wa107 三河から尾張へ 高浜市から半田市へ |
平成17年10月2日、碧海・幡豆 ウオーキング協会の例会に参加 した。 秋晴れの中、名鉄三河線・三河 高浜駅に60名ばかりの人が集ま った。 三河高浜駅からまず春日神社を めざした。神社は「おまんと祭り」 の最中であった。 何十年ぶりに見る祭りであろう か、早々に嬉しいことである。 |
おまんと祭り 織田信長が今川義元を討ち取り、清洲城に凱旋したとき、村人が喜んで馬を走らせて 城に集まった。これをきっかけに、馬を駆け回らせる村の祭りとなった。 法被に地下足袋姿の若者が、円形に組んだ馬場で、鈴飾りや造花を背負って疾走する 馬に飛びつき、人馬一体となって駆け回る勇壮なお祭りで、高浜市無形民俗文化財。 |
祭りを少し見たあと、鬼の道を通って、衣浦観音、森前渡船場跡(かわら美術館)に来る。
森前公園 |
衣浦観音は高さ8mで、 陶管製として日本一 |
森前渡船場跡碑 |
ここから衣浦大橋を渡れば、三河から尾張へ、高浜市から半田市である。
衣 浦 大 橋 衣浦大橋の旧橋は昭和31年4月に、新橋は昭和53年2月に完成する。新橋が完成したことにより、 旧橋は半田から高浜方面へ、新橋は高浜から半田方面へと分離し、それぞれ2車線となった。 |
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衣浦大橋を渡ると、亀崎に入り、亀崎海浜緑地を歩く。
亀崎海浜緑地 1996年に造成されたシー サイドパーク。人工海浜、 まつり広場、釣りのできる 護岸、散歩道が整備 されている。 また、例年5月3日・4日に 行われる亀崎潮干祭は亀崎 海浜緑地内の人工海浜に 山車が引き入れられる。 |
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半田の街中に入り、 JR武豊線を過ぎ、 名鉄河和線を渡れば すぐに新美南吉の 生家である。 |
童話作家・新美南吉は大正2(1913)年に半田市岩滑(やなべ)に生まれる。彼の作品の 大半は、昭和18(1943)年、29歳で肺結核で亡くなるまでの数年間に故郷で 書かれたものである。作品は「ごんぎつね」「おじいさんのランプ」など。同じ童話作家で ある宮沢賢治と比較されることが多く「東の賢治、西の南吉」とも言われる。 |
新美南吉生い立ちの地碑と生家 |
生家の内部(継母が営んでいた下駄屋) |
生家を出て少し北へ行けば、矢勝(やかち)川である。
上流に向かって歩く。すぐに「でで虫広場」である。
でで虫広場 |
広場のフェンス(ゴンギツネ) |
そして、歓声を上げるばかりの彼岸花である。今を盛りと咲いていた。
東橋(ごんの橋)まで来ると「矢勝川の環境を守る会」の人たちが案内をしてみえた。
ここで話を聞いて、この彼岸花の由来も理解できた。
「矢勝川の環境を守る会」と彼岸花 平成2年のこと、南吉と同じ岩滑に生まれ育った小栗大造さんは、ある壮大な計画を思い立ちました。 “南吉がよく散策した矢勝川の堤をキャンバスに、彼岸花で真っ赤な風景を描こう。” ただ一人で草を 刈り、球根を植えるその姿に、一人また一人と手伝う人が現れ、やがてその活動は「矢勝川の環境を 守る会」へと発展します。こうして現在では、秋の彼岸(9月下旬)になると東西2キロメートルに わたって百万本を越す彼岸花が咲くようになりました。また周辺の休耕田にも、菜の花、ハナスベリヒユ、 コスモスなど季節ごとに花が咲き、四季を通して童話の里を彩ります。(新美南吉顕彰会パンフレットより) |
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案内する環境を守る会の人たち |
ここまで来ると目の前が新美南吉記念館である。
新美南吉記念館 平成6年6月会館。展示室には南吉の原稿や日記・手紙などの資料が展示してある。また、「ごん狐」や 「手袋を買いに」などの童話のジオラマやビデオコーナーがある。記念館ショップでは南吉の本なども買える。 |
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標柱(ゴンギツネ) |
デンデンムシノカナシミ碑 |
記念館・入り口 |
記念館・内部 |
「手袋を買いに」像 |
童話の森 |
知多半島道路をくぐればすぐに南吉の養家である。
養家を見学したら半田の町へ引き返すことになる。今度は知多半島道路の上を渡る。
知多半島道路と半田常滑インターチェンジ |
平和橋(ここにもゴンギツネ) |
今度は南吉の墓である。半田工業高校近くの北谷墓地の中にある。
知多半田駅近くの雁宿公園で解散式である。
雁宿公園・展望台 |
雁宿公園・貝殻詩碑 |
こうして5時間半、14kmのウォークを終える。
今日歩いた半田・岩滑地区は至る所に南吉ゆかりのものがあり、
南吉のふるさとをしっかり感じさせる町だった。
それだけ南吉を愛し、大切にしていると言うことであろう。
川柳&ウォーク