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第5回 同窓会ウォーク
知多半島西海岸(南部)
平成13年10月に終わった、道元さん(七街道)ウォークの第9班の
メンバーによる同窓会ウォークが、今年(平成17年)は4月2〜3日に
愛知県知多半島で持たれた。今回は知多市に住むYさんの当番である。
**** 4月2日(土) ****
午前10時に、名鉄知多新線内海駅に集合する。
北は千葉県から南は福岡県まで、メンバー20名のうち17名の参加である。
よく集まるものだと全く感心する。
Yさんを先頭に、内海駅より海岸をめざして歩く。
途中、明日行われる春祭りにくり出す山車の組み立て中に出会う。
内 海 駅 |
組み立て中の山車 |
各所に点在する知多四国霊場に寄りながら歩く。出た海岸は礫(つぶて)ヶ浦である。
礫 ヶ 浦 その名前の由来は、伊勢の神々が力比べをして対岸に 石を投げあったと伝えられ、約2億年前の大小無数の礫石が 砂岩に食い込み、奇観を呈している。 また、最も大きな石が知多半島最大の山、高峰山(128m)に 当たって、砕けたつぶてが海岸に散らばったとも伝えられている。 伊勢神宮遙拝所として鳥居が岩上に立っている。 |
そして、海岸線に沿ってゆっくり南下する。豊浜に入る。
豊浜は鯛祭りで有名である。豊浜魚ひろばに寄る。
店先に飾られた鯛祭りの鯛 |
豊浜魚ひろば |
市場で買い物をした後、少し戻り、岩屋寺をめざして半島内に入っていく。
岩屋寺は初めてである。こんなところにこんな立派な寺院があったのか。
岩 屋 寺 岩屋寺は尾張高野山宗総本山で、知多四国八十八カ所第43番、南知多三十三観音第25番、 尾張弘法第1番の霊場である。715(霊亀元)年に元正天皇の勅願により、行基を開祖として 創建されたと言われる。また,親鸞上人が阿弥陀堂に本尊を納めたという。19世紀の文化年間 に尾張藩によって徳川の勅願所となり伽藍が整備された。もともとは天台宗であったが, 昭和25年に独立し,尾張高野山の総本山となった。裏手の山を登ると石造りの五百羅漢が並ぶ。 古くはなっているものの戒壇院も残る。山上には弘法大師の石仏も建つ。 |
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岩屋寺奥ノ院 奥の院は弘法大師空海が百日の護摩を修め、岩窟に聖観音を安置したのが 始まりといわれる。朱塗りの三重塔があり、これが納骨堂である。 石窟の至る所に石仏があり、その数は数千体に及ぶという。 |
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その後、天竜寺に寄り、迎えのバスで宿泊所の内海の旅館に向かう。
**** 4月3日(日) ****
翌日は、内海の宿から常滑駅まで宿のバスで送ってもらうことになるが、
途中、和訳聖書発祥碑と野間大坊に寄ってもらうことにする。
聖書の和訳を日本人で初めて成し遂げた山本乙(音)吉の骨つぼがシンガポールで
確認され、今年2月20日、173年ぶりに生まれ故郷の美浜町小野浦に帰った。
愛知県の新聞ではそのことが大きく扱われていた。折角のいい機会なので、
皆さんに寄ってもらった。実は私自身が行ってみたかったのだが・・・・。
和訳聖書発祥碑 (三吉碑) 日本聖書協会を中心とし、 愛知県・名古屋市・美浜町 ・財界、その他各方面の 協力と援助を得て建てた もの。昭和55年には、 周囲が整備されて 小公園のようになった。 地元では、岩吉、久吉、 乙吉の3人の碑のため 三吉碑と言うようだ。 |
