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一宮友歩会・第23回例会
【河川探訪シリーズ・五条川編part3】
羽黒から入鹿池まで
一宮友歩会第23回の例会は平成21年12月5日(土)、名鉄犬山線犬山遊園駅に集合して行う。 「河川探訪・五条川編part3」として行うが、前回終点の羽黒駅から当面の目標する入鹿池までの五条川はあまり距離がないので、郷瀬川、新郷瀬川も歩き、一連の流れとして理解ができるように企画した。 天気は日中雨の予報、そして朝起きたらもう降りだしていた。参加者数が心配されたが、案の定48名と過去最少である。それでもよく集まって頂いたと言うべきであろう。 犬山遊園駅の建物を利用させてもらって出発式を行う。 |
(写真は7月11日、10月17日の下見時のものを含む) |
9時15分、犬山遊園駅をスタートし、木曽川左岸堤を下流に向けて歩く。
(左)犬山城 (右)犬山頭首工と伊木山 |
犬山城の下まで来ると郷瀬川が木曽川に流れ落ちている。
ここから郷瀬川を上流に歩いていく。
郷瀬川から木曽川に流れ落ちる |
郷瀬川(右岸) |
郷瀬川堤防は遊歩道が整備され、いろいろな造形物が置かれ花木が植えられている。
四 季 桜 |
郷瀬川に新郷瀬川が合流する地点からは新郷瀬川を歩く。
合流地点からすぐ上流の鮎見橋を渡って郷瀬川改良記念碑を見る。
記念碑の前で日本河川協会会員の方からこの地域の地勢などの話を聞く。
鮎見橋を渡る(記念碑は中央木立の中) |
名鉄広見線を渡り、新郷瀬川を上っていく。後方には日本ラインパークがみえる。
前原公園でトイレ休憩の後、天道宮神明社による。長い参道、
楼門は県指定有形文化財、拝殿には天井画が書かれていた。
一時晴れ間の見えた天気もここら当たりから雨が降り出す。
天道宮神明社 奥入鹿村にあったが、入鹿池の築造に際し、寛永10年(1633)に現在地に移されたもの。 入鹿池造成のおりには、白雲寺と虫鹿神社ともに前原新田へ移築されたが、明治元年(1868)に 廃仏毀釈に遭い、その後天道宮神明社となった。 楼門は、三間一戸の重層で、屋根を入母屋とし、 桟瓦を葺く。楼門は昭和34年愛知県指定有形文化財となった。更に平成10年、県道用地に かかり現在の位置に移築された。その際屋根は遺風に近い銅板葺に替えられた。 |
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少しの間、木曽街道を歩き、再び新郷瀬川に出る。
木曽街道の辻にある馬頭観音 |
新郷瀬川の桜並木 |
後方は尾張富士 |
尾張富士麓の大宮浅間神社で昼食である。
雨も本降りになり、縁側や軒下を借りることができて助かった。
昼食後は尾張富士の麓の車道を時計回りに歩いていく。
明治村正面入り口の前を通り、入鹿池に向かう。
大宮浅間神社を出発 |
雨の車道を黙々と上がっていく |
明治村正面入り口 |
雨に煙る入鹿池を見ながら記念碑の並ぶ箇所まで歩く。各種の記念碑の説明を受ける。
他の施設もゆっくり見、また紅葉も楽しみたい所であるが、雨でその余裕がないのは残念である。
入 鹿 池 入鹿池は寛永5年(1628)、鈴木作右衛門,江崎善左衛門ら入鹿六人衆と呼ばれる人たちにより、 小牧・春日井方面の灌漑を目的に築造が計画された。付家老である犬山成瀬家を経由して尾張藩に 入鹿池の開発届を出し、折から新田開発に力を注いでいた尾張藩主の徳川義直公はすぐに許可を与えた。 当地には春日井郡入鹿村があったが、住民を移住させ、寛永9年(1632)から着工し、翌寛永10年 (1633)に完成させた。堤防は河内国甚九郎の技術により完成したので「河内屋堤」(かわちやづつみ)と 呼ばれた。農業用ため池としては 香川県の満濃池と全国で一二を争う規模。 |
