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当尾(とおの)の石仏巡り
平成21年8月29日、名古屋鉄道の主催する日帰りバスツアーハイキングに、
小学3年生の孫と参加した。バスハイキングはちょうど1年ぶりの参加である。
今回は京都府加茂町の当尾地区の石仏巡りである。この地区へ来るのは初めて
であり、磨崖仏の宝庫と知って、ウォークの距離は5.5kmと短いが楽しみにしていた。
名鉄バスセンターより約3時間、10時半に加茂山の家に着く。
参加者はバス3台、約120名である。蒸し暑い中、林道を歩き始める。
加茂山の家 |
歩き始めてすぐに大門仏谷である。林道からかなり下ったところに磨崖仏が見える。
畦道の草を踏み分けながら、磨崖仏の前に立つ。当尾の石仏中、最古最大の像である。
大門仏谷の大磨崖仏 |
更に林道を進むと、道路脇に石仏群が整然と安置されている。
この付近に散在していたものを地区総出で集積したものだそうである。
大門石像群
次は穴ヤクシである。祠の中は暗くてよく分からない。
カメラのフラッシュを焚いて輪郭が分かった。
穴ヤクシ(薬師石仏) |
路傍にもまだまだ石仏が残されている。仏の里を感じる。
アップダウンを繰り返しながら先を進む。
無人販売所が沢山設置されている。ほとんどが100円であり、牛乳瓶の中に
代金を入れるようになっている。孫にはこれが何とも不思議であったようだ。
人間の良心を信じる販売方法を知るのも良い体験である。
無人販売所 |
歩き始めてちょうど1時間、岩船寺に到着である。そして到着すると雨が降り出す。
かなり強く降ってくる。45分ほど雨宿りをしながら、昼食を取る。
岩 船 寺 (がんせんじ) 天平元年(729)聖武天皇の発願により行基が建立したのが始まり。弘仁四年(813)嵯峨天皇の勅命に より堂塔伽藍が整備され、寺号が岩船寺となる。最盛期には39の坊舎をもつ大寺院となったが、承久の 変により大半が焼失。江戸時代初期の寛永年間に、住僧文了律師により本堂や本尊の修復が行われた。 阿弥陀如来坐像、普賢菩薩騎象像や三重塔など、国の需要文化財も多い。境内はアジサイが咲き誇り、 アジサイ寺としても有名。門前に寺名の由来ともなった船の形をした岩(石風呂)がある。 |
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石風呂 |
雨の降る中を傘をさして先に進む。まもなく三体地蔵である。
竹林を進む |
三体地蔵 |
ミロクの辻と言われるところに出ると弥勒磨崖仏である。線刻像らしく薄くてよく分からない。
そして、当尾の磨崖仏の中でももっともよく知られた「わらい仏」である。
道路脇の小高いところに少し傾いた三像が見える。像からは見晴らしもよく、
地上を見守っている感じである。孫が「良い自然だな」と言ったのには驚いた。
里には何か意味のありそうな石や歌碑なども立っている。目がきょろきょろとなる。
唐臼(カラス)の壺 穴が粉を引く唐臼(からうす)に似ていて、 それが訛ってカラスになった。 |
泉涙暮の歌碑 加茂町里に生まれた詩人。 大正4年生まれ、享年29歳。 |
上記の2つの近くには阿弥陀地蔵磨崖仏がある。
灯籠が線刻され、灯明を 立てる部分は彫られている |
あたご灯籠を見ながら先に進むと「藪の中三仏磨崖像」である。
道路から奥に進むと竹藪の中に三体の像がある。
あたご灯籠 火伏せの神・愛宕神社への献灯籠。 |
藪の中三仏磨崖像 |
(左)阿弥陀如来座像 (中)地蔵菩薩像 (右)十一面観音菩薩像 |
無人販売所で花なすびを見る。初めて見た。そして、その先には栽培されている畑があった。
首切り地蔵まで200mとあったので、コースから外れるが寄ってみる。
首切り地蔵 |
首のくびれが深いことから、切れて見える ためこのようにと呼ばれるようになる。 |
坂を登れば最後の浄瑠璃寺である。山門までは萩の参道が続く。
浄 瑠 璃 寺 |
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九体阿弥陀堂 |
三重塔 |
宝 池 |
境内の散在する石仏 |
少し戻って駐車場へ1時45分に到着してウォーキングを終える。
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寺さんのウォーク・トーク ◎5.5kmを3時間強を要して回る。全く見学に 徹したウォークであった。 ◎それでも、このHPを作るためにいろいろふり 返り、調べていると見落としてきたことが多い。 例えば、眠り仏は見落とし、阿弥陀地蔵磨崖仏 でももう一体を見落とした。線刻というのも帰って 知った。 ◎自然と仏と共に過ごす、静かで、落ち着いた 良い所である。しかし、生活は厳しいだろうか。 ◎孫には毎回ながら興味を引くことばかりである。 今回もいろいろ知ってくれたようだ。 ◎この名鉄バスハイクのシステムは集合場所に 着いた順に、バスが予定の人員になれば出発 する。このシステムは時間の無駄が少なく良い。 |