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庄 内 用 水


平成22年3月13日(土)、一宮友歩会第27回例会(7月3日開催予定)の
コース選定に、役員3人で歩いた。結果、庄内用水を庄内通から
国道41号を越えるまで、約2.2kmを歩くことになった。


庄内通(交差点)から下流を見る

庄内通(交差点)から上流を見る

伊奴神社付近


この間の庄内用水は遊歩道がよく整備されている。


伊奴神社付近の説明板

国道41号付近
                     庄内用水のあゆみ(現地説明板より)
 庄内用水は名古屋市南西部の肥沃な農地に水を引き入れるかんがい水路として造られたもので、天喜・天正年間(1570〜92)に尾張候が開削させたと伝えられている。
 庄内用水は「尾張徇行記」のなかで西井筋・東井筋などの名で登場し、稲生村(現在西区)のあたりでは稲生川とも惣兵衛川とも呼ばれていた。江戸時代の「古今卍庫」には木津用水などとともに尾張六大用水の一つとして挙げられており、当時新田開発がさかんに行われたものも庄内用水のおかげであった。ほぼ現在の経路になったのは明治10年(1877)に行われた黒川開削のときで、水路総延長は28kmにおよび市内最大の用水である。
 庄内用水はかんがい用水としての役割のほか、資材や収穫物の輸送路としても利用され産業面で人々の暮らしを支えるとともに人々に親しまれる場所でもあった。近年歴史の中を生きてきた用水の価値が見直され、身近な水辺としての役割を果たし始めているが、庄内用水も昭和58年から水と緑のふれあいの場にするため北区と西区で庄内用水緑道の整備が進められており、建設省の「手づくり郷土賞水辺の風物詩」の一つに選ばれた。
                        名古屋市           平成元年3月


その後はふれあい橋を渡って右岸の神社仏閣等を見学した後、水分橋を渡って再び
左岸に向かった。水分橋のすぐ上流には頭首工が設置され、すぐ上流の左岸堤には
樋門が設置されている。この樋門から庄内用水及び堀川に水が供給されている。

   庄内用水頭首工と
     庄内用水元杁樋門


 昭和19年(1944)に頭首工の建築計画がたてられたが、26年になりやっと着工でき、29年3月に1億2700万円を投入して完成した。頭首工の完成により安定した取水ができるようになった。
 旧元杁樋門は明治43年(1910)に石造りで完成した。そして、昭和63年(1988)に旧樋門と庄内川の間に新しい樋門が造られ、旧樋門はその役割を終えたが、そのまま保存された。

旧元杁樋門(上流側より)

旧元杁樋門(下流側より)

旧元杁樋門より下流を見る


今回庄内用水を勉強して、下流の方でもう何度も庄内用水を歩いて
いるのに気づいた。また、つい先日の3月9日に中日新聞記事を見た。


             庄内用水「憩いの場に」
                  ・・・・要望を受け名古屋市 年間通水を決定

 “名古屋市は、北区や西区、中村区などを通って南部まで流れる庄内用水に一年中、水を流すことを決めた。これまで農閑期は水が枯れていたが、住民団体「庄内用水を環境用水にする会」が魚の保護などのために年間通水を求めて奔走してきた。メンバーたちは「市民に親しまれる水辺になれば」と将来像を描いている。
 庄内用水は四百年ほど前に開削された全長約二十八kmの農業用水。春から秋まで庄内川の水を引き込んでいるが、干上がっている冬の間に毎年生き物が姿を消していた。用水で泳いだり、魚を捕ったりした思い出がある地元のお年寄りらが「人と水のかかわりを取り戻そう」と会を結成。用水沿いの桜を楽しむウォーキング大会や、水が止まる前の時期に魚をすくって川に放流する催しなどを開いてきた。
 2004年には3万人分の署名を市などに提出。市は「魚や植物が根付き、市民の憩いの場になれば」と年間通水を決めた。三月末から市守山水処理センターの下水再生水を用水に流す送水管の工事を始める。今年の農閑期には水を流す予定。
 同会の原昭吉会長は、「魚がいれば鳥が集まる。そうすれば自然に人も集まるはず」と喜んでいる。”(3月9日付け中日新聞)


知るといろいろなことが結びついてくるのである。これが嬉しい、楽しい。
ウォーキングの成果となるとより嬉しい、楽しい。


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