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’04大和路まほろば
ツーデーウォーク
今年(平成16年)は第2回目である。昨年に続き参加することができた。
第1日目11月27日は近鉄郡山駅から薬師寺を通って奈良公園までの
鑑真和上13kmコースに、第2日目11月28日は近鉄枚岡駅より暗峠、
大安寺を通って奈良公園までの小野妹子25kmコースに参加する。
今年は両日とも天気に恵まれ、素晴らしいウォークとなった。
ここでは小野妹子コースの見所を紹介していく。
枚岡(ひらおか)駅のすぐ前にある枚岡神社が
集合場所である。8時10分出発となる。
枚 岡 神 社 河内国一宮で、生駒山西麓にある。約1200年前、二神を奈良の春日大社に分祀した ことから元春日(もとかすが)と呼ばれ、藤原氏の隆盛とともに栄えた。 山を背にした本殿4棟は、春日造りと似ているが枚岡造りという独自の様式。 |
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枚岡神社を出るとすぐに急な上り坂が始まる。
そして、暗峠まで標高差約400m、30分で一気に登る。
暗峠は県境である。 |
南生駒変電所辺りから見た暗峠(中央部) |
出発して1時間40分、約10km地点の矢田山遊びの森
・子ども交流館に来る。チェックポイントである。
子ども交流館 |
第二阪奈有料道を2回渡り、垂仁天皇陵に来る。
ここから薬師寺までは昨日の逆回りである。
垂 仁 天 皇 陵 水濠に囲まれた墳丘が美しい全長227mの前方後円墳。濠の南東部に浮かぶ小島は、 垂仁天皇の命で不老不死の果物を探しに行った田道間守の墓という。 |
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田道間守の墓 |
近鉄橿原線を渡り、唐招提寺を通ると薬師寺である。
薬 師 寺 天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈り、藤原京に創建された。 その後平城遷都に伴い、718年に現在地に移された。華麗な伽藍も数次の火災に あって次々と焼失し、創建当時の姿を残すのは東塔のみである。 しかし、昭和51年(1976)金堂が、昭和56年(1981)には西塔が復原造営され、 その後も白鳳伽藍の復興を目指して再建が進められている。 |
西 塔 |
そして、1.7kmばかりまっすぐ東に進めば大安寺である。
大 安 寺 聖徳太子が平群に建てた熊凝精舎がその始まりといわれる。南都七大寺の ひとつに数えられ、左京六条四坊から七条四坊にまたがる広大な寺域を占め、 南大寺とも呼ばれた。西の薬師寺に対峙する国家鎮護の寺でもあった。 奈良時代の木造十一面観音立像、木造四天王立像、(共に重文)など 九体の天平仏が安置されている。ちょうど十一面観音像が公開中であった。 |
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(道草情報) 南都七大寺 南都は宗教都市として、東大寺・興福寺・薬師寺・大安寺 ・元興寺・西大寺・法隆寺の七寺を国家で保護した。 |
奈良市の中心部、奈良町に入ってくる。
格子の家、庚申堂、奈良町資料館など古い町並みを見て回る。
庚 申 堂 |
奈良町資料館 |
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そして、猿沢池、興福寺である。
ゴールは奈良公園・登大路園地である。
快い25km、4時間30分のウォークであった。
ゴールでは沢山の知人に会い、連れだって帰宅となった。
寺さんのウォーク・トーク ●昨年と同じ時刻に家を出て奈良に向かう。 今年も出かけられるありがたさ、うれしさである。 ●第1日目、集合場所の三の丸公園(郡山)に来てみれば、AWA会長の 伊藤ご夫妻に会う。薬師寺まで一緒に歩く。夫妻は拝観料を払って 参拝されるが、自分は別れてそのまま先に進む。 しかし、これがゴール後悔やむことになる。この夜は奈良に泊まるので あるからゆっくりしたゴールでよいのだ。早いゴールにどうしようか迷う。 こんなことなら薬師寺をゆっくり拝観すればよかった。 ゴールを急いではいけないと常々思っているのに、また失敗である。 ●第2日目、集合場所の枚岡神社で鹿の「手水舎」と「神の使い」を見つける。 この発見、出会いが何ともうれしい。留め蓋もたくさん写真に撮った。 ●今年は2日間とも申し分ない秋晴れの天候に快調に歩いた。 何か久しぶりに歩いているという気分であった。 始めて会った人とも、また旧知の人とも話ながら歩いた。 本当に「歴史を訪ね、自然に触れ、友と語らう」歩きができた。 ●ゼッケンにメッセージを書く欄があるが、いつも何を書こうか迷う。 今回もそうであったが、しばらく考えて「良地、良友で良歩」と書いた。 なかなか良い思いつきだ、今後これを自分のメッセージにしよう。 「良い土地と良い友で今日も良い歩き」 |