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一宮友歩会・第20回例会  
【史跡巡りシリーズ・西尾張編part6】

稲沢市南東部の史跡


 平成21年6月6日(土)、一宮友歩会第20回の例会は稲沢市・国府宮神社から稲沢市南東部の史跡を巡って歩いた。

 前日の強い雨も朝方には上がり、次第に上天気となっていった。

 参加者が少ない予想であったが、それでも60名近い参加者があった。久しぶり妻も参加し、小学3年の孫も初参加した。


   (写真には平成20年12月23日の
     下見時のものを含みます)

国府宮神社・楼門


国府宮神社参道で出発式後、西方へ1.5km程歩き、まず禅源寺で休憩である。
本堂にあげて頂いて、住職さんからこの寺にまつわる話や地域の話を聞く。
見学も含めて40分ばかり過ごす。歩き始めて早々に長い休憩となった。

                           金華山禅源寺
 南禅寺四十七世・太清和尚が永和2年(1376年)本寺を創建し、開山したと伝えられている。その後については歴代も不詳で堂宇も荒廃していたが、永正9年(1512年)京都妙心寺(臨済宗)より勝岩和尚が来往し、本寺の再興を図り、天文20年(1551年)に遷化された。寛永11年(1634年)7月三代将軍徳川家光上洛の折り、旅宿となり、その折に急病となった家光を住職が治したことから、葵のご紋を使用することが許された。

葵の紋を付けた駕籠


禅源寺からは南へ歩き、稲沢公園でトイレ休憩。
そして花々を見ながら通り抜け性海寺へ向かう。


稲沢公園


性海寺では「稲沢あじさいまつり」開催中である。まだ満開には
少し早かったようであるが、それでも十分に花を満喫した。

                     大塚山性海寺
 弘仁9年(818年)弘法大師(空海)が京都の東寺から名古屋の熱田神宮にお参りする途中、老翁の教えによって大きな塚を造り、金銅の歓喜天を埋めて国家の安泰と万民の豊楽を祈られたのが始まりと伝えられる。同寺の国指定重要文化財は@多宝塔(室町中期)A宝塔(鎌倉時代)B本堂(江戸時代)C木製漆塗彩色金銅種子装五輪塔(鎌倉時代)がある。
 また、約90種1万本のあじさいがあり、毎年6月に「稲沢あじさい祭り」が開催される。


性海寺から歩いて数分のせんき薬師にも寄る。参拝のみで南東方向に進む。

                              せんき薬師・西福院
せんき薬師如来を本尊とし、江戸時代初期寛文年間、天阿上人により開創された。せんき(疝気)とは筋の病をいい、神経痛・リューマチ・腰痛・脱腸を始め、様々な病気平癒に霊験あらたかな「おせんきさん」として、古くから親しまれている。


安楽寺へ向かう。平生は閉じられている宝物殿を開けて
頂いて重要文化財3体を拝観させて頂く。

                           奥田山安楽寺
 奈良時代天平勝宝元年(749年)に、行基よって開かれた。それ以来いくたびかの盛衰を重ね、今のお寺は明和2年(1765年)に秀栄が、いまの大里中学校のあたりの円蔵坊から、現在地に移転した。 同寺には国指定の重要文化財の阿弥陀如来及び両脇侍坐像がある。三体の仏様は藤原時代の木造彫刻で、中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が脇侍となっており、三尊ともに桧材の寄木造りで、尾張地方に残る定朝風様式を守った立派なもので、全国的にも注目すべき仏像とされている。


安楽寺のすぐ隣の白山社で昼食休憩である。事前に連絡しておいたので、
境内は蚊が多いからと言って公民館を開放して頂く。
さらに、白山社に併置されている子安社の説明を急にお願いする。
約7km歩き、次第に暑くなり、靴の脱いての休憩は大変楽でありがたい。


説明をされる役員(中央)

昼食をしながら説明を聞く参加者

子安社

                               子 安 社
 古より白山社の境内に鎮座創立年代不詳なれども今より六百五拾余年前の正和元年当地より奉納した神酒器(白鳥の壷)が岐阜県郡上の白山神社附近に於て発堀され重要文化財に指定せられており又慶長九年九月再興修理せられたる記録あり古社たるの所以にして御祭神は木花開耶延命と申奉り天孫瓊々杵尊の妃神にあらせられ猛火の中にありて御産をなし給いしに何の恙もなく御子彦火火出見尊を産み給いしにより其の御神徳を仰ぎ慕い奉りて安産子育の神として広く一般の崇敬を受け今日に至りたるものなり       (子安社由緒書きより)


昼食後は休憩を取りながら、談笑をしながら、先に進む。日下部公園で休憩し、
JR東海道線を越えて、美濃路にはいる。ここからは北へ進む。


田植えの終わった田の中を行く参加者

日下部公園

北市場美濃路公園


美濃路から四ツ家追分けを通り岐阜街道にはいる。


四ツ家追分け碑

岐阜街道


最後の訪問地は下津の神明社である。ここで「稲沢市ふるさとガイドの会」の
方からこの地にまつわる話を聞く。写真パネルを掲示し、待って頂いていた。
話の主な内容は若き頃の豊田佐吉がこの地で暖かく手をさしのべられたことであった。


豊田佐吉が滞在した工場跡


ここを過ぎればまもなくゴールのJR稲沢駅である。朝方涼しかった天気も
午後には暑い位になった。15kmばかりの距離に、見所いっぱい、
話いっぱいで、ちょうど6時間かかり、体も頭の中も十分に疲れた。



寺さんのウォーク・トーク

◎一宮友歩会の例会もちょうど切りのいい第20回目を迎えた。
前日の強い雨も朝方にはやみ、次第に暑い日になった。
この20回が一度も雨に降られなかったことは何という恵まれたことか。
ウォキングの楽しさは何と言っても天気に大きく左右されることだけに、
たまたまの偶然であるが、ありがたいことである。

◎この会の特色の一つに、いつも1、2カ所で説明する人が用意されていることが
あるが、今回は禅源寺、子安社、下津と3カ所も地元の人にお願いできた。
いつもそれなりに努力はしているが、それでもつい先日まで全く知らなかった
方にである。もちろん人のつながりがあってのことであるが、こういう巡り合わせを
何と表現すればいいのか、ただただありがたいことである。


◎あるところで、ウォーキングの会はマナーが悪いので拝観お断りです、
と言われたこともあって、出発式で「歩くときには歩き、見るときには見、
聞くときには聞く」という姿勢でお願いしますと挨拶をした。しかし、この会の
参加者は言わなくても本当にマナーがいいのである。毎回実感している。
会の雰囲気がそうなっている気もする。


◎今回は出発式の挨拶で、例会までの準備の話をした。今回の例では、
寒い12月1月にコースリーダーと2人で歩き、おおよそのコースを決め、
4月に役員で下見をした。4月の下見は強い雨であった。
そして、もう平成22年の例会計画の検討に入っていることを話した。
話さないと分からないことも多い。知っておいてもらった方がいいこともある。
批判もあったかも知れないが、概ね好意的に受け取ってもらったと思う。


◎上記3カ所での説明者は言うに及ばず、宝物殿を見せて頂いた安楽寺、
急にお願いした旗手、アンカー、交通誘導員など多くの方に協力を頂いた。
そして、事故もなく無事終わり、素晴らしい例会になった。
この場を借りて、改めて御礼申し上げます。


川柳&ウォーク