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イチョウと砂丘と
尾張七福神
(祖父江町巡り)
昨日までの暖かさとうって変わって、急激に寒くなった平成15年11月22日、
一宮歩こう会の例会は愛知県祖父江町内を巡るコースで行われた。
名鉄尾西線森上駅より、県道馬飼井堀線を一路馬飼大橋に向けて歩く。
県道馬飼井堀線のイチョウ並木
その後、木曽川堤防に出て、木曽川祖父江緑地に着き、早い昼食となる。
この地域は国内でも極めて少ない河畔砂丘であり、
この地形を利用して、様々な野外活動が活発であり、県立公園や
「国営木曽三川公園・ワイルドネイチャープラザ」が整備されている。
その後はいよいよ「尾張七福神巡り」である。
(参考) 「七福神」について 福徳の神として信仰される七神の組み合わせ。大黒天、恵比寿、毘沙門天、 弁財天、布袋、福禄寿、寿老人をいう(他説もあり)。すでに室町時代にできあ がっていて、京都で1420年に七福神の風流行列があったといわれる。中世 商人社会では福徳施与の神として流行的に信仰され、近世以後にも及んだ。 七福神は瑞祥の象徴として、絵画・彫刻の好題材となり、また、その影像を家 に飾って拝礼し、あるいは七福神詣でや初夢の宝船などの信仰習俗が広く 生きている。 |
まず、長寿の神・寿老人を祀る刈萱堂である。
寿老人は中国の神で、美寿円満長寿の神とされる。刈萱堂は 「石童丸絵解きの寺」として、また、「ぼけ除け観世音」として 祖父江の観音様として信仰され、特に、霊水、長命水は有名。 |
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次に、知恵の神・弁財天を祀る歓喜院である。
弁財天はインドの神で、七福神中唯一の女神。音曲、知恵、福財をつかさどる。 歓喜院は薬師如来をご本尊とする。 |
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そして、勇気の神・毘沙門天を祀る正塔院に詣る。
この時いっときながら急に強い雨が降り出す。
毘沙門天は多聞天とも呼ばれ、 四天王のひとつ。各種の災障 消除と金銀財宝を守護する。 |
次は、律儀の神・恵比寿を祀る根福寺に来る。
恵比寿は海の幸をもたらす「寄神」で、海辺の民間信仰に根ざし、 商売繁盛、家運隆盛に霊験があると言われる。 根福寺は明治42年、善光寺別院本坊として創立された。 |
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そして、同じ境内の大望の神・福禄寿を祀る善光寺に参拝する。
福禄寿は中国の福徳神で、幸福、高禄、長寿の三徳を与えられ、商売繁盛、 延寿健康、除災を祈願する人が多い。善光寺は境内地に1本の茎から2つの 花が咲く蓮を奇瑞に、善光寺如来を勧請し、明治43年創立。 境内には世界各地の蓮が栽培され、通称「蓮寺」ともいわれる。 |
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鐘楼跡に置かれたままの鐘。 左上に根福寺が見える。 |
今回の七福神巡りは、和合の神・布袋尊を祀る永張寺が最後となる。
布袋和尚は七福神の中では ただ一人実在した人物で、 10世紀の中国の禅僧。粗末 な姿で街に出て自由奔放な 一生を送った。永張寺は尾張 藩鷹匠頭・横井作左衛門の 菩提所として500余年の 歴史を持つ。 |
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そして「イチョウ黄葉まつり」の行われている祐専寺で
流れ解散である。参拝後、イチョウ黄葉まつりをのぞく。
イチョウは中国から仏教と共に導入されたという。ギンナン生産を目的とした栽培は
祖父江町がもっとも古いとされているが、それでも100年くらい前である。
祖父江町には樹齢200年を越えるイチョウの大木が1000本以上あり、
ギンナンの生産量は日本一であり、品質の良さも全国に知れわたっている。
名鉄尾西線山崎駅まではすぐである。
ギンナン入りういろうを土産に買って帰る。
寺さんのウォーク・トーク ◎自宅から車で40分ばかりのところであるが、祖父江町に 行く機会はほとんどないし、尾西線に乗ることもない。 ◎よって今回行ったところも今までほとんど行ったことがない。 身近でも知らないことばかりである。 身近なところを知ることができるウォークはまた良いものだ。 ◎今回の尾張七福神巡りは、社殿工事中の裕福の神・大黒天の 地泉院が省かれ、6福神巡りとなった。この点が少し残念であったが、 いつかの機会に訪れて、このページに追加したいものだ。 ◎寒い日ながら多くの参加者があり、黄葉したイチョウ風景を 見ながら、ゆっくり多くを学習した12kmのウォークであった。 |
祖父江の善光寺 43年ぶりの除夜の鐘 (平成15年12月14日付中日新聞より) 祖父江町祖父江の善光寺東海別院で、除夜の鐘が1960(昭和35)年の 大みそか以来、43年ぶりに打ち鳴らされる。61年9月の第二室戸台風で 鐘楼が壊れ、釣り鐘は石垣の上に野ざらしになっていたが、ことし4〜5月の 本尊が約半世紀ぶりにご開帳され、約21万人の人出があったことを受け、 年末もにぎわいを創出しようと“復活”を決めた。 同寺は1910(明治43)年に創立。釣り鐘は地元の寄付を受け、名古屋市 出身の茶釜師で、釣り鐘造りにもたけた人間国宝の故・長野垤志(てつし) さんの設計、指揮により55(昭和30)年に造られた。 高さ約2.2m、最大直径約1.2mで重さ1.8トン。かっては午前6時の「時 の鐘」や、春秋の行事の際に鳴らしていた。 鐘楼は気組みの柱に、トタン屋根をかぶせた簡素な造り。59年の伊勢湾台 風は何とか持ちこたえたものの、2年後の第二室戸台風では、トタン屋根が 吹き飛び、柱も倒れて釣り鐘が落下。以後、風雨にさらされるままになってい た。同寺には檀家がほとんどなく、参拝者の喜捨を財源に頼るため、再建の 資金集めもままならず、時間を経過していた。 新しい鐘楼は町建設業組合の協力を得て鉄骨やぐらを組み立てて造る。 鐘を突く撞木もシュロの木で新調した。 |