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第1回 ながのツーデーウオーク


平成19年1月からNHK大河ドラマ
「風林火山」の放送を機に、
「川中島の戦い」ゆかりの史跡を
訪ねるツーデーウオークが
平成18年10月28・29日の両日
長野県松代町・川中島町を中心に
開催され、それに参加したので、
第1日目を中心に紹介します。


第1日目はさわやかな秋晴れ、
これ以上はないという好天気に、
550名を越える参加者があった。
目にする紅葉も素晴らしい。
3コースが設定されていたが、
川中島合戦コース21kmの
最長コースに参加した。

受付風景

歓迎アトラクション

出発式


松代城跡での出発式の後、松代城本丸を通り抜けて先に進む。

松代城(海津城)
永禄3年(1560)、武田信玄が上杉謙信との対決に備え、山本勘助に命じて川中島全体を
見渡せる要地に築城。元和8年(1622)に真田信之が上田より移封されて以降、
明治の廃城までの約250年間、松代藩真田家十万石の居城となった。
当初海津城と呼ばれていたが、真田三代目藩主幸道のときに幕名により「松代城」と改名された。


上信越自動車道に沿って歩いた後、妻女山に来る。少し山道を登ると、松代招魂社に出る。

妻  女  山
川中島合戦のとき、上杉謙信が陣営を設けた山で、伏兵千人を潜ませたと伝えられている。
川中島平は一望の中に入り、海津城の動静を伺い得る地である。
妻女山松代招魂社は、松代藩が戊辰戦争による犠牲者を祀った神社。


そして、山を下れば雨宮の渡である。

雨  宮  の  渡
千曲川の渡船場であり、川中島の戦いで最大の激戦の永禄4(1561)年9月9日夜半、上杉謙信は
敵武田信玄の策略を事前に察知し、人馬ともにこの雨宮の渡を渡り川中島平に兵を展開した。
今は千曲川の流れも北に移り、昔時をしのぶよすがもない。これを地元先覚者は惜しみ、
謙信奇襲の川中島合戦を詠んだ頼山陽の詩碑をここに建立し、渡河地点を保存した。
鞭聲肅肅夜河を過る  曉に見る千兵の大牙を擁するを。
遺恨なり十年一劍を磨き  流星光底に長蛇を逸す。


頼山陽詩碑


いよいよ千曲川である。岩野橋を渡り、その左岸堤防を5kmほど歩き続ける。


岩野橋を渡る(一面の長芋畑) 

前方は松代大橋


松代大橋の手前にある典厩寺に寄る。拝観料はゼッケンを付けた人は100円引きである

典  厩  寺 (てんきゅうじ)
川中島の合戦において武田信玄の弟、武田典厩信繁公がこの寺を本陣として出陣したが、激戦の末
37歳で戦死したのでこの寺に埋葬した。元は鶴巣寺と称していたが、その後武田方の重臣
として活躍した真田信之公が 典厩信繁公の菩提を弔うためその名を取って 典厩寺と改名した。


まもなく峠の釜飯で有名な「おぎのや」である。そして、何んとその隣の敷地内に胴合橋があった。


おぎのや長野店

胴合橋(どあいばし)
討ち取られた山本勘助の首と胴を
合わせた場所と言われる。


そして、上信越道の開通、市内と長野ICを結ぶ県道の拡張工事が
行われた際に整備された八幡原史跡公園である。

八幡原史跡公園
川中島合戦で信玄が本陣を置いた八幡原は、現在、緑豊かな史跡公園として開放されている。
12000m2の築山状芝生広場、自然石を配した小川、古風な茅葺き屋根のあづまやなどがある園内は、
市民の憩いの場。市立博物館や川中島古戦場・八幡社が隣接し充実した歴史散策を楽しめる。

広い原っぱに立つ佐久間象山像

八 幡 社

首  塚

馬上で太刀を振り下ろそうとしている謙信と、
それを軍配で受け止めようとする信玄像

三太刀七太刀之跡(みたちななたちのあと)


更埴橋を渡って右岸に出れば、山本勘助の墓が河川敷内にみえる。

山本勘助(道鬼)
山本勘助は三河の国(愛知県)の出身で初めは今川義元に仕えていたが、のちに武田信玄の家臣と
なった。諸国を流浪して各国の事情に精通し、武芸百般を体得した信玄の参謀。信玄が上杉謙信の
攻撃に備えて築いた海津城(松代城)の構築も手がけた。永禄4(1561)年9月の川中島の合戦では、
「きつつきの戦法」を信玄に勧めたが、それを上杉謙信に見破られたために武田軍は苦戦に陥った。
勘助はその責任を感じ、敵陣へ駆け込み奮戦したが力尽きて討死した。(説明看板要約)


千曲川から離れ、再び上越自動車道をくぐればゴールは近い。長国寺にも寄りゴールとなる。

長  国  寺
天文16年(1547)、真田幸隆公(1513〜1574)が、真田郷の松尾城内に建立した真田家の菩提寺。
永禄7年(1564)松尾城外に移され、本格的な禅刹としての諸施設を整えたが、元和8年(1622)、
上田藩主だった真田信之(1566〜1658)の松代移封にともなって現在地に移転し、寺号も長国寺と改めた。


こうして第1日目、21km、5時間ばかりのウォーキングを満足に終える。


第2日目は簡単に紹介します。
この日も好天に恵まれ、武田信玄コース21kmに参加する。


歓迎アトラクション

両角豊後守の墓

幕張の杉

桑山茂美の墓

勘助宮跡

ゴール風景


第2日目も21kmのウォーキングを満足に終え、順調に帰宅する。


寺さんのウォーク・トーク

◎千曲川という大河、山に囲まれた風景、そして、豊富な史跡、ウォーキング
コースとして最高の地の利を得ている。更に紅葉とさわやかな
秋晴れの時期の開催、それを裏切らない開催日であった。
◎地域をあげて盛り上げ、成功させる意欲を十分に感じる大会であった。
こうした連携が更に地域をよくしていくのである。
第1回としては十分に満足するものであった。

◎しかし、私には質問したいことや気になる点が多々あった。
特に第1日目と第2日目とかなりコースが重なっていたこと、
行って戻る箇所が数カ所あったことは避ける工夫が欲しい。
◎第1日目と2日目の配布物が重なっていた無駄も気になることである。
アンケートもしっかり取られていたから、更に改善を図られるだろう。

◎高速バスを利用して出かけ、2泊3日で参加したが、
こうしたことができる境遇をありがたく思う。
ウォーキングの魅力を「歴史を訪ね、自然に触れ、友と語らう」
と言う私の口癖そのもののウォーキング大会に感謝したい。


川柳&ウォーク