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大湫宿皇女和宮歌碑


中山道は将軍家に嫁ぐ姫宮達の通行に
使われたために「姫街道」と呼ばれた。
中には、公武合体のため、十四代将軍・徳川家茂
嫁いだ和宮の哀しい思いも秘められてる。


琵琶峠の前後約1km続く石畳

琵琶峠(標高540m) 右端・和宮歌碑

住み馴れし都路いでて
けふいくひ
いそぐとつらき東路のたび


琵琶峠を東側に下ると大湫宿である。大湫宿は江戸日本橋から
数えて47番目の宿場。高札場跡、大湫観音堂、
脇本陣、白山神社、問屋場跡、和宮ゆかりの本陣跡などがある。


和宮が泊まった本陣は、
現在小学校になっている。
それを偲んで2句を刻んだ
歌碑が建てられた。


遠ざかる都と知れば
旅衣
一夜の宿も
立ちうかりけり


思いきや雲井の袂
ぬぎかえて
うき旅衣袖しぼるとは


川柳&ウォーク