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一宮友歩会・第48回例会
【史跡巡りシリーズ・名古屋編part3】
名古屋市千種区内の史跡
平成26年最初の例会は2月1日に第48回例会「史跡巡りシリーズ・名古屋編part3」として、
JR千種駅集合で行いました。出発式は駅から少し東へ行った今池西公園で行いました。
いつもながらの挨拶と3月22日開催予定の協力員親睦ウォークの紹介をしました。
(写真には平成25年10月12日の下下見、12月22日の下見時のものを含みます)
今池西公園での出発式
まず公園から南の方に歩き、すぐ近くの高牟神社です。
名泉・古井の泉があり、地名の由来になったと言われています。
高牟神社 |
元古井発祥の地碑 |
霊水を持って帰る人 |
古井の説明板 |
次に今池地蔵です。今池と呼ばれたように昔は池だったようで、
ここで遊んでいた子供がおぼれ、霊を慰めるために建てられたと言う。
そして名古屋高速道路を上部を横断しながら吹上観音へ行きました。
吹上観音は高速道路敷地内にあったものを移設したものです。
今池地蔵 |
名古屋高速道路 |
吹上観音 |
吹上公園で休憩です。この公園は刑務所跡です。当時の航空写真を
使っていつもの日本河川協会会員のY氏からこの地域の説明を受けました。
吹上公園での説明 |
噴水には名古屋市の友好都市のレリーフ |
名古屋高速道路に沿って東に歩き、塩付街道を左折します。途中に馬頭観音がありました。
一畑山薬師寺へ寄りました。ちょうど住職さんに会い、少しお話を願いしたところ気持ち良く
引き受けて頂き、薬師寺の由来などの話をを聞きました。そして飴や箸まで頂きました。
塩付街道 |
馬頭観音 |
一畑山薬師寺 |
池下駅でトイレ休憩を取り、蝮ヶ池龍神社に寄り、蝮ヶ池八幡宮へ急な坂を上がっていきます。
蝮ヶ池龍神社 |
蝮ヶ池八幡宮 |
蝮ヶ池八幡宮の急な階段を下る |
すいどうみち緑道を横切り、千種公園で昼食です。千種公園には
名古屋空襲で受けた爆撃の痕跡が保存されていました。
千種公園での昼食 |
外壁の爆撃の痕跡址 |
午後はすいどうみち緑道を歩きます。その終点から古い配水塔を見ながら日泰寺へ
向かいます。途中に鉈薬師があります。鉈薬師は毎月21日の日泰寺の縁日には
開放され、下見の時は拝観することができました。数体の大きな円空仏がありました。
すいどうみち緑道 |
配水塔を見ながら坂を上がる |
鉈薬師 |
そして日泰寺です。日泰寺は日本で唯一の超宗派寺院です。
下見の時は縁日で、広い境内いっぱいに市が開かれていました。
日泰寺 |
日泰寺五重塔 |
続いてすぐ東にある揚輝荘です。揚輝荘は松坂屋初代社長の別荘で、かつては迎賓館や
社交場として華やいだそうです。今は名古屋市指定有形文化財になっています。
続いて更に東の相応寺です。初代藩主義直が生母相応院お亀の方の菩提のために建立した
寺院です。長い階段を上ると、高層マンションなどなかった昔の見晴らしの良さが忍ばれます。
戦前は柵の前に清水寺のようなテラスがあった |
お亀の方の墓碑 |
少しばかり尾根づたいに南下すると城山八幡宮です。この神社には連理木があり、
名古屋の「恋の三社巡り」のひとつになっています。最初に寄った高牟神社もそのひとつです。
またこの八幡宮は末森城跡です。ここでは城愛好家のM氏から資料を以ての説明を受けました。
またこの境内には愛知県が人づくりの殿堂として昭和3年に建設した昭和塾堂があります。
城山八幡宮の連理木 |
城山八幡宮 |
末森城址碑 |
昭和塾堂 |
さらに南下し、名古屋大学近くの性高院へ寄りました。この寺院には徳川家康の第四子
・松平忠吉の墓などがマンションの一角にあります。とても狭く分かりにくい場所です。
裏話になりますが、下下見では分からず、その後M氏が見つけてきてくれました。
性高院(本堂は最高階にある) |
塀の奥に墓等がある |
松平忠吉の墓 |
双体地蔵石碑 |
そして名古屋大仏のある桃巖寺です。ちょうど3時の到着です。
近くで解散式を行い、地下鉄本山駅から帰りました。
朝方は冷えましたが、日中は風もなく暖かくこの時期にしては最高のウォーキング
日和になりました。参加者も54名と久しぶりの50人越えでした。
参加者数が当日の天候に大きく左右される運営の仕方だけに、
前日は強風、翌日は雨だったことを思うと本当に恵まれました。
この2月例会は過去には雨の日も雪の日もありました。今年は幸先のよい年になりました。
川柳&ウォーク