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福知山城と明智藪

平成18年4月15日、七街道ウォーク第9班同窓会ウォークで福知山を訪れた。
福知山は、天正8年(1580)ごろ、丹波平定に成功した明智光秀が
丹波の拠点として新たに城を築いたことから大きく発展した。


その福知山城には転用石を用いるという大きな特徴があった。


灯籠などの加工石が見える

      福知山城石垣の転用石

 天守閣の石垣には、未加工の自然石が用いられ穴太積と呼ばれる技法も認められます。また、今も200くらいの数多くの転用石が見られます。五輪塔や宝筐印塔を始め石仏、石臼、灯籠などが石垣に使われています。
 これほど大量の使用例は、大和郡山城と福知山城しかありません。再建工事の時にも300からの転用石が出土発見され、その一部をここにおいています。

               (左写真案内板より)


明智光秀は福知山のためにいろいろな功績を残したが、明智藪もその一つである。

明   智   藪
明智光秀が城下町を開くために、土師川と由良川の合流点に大堤防を築き、
河道を付け替えたと言われる。その堤防の前面に竹藪を築き、堤防を保護した。

明智藪(手前)と福知山城

明智藪:由良川(左)に土師川(右)が合流する  



醍醐寺にて参加者の面々

    平成18年4月15日付け両丹日日新聞より

 ウオーキングのイベントで知り合った全国各地の仲間たちが15日、福知山に集まり、福知山城など市内の名所を歩いて回った。市内の参加者も2人いて、再会を喜びながらウオーキングを楽しんだ。
 集まったメンバーは、5年前に日本ウオーキング協会が開いた「道元さん慕古の道 京から越前へー七街道ウオーク」に参加した人たち。同ウオークは、京都に生まれた曹洞宗の開祖、道元が山城の興聖寺をあとにして越前の永平寺に人った、そのゆかりの地を訪ねながら歩くイベントで、当日は20以上の班(1班約20人)に分かれて活動した。その時に第9班としてともに歩いたメンバーたちが、毎年、場所を変えて集まり、ウオーキングを楽しんでいる。
 9班の中には福知山市南本掘の芦田精一さん(65)、長田段の塩見与一郎さん(68)もいて、今年は福知山出身者が世話役を務めた。
 福知山の2人のほか、東京や千葉、愛知、広島、福岡などからの参加者がいて、計12人が集まった。一行は福知山駅から福知山城、音無瀬橋を経て醍醐寺までの往復約8kmを歩いた。
 途中の福知山城では福知山の2人がガイド役となり、石垣に墓石などの転用石が使われていることなどを説明。このあとも参加者たちは歩きながら福知山の自然や歴史を堪能した。16日は宮津市の天橋立を歩く。
 芦田さんは「今回は史跡や歴史のある所を選んでコースを設定した。福知山の良い所を少しでも知ってもらえれば」と話していた。


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