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景 清 道 を 行 く
旅庵寺(近江八幡市)から桑実寺(安土町)

平成16年2月8日、久しぶりに滋賀県ウォーキング協会
例会に参加するため、近江八幡駅に出かける。


源平の争乱に際し、並はずれた怪力の持ち主として猛勇を馳せた
悪七兵衛景清にまつわる伝承が各地に残されているが、
今回のコースは、近江に伝えられる「景清道」を歩く。



 平景清と景清道

平景清は、平氏の侍大将で、寿永4年(1185)讃岐国屋島の
戦いに、源氏の美尾屋十郎と戦い、美尾が逃げんとするや、鎧を
つかんで引き絶ち、これを薙刀にかけて、「吾は景清なり、誰ぞ
来たりて死を決せざる」と叫び、敵を求めたという剛のものである。

近江八幡の景清道は、景清が平氏再興の祈願をするため、尾張国より
京都の清水寺へ通った道とも、寄寓していた近江八幡の旅庵寺より桑実
寺の薬師如来に、眼病平癒のために日参した道ともいわれている。人里
離れた山の中や、田の畦のようなところをくねくねと走っているのは、
景清が関所を通過せずに、通行しようとして作ったためといわれている。


近江八幡駅を9時15分に出発、まず、景清が寄寓したという旅庵寺に向かう。


旅 庵 寺


そして、東海道線を越え、若宮湧水池で休憩する。


若宮湧水池
水車・野菜の洗い場などが再現整備され、
住民らにより輪番で清掃がされている。


繖山(きぬがさやま・標高433m)を前方に見ながら、景清道を行く。



景清の名がついた橋である。引き返して写真を撮る。


長田景清大橋
長田町内の蛇砂川に架かり、平成15年3月竣工。


また、景清の名がついた橋である。この地区の景清に対する思い入れを感じる。


景  清  橋
山本川に架かり、平成6年5月竣工。


まもなく浄厳院である。境内も広く立派な寺である。

浄  厳  院
 
天正6年(1578)織田信長によって建てられた浄土宗の寺。この地はもと
佐々木六角氏頼が建てた慈恩寺(天台宗)の跡地であり、近江八幡市多賀町に
あった興隆寺のお堂(本堂重要文化財)を移し、栗田郡の金勝寺より明感という
僧侶を招いて金勝山浄厳院とした。本尊の阿弥陀如来像(重要文化財)は
愛知郡二階堂にあった古寺より譲り受けたもので平安時代の作である。
 ここはまた「信長公記」に見られる、法華宗と浄土宗との間で争われた
「安土問答」の場としても有名である。 本堂は昭和38年(1963)に修理され、
朱塗りの楼門は、平成5年(1993)に解体修理されている。


そして、近江風土記の丘である。広い芝生広場で昼食となる。

近 江 風 土 記 の 丘
旧安土巡査駐在所、旧柳原学校校舎、旧宮地家住宅が点在する歴史公園。
公園の中心となるのが滋賀県立安土城考古博物館。安土城の300分の1スケールの
復元模型や織田信長に関する資料を数多く展示している。また、能登川町伊庭地区に
またがる「大中の湖南遺跡」から出土した田下駄や木鍬なども展示している。

(左)安土マリエート  (右)文芸セミナリオ

信長の館


1時間ばかりの休憩の後、まもなく桑実寺である。すぐ石段である。
山門から約300m、500段の石段を登ると本堂である。

桑  実  寺
白鳳6年(691)年に天智天皇の勅願により建設され、本尊には薬師寺如来が
祀られている。寺名は定恵和尚(藤原鎌足の長子)が桑の実を唐より持ち帰り、
この地で日本最初に養蚕を教えたのが由来とされている。
現在、山門より山頂の城跡及び三角点に至る50町歩の山林境内が
国指定の史跡で、本堂が国指定の重要文化財である。

本   堂

指さす先に「目洗い井戸」 
手前の石が現在の「背比べ石」

景清が100日日参したとき、
眼病の目を清めた井戸

現在は池の橋になっている「背比べ石」
景清が背比べをしたと言われる石

現在の「背比べ石」


その後、瓢箪山古墳を通り、安土駅に2時半到着となる。こうして
寒いながら晴れ上がった青空の下、平景清伝説が色濃く残る道の
15km、5時間ばかりのウォークを楽しく、またしっかり学んで終える。

川柳&ウォーク