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入鹿池の落とし口から五条川、新郷瀬川の重複区間を歩く。
この間の堤防は整備されていなくて、近くの農道を歩く。
そして、五条川と新郷瀬川の分岐点まで来る。
山側に五条川が流れている |
樋門奧が五条川、新郷瀬川は右に流れる |
五条川樋門 |
樋門から下流の五条川 |
五条川改修完成記念碑 |
(下見時の木や蔓草で覆われた記念碑) |
雨の五条川を下流に向けてひたすら歩く。
(ここからカメラが雨に濡れてシャッターが切れなくなった)
羽黒駅近くの野呂塚である。寄るのを止めようかとも思ったが、ほとんどの方は
もう来る機会も無かろう。予定通り寄り、予定通り城愛好家の人の説明も受ける。
小弓の庄で解散式の予定であったが、素通りして羽黒駅に直接向かう。
簡単に挨拶して例会を終える。その後、これも予定通り希望者を興禅寺へ案内する。
20名弱の方が見学された。
興禅寺山門 |
開基・梶原景時公の碑(山門前) |
興 禅 寺 鎌倉幕府の侍所の別当として権勢を誇った梶原景時によって承安4年(1174)真言宗・光善寺 として創建。文明11年(1479)年に臨済宗妙心寺派興禅寺と改め、現在に至る。 天正12年(1584)、小牧長久手の戦いですべての伽藍を焼失したが慶長7年(1702)、 18代犬山城主・小笠原和泉守吉次公によって、現在地に寺地を与えられ移転、再興された。 現在の庫裡は文政13年(1830)に再建されたもので、木造切妻造桟瓦葺の国登録有形文化財。 境内には慶応4年(1868)の「入鹿切れ」の時に流れてきた重さ15トンの石が祭られている。 |
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(奧)本堂 (手前)庫裏 |
入鹿切れ流石 |
3時過ぎには例会を終えることができた。ゴールで万歩計を見たら30000歩だった。
この雨の中でこの長距離、無事に終えられて何よりだった。
寺さんのウォーク・トーク ◎五条川編最後の例会であるが、木曽川、郷瀬川、新郷瀬川、五条川と歩き、 面白いコースとなった。地勢を知るよい機会になったと思う。 ◎23回目にして初めての雨の例会となった。残念ではあったが、何か憑き物が 落ちた感じでホッとした気分もある。これが普通、自然なのだ。4年間、年間 通してやりながら一度も雨に降られないというのは普通ではないのだ。 ◎昼食の場所など雨の場合も想定して用意するが、これがなかなか苦労である。 始めて役立った。快く縁側など利用させて頂いた浅間神社の方に感謝したい。 ◎この例会の参加者には雨の日のウォークに対する対応が勉強になったと思う。 また、こんな日に20km近くも歩けたことに自信が持てたと思う。 何事も経験、勉強のつもりでこれに懲りず、またの参加を期待したい。 ◎五条川改修完成記念碑は、下見時にはあることさえ分からないほどに木や 草で覆われていた。県一宮建設事務所の管理ではないとは思いながらも、 一宮建設事務所に話をした。写真で示すように、この例会に間に合うように 事務所の方で対応して頂いた。この場を借りて御礼申し上げたい。 ◎最近は旗手やアンカー、交通誘導などを当日顔を見て依頼している。 いつも皆さんに快く引き受けてもらっているが、この例会は雨で大変 だったと思う。こんな日にも引き受けて頂いてありがとうございました。 ◎用事の合間に車で駆けつけて様子を見に来てくれた知人がいる。 こういう人があると言うことは勇気づけられる。 ◎いつもながら例会当日は全く疲れ切る。今回は雨でより疲れた。 このやり方でいつまでできるか、少し不安がある。 |