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一宮友歩会・第11回例会 【史跡巡りシリーズ・東尾張編part1】
北名古屋市内(東部)の史跡を訪ねて
(全コース13km) (*例会当日、下見時の写真が混在しています)
平成19年12月1日の一宮友歩会 第11回例会は、北名古屋市東部、 つまり旧師勝町地内の史跡を主に 巡るコースを計画した。 歩行距離は約13kmである。 今回も上天気、12月に入ったと思え ない陽気である。参加者は60名弱、 名鉄犬山線西春駅東口で出発式を 行った後、駅構内を西に通り抜けて 鎌倉街道に入り、南下した。 |
十所神社境内を行く参加者 |
歩き始めて約30分、最初の見所である九之坪城址に着く。
九 之 坪 城 城主梁田弥次右衛門政綱は永正13年(1516)に生まれる。織田信秀・信長に仕え、 岩倉攻めの功により九之坪地区を与えられ、この地に城館を築く。 永禄3年(1560)桶狭間の合戦で勝利の原因となった道案内が功績大として残る。 |
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九之坪城址碑(ふれあいの家前庭) |
九之坪城を説明する協力員(右・伝説の石) |
伝説の石 城址と言われる一画にやや高い方形盛土 (3.9m*3.4m)があり、その中に自然石 (77cm*43cm)が一個置かれている。 この土地の所有者がその石を動かした後、病気 になったので、またそれを元に位置に戻した。 それ以来その家ではその石を動かすと祟りが あると伝え、土地改良事業でもこの石の周囲を そのまま残した。(「西春町史・民族編2」を要約) この石が残されことによって当時の 地盤高さを知ることができる・・・等々、 協力員から興味深い話が話された。 |
九之坪城跡から少し南下すると鴨田小学校である。
門扉越しに校庭を覗く。巨大な恐竜ににらまれる。
カモダザウルス 1992年2月誕生、北名古屋市鴨田小学校校庭に生息の恐竜。体格は高さは約4m、長さは約10m、 全身アルミ缶。1991年8月に交通安全子ども自転車全国大会の団体の部で鴨田小学校が優勝 したことから、教職員やPTA関係者たちが「すごいことを成し遂げた子ども達に、夢を与えるような ものをつくってあげたい」と立案。そのころ、子ども達に人気があったのが恐竜。さらに環境問題が 注目される中、子ども達にリサイクルについても関心を持ってもらう意味も込め、空き缶を 使って恐竜を製作した。骨組みは鉄骨、使用する空き缶は約1700個。6年に1度は缶をすべて 取り替えるお化粧直しも行っている。 (平成19年10月21日付け中日新聞を要約) |
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次は鴨田エコパークと新川東部浄化センターである。
新川東部浄化センターと鴨田エコパーク(右奧) 鴨田エコパークは平成17年4月にオープンした北名古屋衛生組合の汚水再生処理センター。 新川東部浄化センターは愛知県が建設中の新川東部流域下水道の汚水処理場。 |
北名古屋市二子の普照山日光寺で、休憩をさせて頂く。
そして文化財豊富な高田寺である。
高田寺(こうでんじ) 天台宗。寺伝によれば、創建は養老4年 (720)、開山は行基。本堂(国重文)は 鎌倉時代末期ないし室町初期建立。 本尊は造薬師如来坐像(国重文)。 本堂附厨子、本堂附護摩札も国重文。 本堂正面にある小野道風筆の「医王山」の 額面は、道風が書道の上達を祈願し、 奉納したと言われる。 筆塚があるのはこれに由来する。 |
町中を通り抜け、昔は木津(こっつ)用水と呼ばれた合瀬(あいせ)川に出る。
ふるさと創生事業で整備された遊歩道(堤防)を歩く。桜並木が今は紅葉真っ盛りであった。
コッツ山公園 |
遊歩道をコッツ山公園まで歩いた後、また町中に戻り、北名古屋市歴史民俗資料館に来る。
到着後、学芸員の方から資料館の説明を受ける。その後昼食、資料館の見学となる。
北名古屋市歴史民俗資料館(別名・昭和日常博物館) 昭和時代、特に昭和20、30年代の生活用品を集めて展示しているユニークな博物館で 「昭和日常博物館」とも呼ばれている。館内には、駄菓子屋を店丸ごと再現するような展示 や当時の暮らしを思い起こせる数多くの実物資料が常設的に展示されている。 |
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学芸員の方の説明を聞く |
午後は30分ほど歩いて、まず熊之庄歴史資料館の見学である。
本来は休館の所を特別に開いていただいた上、4人もの方に来て頂いて説明を受けた。
熊之庄歴史資料館 熊野神社の境内に昭和63年3月に竣工。熊野神社の神事として伝わる流鏑馬の道具を保管、 展示している。また熊之庄上之切神楽屋形(町指定文化財)も保存している。流鏑馬神事は 江戸時代から5年に一度の割合で行われていたが、昭和26年で中断。平成2年から復活した。 |
2階展示場で説明を受ける |
資料館北の「もえの丘」でトイレ休憩の後、十五カ用水に沿って、
ゴールの徳重・名古屋芸大駅まで残り3.5kmを一挙に歩く。
十五カ用水 大正期まで師勝町内の五カ用水と西春町内の 十カ用水はともに木津用水に水源をあおいで いたが、最末端に位置しており、十分な潅漑が できず、よく水不足を起こしていた。また ほとんど平行して流れていたので、二用水を 一本にまとめて効率化する話が起こった。 昭和7年12月に愛知県知事より十五カ用水 農業土木事業組合に、この事業に着手するよう に指令が出され、昭和8年5月に竣工した。 |
大野晃 十五カ用水事業にもっとも大きな功績のあっ たのが、組合長の大野晃氏であった。用地の とりまとめから、経費の融通、関係当局の 折衝等まで、事業一切の中心的原動力と なって活躍した。組合では後年、大野晃氏の 功績を称え、用水脇に記念像を建て、その 偉業を長く後世に伝えた。(師勝町史を要約) |
12月と思えない穏やか好天に恵まれ、見所は多く、良いウォークであったと思う。
特に今回は説明を3カ所でお願いした。歴史資料館は2カ所とも見甲斐があった。
まだ紅葉も十分見られ、遊歩道なども気持ちよく歩けた。
今回も多くの人に協力をして頂いた。この場を借りて御礼申し上げます。