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一宮友歩会・第15回例会  
【史跡巡りシリーズ・岐阜編part1】

長良川と岐阜公園


 一宮友歩会第15回例会は、平成20年8月2日の開催、どんな天気になるか気になっていた。連続猛暑日が続く中、この日も朝方は少し曇りがちであったが、次第に晴れ暑くなった。

 そして参加者数も気になっていたが、この暑さにもかかわらず、50名もの人がJR岐阜駅(南口)に集まった。

 いつものように会長挨拶、担当者紹介、コース説明、準備運動をして9時20分の出発となった。


出  発  式

(注)下記の写真には6月28日に行った下見時のものが含まれています。


JR岐阜駅構内を通り抜け、玉宮町通りを柳ヶ瀬に向けて歩く。
金神社を通るとまもなくアクアージュ柳ヶ瀬である。

アクアージュ柳ヶ瀬
イタリアのパサージュ(路地)をイメージし、かつ街区毎に古代・中世・近世とその時代を
表現するため、コロシアムイメージの噴水や、ロココ建築風の柱構造としたアーチ等を設置し、
都市内水路の水辺を市民の憩いの場とした。平成3〜8年に施工。延長166m。


柳ヶ瀬は夏祭りの日であり、その準備が進められていた。その忙しい中、
商店街振興組合連合会の方に10分ほど、柳ヶ瀬についての話をしてもらった。


柳ヶ瀬の説明を聞く参加者


暑い中、涼しいところを選びながら歩き、出発して40分ほどで
美江寺観音に到着する。こまめな休憩と水分補給に心がける。

美 江 寺 観 音
 天台宗。養老元年(717)創建、当初は今の本巣郡巣南町にあった、勅願所。
天文18年(1546)斎藤道三が稲葉城下の繁栄策のため現在地に移したと云われる。
同寺のまつりは、毎年3月第1日曜日に行われ、農業、養蚕のまつりとして名高い。
県下最古(天平時代)の乾漆十一面観音(国指定重要文化財)を安置。


美江寺観音を過ぎると、まもなく濃姫の遺髪を埋めたと言われる墓碑に来る。
こうした小さな史跡は一般にはなかなか知られないので、こういう機会の絶好の見所である。

お濃の墓の由来(説明板より)
この墓は天正10年6月1日京都本能寺の変の折、夫君織田信長公と共に討死にされたお濃の方の墓で
討死された時家臣(氏名不詳)の一人がお濃の方の遺髪を持ってこの地まで逃れて来て埋葬したものと
伝えられて居ります。昭和20年7月B29の空襲により岐阜市の大半が灰燼となり墓石も焼失しました処、
昭和50年にお濃の墓の碑文がみつかり、氏子有志皆様の御協力を得て再建いたしました墓であります。


そして、長良川左岸に出て忠節橋を渡る。


忠節橋上より金華山(岐阜城)を見る


光公園で休憩した後、鷺山城跡、道三塚と向かう予定であったが、
この暑さを考え、鷺山城跡をショートカットし直接道三塚へ向かう。

道  三  塚
 斎藤道三は斎藤義龍と長良川を隔てて戦い、1556年4月18日、長良川中渡の合戦に打って
出たが、道三方は敗れた。道三自身も4月20日、城田寺に退れようとするところを討ちとられた。
その遺体は崇福寺の西南に埋葬されたが、塚は長良川の洪水にたびたび流された。その後、
1837年、常在寺(鎌倉大仏南)第27世日椿上人が現在の場所に移して碑を建てたものである。


道三塚の見学の後、近くの岐阜メモリアルセンターに11時半到着、早めの昼食とする。

淡墨桜大陶壁(岐阜メモリアルセンター芝生広場)
ぎふ中部未来博(1988.7.8~9.18)のシンボルオブジェとして設置。高さ9m、長さ22.3m。
陶壁は1200ピースにカットし、30回に分けて焼成された。花びら数約75000枚。
原画製作・伊藤嘉晃、焼成(陶芸家)・加藤直彦。当時の評価額1億円。


昼食後、岐阜メモリアルセンターから長良川河畔に出る。この日の夜は長良川全国花火大会である。
見物に最適の長良川右岸は場所取りで、見事な模様を成していた。その中を通り抜けた。


長良川左岸河川敷内の仕掛け花火準備風景


長良橋を渡り、川原町の古い町並みを見ながら、
更に遊歩道として整備された水路敷を歩いて岐阜公園に向かう。


岐阜公園では、信長公居館発掘現場の説明を岐阜市教育委員会の
職員の方に40分以上に渡り、丁寧にして頂いた。


岐阜公園近くの岐阜大仏にも寄る。殿内で偶然にもボランティアの方の説明も受けられた。

正法寺(岐阜大仏)
京都宇治の黄檗山万福寺の末寺。境内の大仏殿に、高さ13.7mの如来坐像が安置されている。
大仏は1832年に38年を費やし完成した。木で骨格を組み、竹で外形を造り、粘土で形を作りその上に
経典が書かれた和紙を貼り、漆を施し金箔で覆った乾漆仏。この技法では日本一の大きさを誇り、
竹を籠のように編んだことから「籠大仏」と呼ばれ親しまれている。県の重要文化財に指定されている。


その後30分ほどでゴールの柏森公園(橿森神社)に着く。2時半到着である。
ここで解散式をした後、夏祭りでにぎわう柳ヶ瀬に向かう。


柏森公園で整理運動

柳ヶ瀬の夏祭り風景


暑い時期での例会に熱中症等の事故を心配したが、
誰一人トラブルもなく終えられて、本当にホッとした。



寺さんのウォーク・トーク

◎夏真っ盛りの中の例会で、参加者数や熱中症等の事故など、いろいろ心配事があった。
●参加者であるが、最近の状況からこの条件で50名はよく参加して頂いたと
思う。事前の連絡などからしてもっと少ないことを想定していた。
●岐阜市内のウォークを設定したのは、体調が悪くなれば、どこからでもバスで
帰れる、万が一救急車を呼ぶことになってもすぐに対応できる、水分補給も
無くなった場合どこでも調達できるなど。午前中に距離を稼ぎ、午後はゆっくり進む
コースで、街中の不利な条件を上回れると考えた。見所も多く、約30分毎に休ん
でいた。事故もなく終わった結果をみれば、まちがっていなかったと言えよう。

●状況から判断して、今回の主要な見所であった鷺山城跡へ行く
ことを残念ながら取りやめたが、これも正解だったと思う。

◎柳ヶ瀬商店街の説明や岐阜公園の埋蔵文化財発掘現場の説明を依頼しておいたが、
こういう場を設定できることはありがたい。ウォークがウォーク以上のものになる。
岐阜公園での説明は、あまり見る機会がないものだけに特にありがたかった。
途中、興味のない人や疲れた方はここで休んでいてくださいといって、階段を登って
いったら、疲れているのにほとんど方が登ってこられた。皆さんの関心の深さを知った。
そして、ウォーク後、分かりやすい説明に感心と喜びの声を多く聞いた。

◎毎回のことながら、多くの人の協力を頂いて例会は実施できる。
先に記した説明を頂いた方、受付や旗手で協力頂いた方、
また、新聞社にこの例会開催記事を依頼して頂いた方、
こうした人の協力を得ながら、少しでも長く続くように、
少しでも良い例会が実施できるように努めていきたい。



川柳&ウォーク