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山内一豊生誕の地を結ぶ


平成17年11月20日、愛知県ウォーキング協会の例会は秋晴れの中、
JR木曽川駅から、名鉄犬山線岩倉駅までの21kmで行われた。
木曽川と岩倉は共に一豊生誕地の碑を建て、本家争いをしている。
二つの生誕の地を結ぶなかなかユニークなコースである。
平成18年のNHK総合テレビの大河ドラマは一豊公が主人公であり、
本家争いはさらに激しくなるのか、それとも手を取り合って共に栄えるのか・・・。

(注)この例会では旗手を務め、ほとんど写真を撮ることができず、
*印以外は6月29日雨の中で行った下見時撮影のものである。


JR木曽川駅の南側に隣接する中央児童遊園に集合、出発式をした後、9時20分出発する。
今日の私の役目は旗手である。参加者160名はまず5分ばかりで黒田城跡見学である。

黒 田 城 跡
黒田字古城の黒田小学校付近が城跡で、碑は小学校の北東角にある。明応年間
(1492〜1501)に後藤光秋がこの地に屋敷を構えたのが始まりで、岩倉の織田信安の
臣であった山内但馬守盛豊(一豊の父)が、さらに改修を加えたという。その後、信長の
臣である和田新助が入り、その後澤井左衛門雄重、一柳監物直盛の居城となる

黒田城跡

黒田城跡地内にたつ山内一豊公の碑


黒田城跡を見学した後、JR東海道線を渡れば法蓮寺である。

法蓮寺

法蓮寺境内に立つ一豊公誕生の地の碑
黒田城主だった山内但馬守盛豊と、その長男である十郎の墓で、向かって
右側が父盛豊の墓である。一豊は盛豊の三男(一説には二男)である。


        法蓮寺を参拝後、約2km先の伊冨利部(いぶりべ)神社をめざす。
        東海北陸自動車道の高架下をくぐればすぐである。


伊冨利部神社

伊冨利部神社本殿
門間の荘・一の宮として崇拝され、
神門の門扉には菊のご紋がある。

*伊冨利部神社境内にある門間(かどま)古墳


今度は4.5km先の浅井山公園である。紅葉には少し遅めではあるが、まだその余韻を残している。

浅井山公園

浅井山公園内
浅 井 山 公 園
温故井池を中心とした公園で、池が公園の面積の半分近くを占めている。池の南東部は小山になって
おり、マツとモミジの自然林を形成し、南部にはバラ園も整備されている。面積35500uの特殊公園。

*参加者交流風景(浅井山公園)


     次の一宮地域文化広場までは4kmである。
危険な横断が何カ所もあり、交通誘導員は大忙しである。
 文化広場で昼食である。さわやかな秋空のもと、車座になって
芝生に座り込み、いつもながらにぎやかな昼食である。

一宮地域文化広場
地域住民の心のふれあいと地域文化の振興をめざし、愛知県と一宮市の
共同事業として建設され、昭和55年9月オープンした。自然林に囲まれた緑豊かな
環境の中に、フィールドアスレチックやプラネタリウムなどがある。 

一宮地域文化広場

*文化広場内プラネタリウム


           昼食後は国道155号を通り、浮野古戦場跡である。
               この史跡を見るために、わざわざの寄り道である。

浮野古戦場跡
永禄元年(1558)5月28日、二千余騎をひきいた織田信長は、岩倉城織田伊勢守信安を攻撃する
ため浮野に陣を進めた。続いて7月12日犬山城主織田十郎左衛門が千騎ばかりを従えて、馳せ
加わったので総勢三千騎が浮野の中心に争い、死闘二刻、首級九百余を討ち取った。
これを浮野合戦と呼び、首級を埋めた地(通称浮ぐい首塚)に建碑した。(浮野合戦場址碑文より)


再び155号に戻り、布袋駅近くの白髭神社まで歩く。ショートコース16kmはここまでである。

*白髭神社


ショートコースの30名ばかりを送り出した後、ロングコースは先に進む。まず生駒屋敷跡である。
生駒屋敷(小折城)跡
生駒山麓谷口村に住んでいた生駒氏が戦乱の中、尾張国丹羽郡前野村の前野氏を頼り
同郡小折村に移り住み、染料・油の商いと馬借(現:運送業)で財を蓄え、大きな屋敷を構えたもの。
3代家宗の娘「吉乃(キツノ)」が織田信長の側室となり、織田家に対し重要な地位を占めるようになった。


そして、生駒氏の菩提寺である久昌寺である。

久昌寺

久昌寺内吉乃墓碑



ここを過ぎれば、五条川の左岸を一路岩倉めざして一気に進む。
山内一豊生誕の碑が立つ神明生田神社までは4kmである。
少し遅れ気味のこともあって、かなり速く歩く。


神明社境内一豊公誕生の地の碑


愛知県ウォーキング協会の例会としては今年最長の21kmコース。
コースリーダーは6回の下見、用意周到な準備のもと、
3時40分、6時間20分のウォークを無事終える。



川柳&ウォーク