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桑名の寺社巡り

平成21年7月5日(日)、3歳9ヶ月の孫を連れて桑名に出かける。
4日の一宮友歩会の例会に長男を連れて行ったので、今日は二男である。
二男には6月27日の「大黒屋光太夫ふるさと散策」に続いての近鉄てくてくマップである。


(コースのあらまし) 桑名駅JR側出口から海蔵寺へ、八間通りの歩道を行く。本統寺は商店街に隣接した大きな寺。明治時代に造られた六華苑の近くを通って住吉神社から七里の渡し、九華公園へ。このコースのハイライトゾーンだ。方向を西に転し、旧東海道を越すと春日神社はすぐ。さらに近鉄線の西、大福田寺・照源寺へ。距離は短いが桑名市内の史跡をほぼ網羅したコース。(てくてくマップより)


近鉄桑名駅より10分ほどで薩摩義士墓所の海蔵寺である。

海  蔵  寺
天正2年(1574)ごろに創建され、ご本尊は「十一面観世音菩薩」で曹洞宗(禅宗)に属す。
本山は福井の永平寺・横浜の総持寺。この寺には宝暦治水に当たった薩摩義士の墓石が現存し、
市指定史跡となっている。宝暦治水は宝暦3年(1753)、幕府により薩摩藩に揖斐・長良・木曽の
三大河川工事が命ぜられ、宝暦5年工事は完成したが、多くの犠牲者と巨額の経費がかさんだ。
この責任感から、工事総奉行平田靭負は自刃した。これら義士の墓所は岐阜・三重県下14ヶ寺に埋葬された。


そして、すぐに桑名御坊と呼ばれる本統寺である。

本  統  寺
徳川家茂や明治天皇が宿泊した由緒あるお寺で、俗に「ご坊さん」の名前で市民には親しまれている。
境内には、俳聖松尾芭蕉が貞享元年(1684)野ざらし紀行の初旅の折り、
この地で詠んだ句「冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす はせを」の句碑(冬牡丹句碑)が建てられている。


本統寺を通り抜けると寺町商店街である。そして北に進めばレンガの運河である。


寺町商店街

運河(正面に諸戸家)

諸 戸 家
桑名郡長島村の庄屋に生まれ、商売で成功した
諸戸清六氏(1846−1906)が、明治18年には
桑名藩御用商人であった山田彦左衛門屋敷跡を
購入し居を移した。庭園が素晴らしい。

赤レンガ倉庫(2棟は昭和20年の空襲で焼失)


更に六華苑である。この辺りは諸戸家の遺産が見所であるが、
外観だけを見て通り過ぎてしまった。事前の勉強不足である。

 六  華  苑
二代目諸戸清六の邸宅として大正2年(1913年)に完成。本苑には、鹿鳴館を設計したイギリス人
建築家ジョサイア・コンドル設計による4層の塔屋をもつ木造2階建て天然スレート葺きの洋館、和館や蔵、
池泉回遊式庭園などがある。和洋の様式が調和した明治・大正期を代表する貴重な文化遺産であり、
国の重要文化財に指定されている。また、庭園も国の名勝に指定されている。


揖斐川の堤防に出る。数年前に比べると良く整備されたものである。


揖斐川堤防右岸(後方は国道1号伊勢大橋)

揖斐川(後方は長良川河口堰)

揖斐川堤防右岸に立地する住吉神社


そして七里の渡し跡、桑名城跡に整備された吉之丸コミュニティパーク及び九華公園である。
海蔵寺からここまで2km弱、約1時間かけたが、よく見ればまだ何倍もの時間が必要だ。


七里の渡し
熱田・宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着いたことから「七里の渡」と
呼ばれている。東海道の42番目の宿場町として大賑わいを見せていた。ここにある
大鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称された。

九華公園

本多忠勝像(吉之丸コミュニティパーク内)


春日神社に来る。青銅の鳥居や立派な楼門をくぐり抜ける。

春  日  神  社
通称「春日さん」の名で親しまれており、桑名神社(三崎大明神)と中臣神社(春日大明神)の両社を称し、
古来より桑名宗社と呼ばれてきた。江戸時代には代々の桑名藩主から崇敬され栄えた。
例祭の天下の奇祭・石取祭は、毎年8月に行われ「日本一やかましい祭り」といわれている。
また、春日神社境内の御膳水は江戸中期から神供用として用いられていたと伝えられる。明治元
年9月に明治天皇が桑名にお泊まりになったときには,御膳水として供されたと伝えられている。


この後はひたすら町中を通り抜ける。そして、近鉄線JR線を跨線橋で渡り、
桑名神明神社までは良かったが、次の見所の円妙寺、大福田寺がなかなか見えない。
美容院で聞けば、もうかなり遠くまで来てしまっている。道を聞いて引き返す。


円  妙  寺
桑名藩6代藩主・松平定良公の墓所があったが、現在、
道を隔てた北側にある“円妙寺霊園”の中に移さた。
大  福  田  寺
草創は聖徳太子とも伝えられているが不詳。古くは伊勢山田の地にあったといわれている。文亀3年(1503)に
桑名の大福村に移転されたが、度重なる浸水のため寛文2年(1662)現在地に移転された。寺宝に鎌倉時代作の
「釈迦八相成道図」ほか3点と市内では最も多くの重要文化財を保有する。山門は江戸時代の建立といわれ、
本尊の阿弥陀如来立像は引阿弥陀如来とも呼ばれ、文亀3年(1503)の作と伝わる。本堂横には聖天堂があり、
秘仏で象頭人身の大聖歓喜天が祀られており「桑名の聖天さん」として古くから親しまれている。


照源寺に寄ればゴールの桑名駅は近い。もう12時になり、先を急ぎたいところであるが、
照源寺に来てみれば、何という由緒のある立派な寺院であることか。しばし時間を過ごす。

照  源  寺
寛永元年(1624)桑名藩主松平定勝が死去したため、その子定行が創建した。定行は伊予松山へ
移封したが、弟定綱が藩主を継いだので、松平家の菩提寺として存続した。「松平定綱及び一統之墓所」
(県指定文化財)には藩主ら二十八基の墓石がある。境内にはクロマツの巨樹が2本立ち並び、
それぞれの側根が癒着しているので夫婦松と呼ばれる。「名松百選」の一つ。

夫  婦  松

越中守家初代松平越中守定綱公の墓


照源寺には手押しのポンプがあった。早速教えてやらせてみる。
また金魚を見つけたので、仲良しグループだと言ったら、いつまでも追っかけていた。
出かけてみればいろいろな体験がある。連れてきて良かったと思う。


桑名駅へは12時40分になっていた。見所が多く、更に道に迷った
こともあって、6kmばかりのウォークに3時間半もかかってしまった。
そしてゴールの桑名駅にお目当てのコンビニはなかった。
駅構内でパンだけを買って急いで電車に乗り込む。
愚痴も言わず、一生懸命走ってついてきただけに、何か可哀想にさえなる。
ウォーキングに付いてくるようになって、更にかわいくなってきた。
これからもどんどん一緒に出かけ、学び、鍛えてもらおう。


川柳&ウォーク