wah044
大湫宿皇女和宮歌碑
中山道は将軍家に嫁ぐ姫宮達の通行に
使われたために「姫街道」と呼ばれた。
中には、公武合体のため、十四代将軍・徳川家茂に
嫁いだ和宮の哀しい思いも秘められてる。
琵琶峠の前後約1km続く石畳 |
琵琶峠(標高540m) 右端・和宮歌碑 |
住み馴れし都路いでて けふいくひ いそぐとつらき東路のたび |
琵琶峠を東側に下ると大湫宿である。大湫宿は江戸日本橋から
数えて47番目の宿場。高札場跡、大湫観音堂、
脇本陣、白山神社、問屋場跡、和宮ゆかりの本陣跡などがある。
和宮が泊まった本陣は、 現在小学校になっている。 それを偲んで2句を刻んだ 歌碑が建てられた。 遠ざかる都と知れば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり 思いきや雲井の袂 ぬぎかえて うき旅衣袖しぼるとは |