wa114
一宮友歩会・第3回例会 【史跡巡りシリーズ・西尾張編part1】
史跡を訪ねて稲沢から岩倉へ
平成18年7月1日に開催した一宮友歩会第3回例会を紹介します。
(写真には5月3日実施の下見時のものを含みます)
梅雨の最中、蒸し暑い不安定な天候ながら85名もの人がJR稲沢駅東口に集まった。
9時から出発式、準備運動などをして9時15分に出発、すぐに万徳寺である。
出発式(JR稲沢駅東口) |
万 徳 寺 |
万徳寺の裏境内では、名古屋場所を前に東関部屋の
朝稽古中であった。早々に拾いもの、みものである。
ほぼJR東海道線に沿って北方向に歩き、まむなく田んぼの中にポツンと立つ陸田古城跡碑を見る。
陸田(くがた)古城跡 |
「尾張徇行記」に「陸田村に在り。陸田市左衛門之に居る。 その址二反七畝、織田信雄の家臣なり」とある。 城跡は稲沢操車場敷地となり、残地も昭和10年頃の 土地改良で田に引きならされた。しかし、地名に今も 「丸の内」「陣出」「西の口」などが残る。 |
JR東海道線にそって更に北に歩き、一宮市に入る。まず油田公園である。
この公園の一角に「真清田大神降臨伝承地」の碑が立つ。
多加木公園・多加木緑道を通り抜け、方向を東に変えて国道22号を越える。
まもなく住宅地の中にポツンと残る小さな丘の重吉城跡である。
多加木公園 |
多加木緑道 |
重吉城跡 大永年間(1521~1528)尾藤源内重吉が信濃の国から尾張三井の里に城を築いて移り住んだ。 天正12年(1584)小牧・長久手合戦に際し、三ツ井重吉城は織田・徳川方の重要拠点のひとつとされた。池田輝政らが犬山城を占領したのに対し、家康らは小牧山を押さえ、その付城としてここ重吉城と小折に砦を備え、小牧と清洲を結ぶ連絡路の確保に努めている。 (重吉城跡で一宮友歩会協力員の方の丁寧な説明を受ける) |
小雨が降り始めて、急きょ昼食場所に北島公民館を借りることにする。
昼食後は、まず岩倉市自然生態園を見学する。
ここから要所要所でガイドボランティア団体「いわくら塾」の人たちの説明を受ける。
岩倉市自然生態園 市街化で失われつつある身近な自然環境を復元、保全するため、 隣接する津島神社の森と一体のものとして整備されたビオトープ公園。 面積は津島神社と併せて約7100u。平成8年4月開園。 |
歩きを更に東に進め、岩倉市史跡公園、岩倉城跡を見学し、
最後は山内一豊公誕生地で説明を受ける。
いわくら塾の人々(後方:竪穴住居) |
鳥居建民家 |
岩倉市史跡公園 大地遺跡地に整備された公園。室町時代の農家形式を移築した鳥居建民家、 昭和26年の発掘調査で発見された弥生中期前半の住居跡を復元・展示した竪穴住居がある。 |
岩 倉 城 跡 1479年、尾張上四郡を治めていた織田敏広によって築城された 。1557年、 信安の代となって、織田信長と対立する織田信行に味方したため、信長に攻められた。 1558年、浮野合戦で敗れた信安は岩倉城に篭ったが、1559年に落城し、廃城になった。 |
山内一豊公生誕地 一豊の父・盛豊が「武運長久を祈って社を建てた」という由緒より、昭和9年に 神明生田神社境内に建てられた。山内一豊は、天文14年(1545)7月に岩倉城の家老 m馬守盛豊の三男として岩倉の地に誕生した。一宮市木曽川町と生誕地争いをしている。 |
山内一豊公の説明を受け、生誕地碑を見学した後、解散式に移る。
整理体操をし、次回の案内をして午後3時少し前に解散となる。
一時ぱらついた雨も傘の必要もなく、約13kmウォークを5時間半ばかりで無事終える。
寺さんのウォーク・トーク ◎雨の予報の中、夜中からかなり強く降った雨も朝方にはあがって いたのは幸運だが、それでも天候は不安定、また「暑い時期ですので 今回は休みます」という返事も沢山いただいていた中、 85名もの多くの方に参加して頂いたのには内心驚きである。 ◎また今回は大変多くの方の協力を得た。ガイドボランティア団体の 「いわくら塾」の方には10名もの方に協力・説明して頂いた。 油田公園では予定していなかった方の説明もあった。 重吉城跡での協力員の丁寧な説明もあった。こういうのは本当に嬉しい。 ◎私の造語であるが、ウォーキングの魅力を 「歴史を訪ね、自然に触れ、友と語らう」常々言っているが、 今回はまさにそれを感じさせる例会であった。 ◎蒸し暑い中、冷房の効いた北島公民館で昼食が取れたのは 本当に助った。今回は本当に多くの方に協力して頂いた。 ◎このコース設定にコースリーダーなどは3回以上の下見をしている。 特に、陸田城跡碑は地元の人に聞いても なかなかその位置が分からなかったようだ。 みんなで会を作り、盛り上げて頂いているということを強く感じた。 ◎この会で歩き始めた人が多いだけに、雨は大敵である。 翌日の日曜日がまた強い雨降りだったことを思うと、 本当にこの会は幸運な会だと思う。 |