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高野山真言宗 準別格本山 西美濃33霊場満願所
金銀山瑠璃光院 美濃国分寺


平成16年11月21日、愛知県ウォーキング協会の例会で訪れる。

天平9年(737)、聖武天皇が仏教を日本全土に広め、国民生活の
安定と国運の隆昌を祈るため、国々に一ヵ寺あて国分寺を建立した。

 美濃国分寺は、行基大僧正が勅を拝し、美濃国の国府、府中に近い青野ヶ原に
来て、住民の除災招福を祈念し、ケヤキの大木一本にて、約4メートルの薬師如来
尊像を彫刻して本尊となし、東西231メートル、南北204メートルの広大な境内に
七堂大伽藍を建立し、仏教興隆の基盤、人心修養の根本道場とした。

 しかしその後、幾度かの天災兵火のため、金銀山と称した程の壮麗な古堂や塔は、
ことごとくその姿を失なったが、幸い本尊の薬師如来は土中に埋もれたままとなり、
元和元年(1615)、真教上人という大徳が来られて、土中の御本尊を発見し、
現在地に草ぶきの小堂を建て、その霊像を安置してから、美濃国総菩提所、
総祈祷道場、魂の修養道場として、再び一国一寺の面影を取り戻すに至った。
 


国分寺跡から見た現美濃国分寺

現国分寺山門



本      堂



奧殿への階段(水子地蔵)

奉納された水子地蔵



奧殿から見た風景
(左前方・大垣市歴史民俗資料館  正面前方・史跡美濃国分寺跡)


ご本尊「薬師如来座像」は別名「馬だらい薬師」といい、久しく土中にあって、
そうとも知らず背中のくぼみで馬の脚を洗ったりしていたことからその名を残す。
一木彫成の木造薬師如来として日本一の大仏さまである。国指定重要文化財。


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