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名古屋地下鉄沿線ウォーク1(中区)
名古屋から金山の寺社巡り
小学4年と保育園年中の孫とのウォークは、今回から名古屋地下鉄沿線ウォークに入ることにした。参考地図は名古屋市交通局で頂いてきた。 第1回目は平成22年12月26日(日)、年中の孫と名古屋駅から金山駅まで約6kmを歩くことにした。身近な所ながらゆっくり見ることは少ない。名古屋の街を見直す良い機会である。 名古屋駅から地下街のユニモールを歩く。水槽が面白い孫である。 |
国際センター駅3番出口から出て、堀川の手前の道を南に歩く。まず神明社である。
鳥居横に乃木大将の像が立っていた。境内の狛犬は並行に並び阿吽が一般とは逆であった。
道をを挟んだ西側には二福神車保存庫が建っていた。
神明社 |
本殿と狛犬 |
二福神車 中村区に200年以上前から伝わる山車 |
名高速錦出口 名古屋駅方面を見る |
錦通りに出て堀川に来る。錦橋である。右岸堤防は数年前に遊歩道が
整備され、そこを歩く。そして、納屋橋に出て広小路である。
錦 橋 |
堀川右岸遊歩道(納屋橋から上流を見る) |
広 小 路 |
劇団四季新名古屋ミュージカル劇場 |
白川公園に来る。園内にある名古屋市科学館は一部改築中である。
コースはここからは国道19号の沿線を南下するものになる。
若宮通りを渡り大須観音に来る。
境内には歯歯塚や人形供養塔があり、大正琴発祥の地碑などもある。
大須観音の南には七寺がある。戦災や焼けただれた大日如来像が痛々しい。
南へ道路を渡れば本願寺派名古屋別院である。
七 寺 (長福寺) |
大日如来像(青銅製) |
本願寺派名古屋別院(西別院) |
更に日置神社、妙善寺、栄国寺と続く。
共に尾張徳川家二代藩主光友公に縁がある寺社であった。
日置神社 |
橘 社 |
平安時代初期の宮中の年中行事や制度を記した「延喜式」に載る「愛智郡日置神社」にあたるとされる格式の高い神社で、天太玉命(あめのふとだまのみこと)、応~天皇などを祭神とする。日置の地名、社名は、日置部のあったところから起こったもので、日置部は暦を司った。永禄三年(一五六〇)五月織田信長が桶狭間の戦いに出陣するとき、戦勝を祈願し、戦勝のお礼に松を千本植えたと伝える由緒ある古社である。(案内板より) また境内には尾張徳川家二代藩主光友公を祀る橘社がある。 |
妙善寺 |
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二代藩主め光友の腫れ物の平癒祈願のため、名古屋の豪商茶屋長以が刻んだ七面女神像を祀る。七面宮の由来は光友自ら自筆の額を与えたことによる。山号は七面山、日蓮宗の寺だが、七面宮、七面さま、七面さんなどと呼ばれ、七面女神像と切っても切れない関係の寺。
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栄 国 寺 |
千 人 塚 (栄国寺境内) |
本尊は名古屋三大仏の一つ「火伏の弥陀」。このあたりは千本松原という刑場で、寛文4年(1664)には200余人の切支丹を処刑した。この寺はそれらの慰霊に寛文5年、二代藩主・光友によつて創建された。境内には千人塚、切支丹燈篭などがある。 |
道を南に渡れば下茶屋公園、その西に東本願寺である。
下茶屋公園 |
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この公園は、旧東本願寺別院・新御殿の後庭があったところです。真宗大谷派名古屋別院(東別院)所蔵の平面図には「新御殿御庭」という別記があり、天保のころ落成の建築群に伴って作庭されたものと考えられます。この庭の平面形が下茶屋公園によく残されており、江戸時代後期の庭園として貴重なものといえます。また、東別院周辺一帯は、古渡城跡地でもあり、尾張名所図会(幕末)の「東本願寺掛所」によれば、「古渡古城天守閣址」という記入があります。(案内板より) |
東本願寺 |
古渡城址碑(東本願寺境内) |
更に南へ行って闇之森八幡社へ寄る。源為朝の甲冑を埋めたという鎧塚があった。
闇之森(くらがりのもり)八幡社 |
鎧塚(闇之森八幡社境内) |
もうゴールは近い。国道19号の歩道橋を渡って金山駅である。
国道19号歩道橋より北を見る |
歩道橋より金山駅を見る |
こうして約6kmを3時間かけてゆっくり見て歩いた。
孫も余裕を持って歩いた。金山駅で昼食を取り、名鉄電車で帰る。
寺さんのウォーク・トーク ◎孫とのウォークも近鉄沿線からあおなみ線沿線へと移り、今回から 名古屋地下鉄沿線へと入ることにした。近鉄沿線もあおなみ沿線も まだ少し残しているが、その分はいつか機会を作りたい。 ◎距離が短い分、ゆっくり見られるので知っているところでも見落として いたことを改めて知ることになる。これは非常に良い。 ◎子供の記憶力は驚くものがある。今回も白川公園へ行けば、来たことが あるという。帰って、新聞を見ていたら「オペラ座の怪人」の広告を見て、 見てきたという。少しこの劇場の前で止まっただけであるのに、良く覚えて いることにびっくりさせられた。何にも見てないようでも記憶に残している。 良い経験になっていることは間違いない。 ◎今のところ、こうした近場は孫が付いてきてくれるから行く気になれる のである。付いて来てくれるうちに出かけねばもったいない。特に 5歳の孫はウォークに行きたいと言ってくるだけに機会を作りたい。 ◎平成22年は6月に母が亡くなり、その後行く機会がなかったので、 平成23年はもっと心がけたい。自分と孫のために! |