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久居藩・藤堂家


平成21年9月13日、近鉄てくてくマップに従って津市の久居の町を歩く。
久居の町は初代藩主として藤堂高通が築いた町と知る。高通ゆかりの地を数カ所回る。

まず久居陣屋跡と言われる高通児童公園を訪ねる。
公園内には高通を讃える顕彰碑と高通公生誕350年記念句碑が立っていた。


高通顕彰碑
藤  堂  高  通
伊勢久居藩の初代藩主。久居藩藤堂家初代。1644年11月、伊勢津藩主・藤堂高次ぐの次男として
生まれる。高虎の孫に当たる。1659年12月に従五位下、佐渡守に叙任する。1663年、父から1万石
500人扶持を与えられた。1669年9月、兄の高久から伊勢11郡5万石を分与されて、津藩の支藩で
ある久居藩を立藩し、その初代藩主・城主格となった。歌道に優れていて、北村季吟らを招聘し、
藩の文治発展に尽くした。著書に「久居八百五十韻」がある。1697年8月に死去。享年54。

高通公生誕350年記念句碑


稲刈りの終わった田園の中を爽やかな風を受けながら賢明寺に着く。
賢明寺には本殿正面に高通公寄進の銅灯籠や本殿裏には高通公五輪塔が立っている。

賢  明  寺
創建は奈良時代、天平3年(731)と伝えられている。地元では親しみを込めて
「千手院の観音さま」と呼ばれている天台宗の寺院。一志郡三十三カ所の一番
札所。県指定文化財の石造板五輪塔や津市指定の山門や銅灯籠がある。
銅灯籠は高通公が寄進している。

銅灯籠

山  門

本  堂
藤堂高通公五輪塔
「藤堂高道公は津藩初代藩主・藤堂高虎の孫として生まれ寛文十年久居の地に
開藩をし、久居藩をおこした。初代藩主として城下町の整備、商工業の推進、
村落の運営などを確立し、久居発展の礎を築いた」 (平成2年建立・建立記より)


川併(かわい)神社などを通り、久居藤堂家の菩提寺である玉(ぎょく)せん寺に着く。
山門をくぐってすぐ右手側に墓所はあった。

玉せん寺
高通公が1679年に境内地を与え、創建された久居藤堂家の菩提所。現在の建物は大正3年(1914)に再建されたもの。初代と2代藩主・高堅の木像、高虎の画像がある


この他に高通公墓所の寒松院や久居神社があるようである。
またの機会に訪ねてみたいものだ。




       (参考と注意点)

 このページを作っていて次の疑問点が見つかりました。

1.「高通公生誕350年記念句碑」で文中「寛文21年」とあるのは 「寛永21年」ではないか。
2.「藤堂高通公五輪塔」の文中「寛文十年」とあるのは「寛文九年」ではないか。

 このことについて、9月16日に津市生涯学習課に問い合わせしたところ、翌日次の回答を頂きました。

1点目、高通児童公園内の「高通公生誕350年記念句碑」説明板の年号ですが、「寛文21年」はご指摘のとおり「寛永21年」の誤りです。
2点目、藤堂高通公五輪塔の説明文の「寛文十年」ですが、ご指摘のとおり正確には津藩から分知した寛文九年であります。ただ、寄贈者とって久居陣屋の建造、久居が命名された寛文十年の方が意識として強いのかもしれません。
 句碑は津市(旧久居市)に移管されており、五輪塔は賢明寺に寄贈されております。各管理者に指摘のあった旨連絡いたします。


 お忙しいところ、すみやかな対応をありがとうございました。(H21年9月18日)

 


        

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