1832(天保3)年、小野浦の 千石船・宝順丸は尾張藩の荷を 積み江戸へ向かうが、途中駿河 沖で遭難した。14人の乗組員 のうち、岩吉、久吉、乙吉(音吉)の 3人が生き残り、カナダに漂着した。 異境を放浪中のドイツ人宣教師 ギュッラフに協力して、1837 (天保8)年、シンガポールで 最初の和訳聖書を出版した。 同年、アメリカ船モリソン号で 帰国の途についたが、幕府の 鎖国政策で上陸できず、 外国の地で生涯を終えた。 三浦綾子の小説「海嶺」は この話を扱ったものである。 |
そして、宝順丸乗組員14名の墓がある良参寺にも行く。
本堂の裏にある墓碑には乙吉らの名も読み取れた。
次に野間大坊に寄る。
野 間 大 坊 歴史は古く、天武天皇(673〜686)の時代に始まり聖武天皇(723〜749)の時、 行基菩薩が中興した。承暦年間(1077〜1081)に白河天皇の勅願寺として、 大御堂と称せられた。後に源頼朝公が亡父義朝公の菩提を弔うために建久元年 (1190)に開運延命地蔵と不動明王.毘沙門天を奉安され、七堂伽藍を造営した。 その後、秀吉公、家康公の庇護を受け更に繁栄し、現在尾張地方随一の 祈祷寺として人々に愛され、広く信仰を集めている。 |
〜源義朝公御廟由来〜 源氏の総帥左馬頭源義朝公は、京都六波羅 合戦で平家に敗れ、東国へ向かわれる途中、 此の地の東方野間田上の御湯殿で家臣 長田忠政のために御入浴中、謀殺なされし その時「我れに木太刀の一本なりとも あれば…」と悲痛な一言を残され 最期を遂げられました。その慰霊のために、 木太刀を献ずる習わしが出来て、 山の様に積まれています。 木太刀ご奉献の方はすべての 願いが叶うと云われています。 |
源義朝公御廟 |
血の池 |
常滑駅からは「やきもの道散歩道」のAコース(1.5km)及び
Bコース(4km)を歩くことにする。
土管の塀と小学生の陶板 |
土 管 坂 |
町中での陶板の案内板 |
登り窯広場のモニュメント |
窯のある広場・資料館 |
世界のタイル博物館 |
常滑駅に12時過ぎに戻り、来年の再会を約束して解散となる。
私はその後、ここまで着た機会に、今年2月17日に開港した中部国際空港
(セントレア)を始めて訪れてみる。聞きしに勝る大変な賑わいである。
主目的はターミナルビル横庭園内に設置された、自分の名を刻んだ
「開港記念プレート」を確認するためである。同行の人にも
探してもらいやっと見つける。ブラウンのブロックに
確かに私の名が刻まれていた。いい記念になった。
国内線(北側)駐機場 |
(右)ターミナルビル (中)名鉄駅 (左)ホテル |
ターミナルビルと記念プレート広場 |
記念プレート |
(日本ウオーキング協会発行「あるけあるけ」新聞・ 2005年5月号(第486号)「歩友の広場」掲載) 同 窓 会 ウォ ー ク 今年も同窓会ウォークがなごやかに開催された。4月2日に愛知県知多半島の 内海に集合し、南知多町の海岸歩きと弘法霊場巡り、翌日は常滑市内の焼き物 散歩道を歩いた。北は千葉県から、南は福岡県まで、会員20名のうち17名が集まった。 同窓会とは何の同窓会?・・・道元さん(七街道)ウォーク第9班の同窓会なのです。 第9班のメンバーは京都から永平寺まで、ほぼ全員が毎回同じ宿に泊まるという 幸運に恵まれた。班長さん始め、皆さん友好的な人で自然に親しくなる。そこで、 道元さんウォークが終わっても時折会おうということになる。 その第1回目は、私の住む一宮で平成14年1月に開催された尾張野 ツーデーウォークに来てもらった。第2回目は同年8月の京都五山ウォークに、 その後は毎年4月に、会員さんの住む地方に集まって、その会員さんの 案内で歩くようになった。今回がその第5回目であった。 (2005年4月25日) |