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一宮友歩会・第10回例会 【河川探訪シリーズ・日光川編part1】
萩原より源流(江南)へ
一宮友歩会第10回例会は平成19年 10月6日(土)、名鉄尾西線萩原駅に 集合して行う。今回も好天に恵まれ、 参加者は約70名である。 河川探訪シリーズも木曽川編を終えて、 今回から日光川編である。第1回目は 萩原から源流の江南市をめざす。 |
萩原宿を通り抜けて、日光川に架かる萩原橋に出る。
橋を渡り少し上流に歩くと「佐吾平遭難遺跡」である。
萩原橋(手前)より上流を見る(橋上橋(中)と名神高速道(奧)) |
孝子佐吾平遭難遺跡 天保年間、播州明石の藩主が江戸への参勤途中、暴れ馬を取り押さえようと行列の 前を横切った萩原宿の馬方佐吾平が、先駆の武士に無礼打ちになった。 佐吾平は家は貧しかったが盲目の母によく仕え、孝子の誉れが高く、 人々は彼の死を悲しんだ。これを聞いた尾張藩は、以後、明石藩が 尾張藩領を通行するときは夜間に葬式の装いをしてのみの往来を許した。 |
朝宮公園で休憩後、野府川との合流点に来る。ここで今回も参加して頂いた
愛知県河川課の方から、この地域の河川の変化等の話を聞く。
東海北陸道近く |
弁天公園で休憩後、ほぼ1時間歩いて、北神明公園である。ここで昼食である。
北神明公園で談笑する参加者 |
整備されていた日光川も国道22号を越えると未整備で急に狭くなる。
国道22号(上部の道路)上流より下流を見る |
浅井山公園に来る。ここまでで約14km、ショートコースのゴールである。
10名ほどが帰られた。ここでも河川課の方の説明を聞く。
浅 井 山 公 園 公園面積約35,600u、昭和40年4月開園された公園である。その中心施設である温故井池は、 浅井万金膏で有名な森林平氏の元所有であったが、戦中戦後の労力物資不足により、 葦の密生するまま放置されていた。一宮市が昭和37年市の公園用地として、一部寄付を 含めて買収し、市民憩いの場として整備した。 また温故井池は、木曽川の乱流時代の河跡湖で、 文化8年(1811)にときの尾張藩主徳川公が落馬し負傷され、御殿医であった森林平氏が 治療に当たり、ほどなく全快されたお礼としてこの池が与えられたと言われる。 |
下見の時には浅井山公園を過ぎると、まもなく堤防が草ぼうぼうで歩けなかったが、
今日のウォークに間に合うように河川管理者の方で草を刈っていただき、その中を歩いた。
草刈りを終えた堤防を歩く |
日光川としての最上流 |
出発式から約6時間、ゴールの曼陀羅寺に無事到着である。約18kmの歩行である。
整理体操をして解散とする。更に江南駅まで歩かれた方は約21kmの長距離である。
日光川の川幅は出発時の萩原あたりでは20m、最上流では1mほどでした。
また、ウォークの楽しさを味わいながら都市河川の環境状況を知って頂くことができました。
今回も愛知県河川課の方に数カ所で説明をいただきました。また、下見の時には草が
茂って歩けなかった箇所も、このウォークに間に合うように管理者の方で刈って頂き、
草の根を踏みしめながら歩くことができました。堤防道路の交通量は比較的少ないのですが、
横断する道路が多く危険な所もありましたが、事故もなく無事終えることができました。
今回も多くの方に協力して頂きました。ありがとうございました。
川柳&ウォーク