wa113 一宮友歩会・第2回例会 【河川探訪シリーズ・木曽川編part1】 木曽川堤駅より祖父江砂丘 |
一宮友歩会第2回例会は、平成18年5月4日、名鉄本線木曽川堤駅を出発地として開催した。
ゴールデンウィークの最中であったが、好天に恵まれ80名もの参加があった。
ショートコース8km、ロングコース21kmである。
(写真は4月12日に行った下見ウォーク時のものを含む)
木曽川堤駅近くの堤防上で、出発式を行った後、旧尾西鉄道跡や宝江渡し跡など、
あまり知られていない史跡などを見ながら進む。これもウォークの醍醐味である。
岐阜街道、宝江渡しなどの説明板 |
高橋源左衛門旧居跡 |
岐 阜 街 道 愛知県稲沢市井之口を起点とし、下津、赤池、一宮市を経て一宮市北方町から木曽川を渡って 岐阜県に入り、笠松町を経て岐阜市内にいたる道で、旧国道22号(現在の県道名古屋一宮線 ・岐阜稲沢線)の元になっている。尾張街道、御鮨街道などとも呼ばれている。 |
更に進むと、堤防下に竹藪が見える。民地であり、入れないようにロープが
張ってあるが、奥の方に碑が見える。雀のお宿である。
雀 の お 宿 野田素峰(1892〜1947)が開設した児童愛護施設。素峰は病弱のため早稲田 大学を中退。自分と同じ境遇にある虚弱児の救済を発願し、大正10年故郷の一宮市に 北原白秋らの支援によって創設した。その後、昭和2年に木曽川町の木曽川畔へ移転。 木曽川堤改修工事計画で昭和11年秋、恵那市へ移転。創立当初から、詩人の北原白秋 ・野口雨情・竹久夢二ら中央の芸術家・文化人の支援を受けている。 上川原の竹藪の中に立つ句碑には「雪の日は松わたる風床に聞く」とある。 |
河川敷の中の木曽川緑地を歩いていく。ツツジが満開である。
木曽川緑地(後方は尾濃大橋)
伊勢神宮遙拝所を経て、堤防上に上がれば、繊維盛んなころを忍ぶ染色工場の煙突が数本見える。
河川敷内の伊勢神宮遙拝所 |
そして、堤防鎮護の守護神を祭る堤治(ツツミハリ・ツツミジ)神社である。
宝江渡し跡、奥町渡し跡に続いて3カ所目の渡し跡である起渡船場跡である。
碑は金刀比羅社内にあり、大きな常夜灯が立っている。
12時近くにショートコースのゴールである一宮市尾西歴史民俗資料館に到着する。
起宿脇本陣が隣接している。
起宿脇本陣 |
脇本陣の庭園 |
起宿脇本陣 |
ショートコースの人と別れ、全コースの人は富田山公園で昼食を取った後、西中野渡船場に行く。
西 中 野 渡 船 |
更に、5月の快い川風を受けながら堤防上路肩を1列になって歩き、
国営木曽三川公園・ワールドネイチャープラザに来る。
水上にはウィンドサーフィン(後方は馬飼頭首口) |
祖父江砂丘 |
隣接する木曽川祖父江緑地である。沢山の家族連れでぎわっていた。
ここから木曽川と離れ、山崎駅へ向かう。まずは、ボケ除け寺・祖父江観音に立ち寄る。
更に祖父江善光寺・東海別院である。大屋根の改修中である。
昭和35年の第二室戸台風で鐘楼が 倒壊、平成15年に仮復旧された。 |
そして、祐専寺で解散式、名鉄尾西線山崎駅に3時半に到着して、全コースを無事終える。
寺さんのウォーク・トーク ・この会でウォークが始めたばかりの人が多く、天気がまず心配された。 雨も自然とは言うが、こう言えるようになるには、かなりアル中の領域に入らねば言えない。 数日前までは雨の予報であったが、少し曇りがちながらさわやかな日となった。 暑からず、まさに快適なウォーク日和であった。 翌日は終日かなり激しい雨だったことを思うと、本当にわが幸運を思う。 ・参加者数には、ゴールデンウイーク最中でこれも減少の要因と心配されたが、前回とほぼ 同じ参加であった。まだほとんど知られていない会と思うだけに、嬉しいことである。 ・中日新聞のミニコミ誌・ファミリーで知って参加した人、会の名前だけを聞いてインター ネットで調べて参加した人、また知人の勧誘等いろいろな形で知って参加してもらっていた。 ・会の運営、コースもおおむね好評であったと思うが、参加者の声を聞きながら、 これからも工夫をしていきたいと思う。まだ始まったばかりである。 ・運営委員の人たちには、それぞれ密かに工夫をしてもらっていることが多々あり、 これもありがたいことである。失敗もあったが、反省しながら今後に対応したい。 ・21kmの全コースに80名中50名が挑戦、完歩されたことには驚く。 機会があれば、皆さん歩かれるのだ。その機会をこれからどんどん作っていきたい。 ・運営委員、参加者みんなで作る会をめざしたい。自分の会だと思って、 協力を是非をお願いしたい。いずれにしろ、まだ始まったばかりである。 焦らず、あわてずじっくり進めたい。
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