けている人が何人もいることも知った。この地方の音楽文化の裾野をかなり広げたことになる。また、現うたう会の会長から「寺さんが作ってくれた基盤があったからこそ、今日の演奏会ができた」と言ってくれた。もちろんこの言葉には何十倍ものお世辞がはいっているが、嬉しいことである。今回の催し物が木曽川町長の発案であったことも知った。木曽川町長は私が会長の時、副会長の一人をやってもらっていた。もちろん当時は町長ではなかったが、彼のあの当時の感激が発端であったということである。当時、現会長や町長と何度も意見を戦わせながらやっていた。でもこうして今語れるものがあることを嬉しく思う。会長になったときにある人から「寺さんは運があるから自信を持ってやってくれ」と言われたことがある。その是非は別にして、こんな事業はやりたくても、力があっても、多くの人の協力がなければやれないのだから、私は本当に幸運であったと思う。そんなことを含め今回の参加は「第九との出会いは私の人生にとって最大級の出来事である」ということを改めて認識することになった。 この文章を書くにあたり、日にち等を確認するために当時の厚いファイルを開いてみた。こんなにいろいろあったのか、あったのだと改めて驚いている。人間の熱意が結集した力は凄いものだと、人間の素晴らしさを再確認する事にもなった。 (平成13年2月10日) |