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竹鼻の町と木曽川の渡し
平成15年3月15日、一宮歩こう会の例会は、雨を心配する
天気ながら、岐阜県羽島郡竹鼻町の竹鼻駅から出発する。
羽島市の中心・竹鼻町は古い町並みを残す歴史が息づく町である。
まず創業元文3年(1738年)、258年の歴史を誇る
造り酒屋・千代菊(株)の工場を見学する。
千代菊の店舗(この奧が工場) |
工場が休みの日ながら、丁寧な説明を 受けながら見学をさせていただく。 (写真は蒸米の設備) |
竹 鼻 別 院 親鴛聖人が上洛の際、三河で尾張葉栗郡の住人が、教を聞き帰依し草庵を 立てたのが起源といわれる。その後、蓮卸上人の下向された際、草庵を 再興され、「河野御坊」と名付けられ、その後「専福寺」と改称された。 更に1886年に改定され「竹鼻別院」となる。 |
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(写真上左)四脚門・・・屋根を 4本の柱で支える。 (写真上右)本堂 (写真右)藤・・・樹齢250年 以上。県の天然記念物。 枝張り東西33m、南北 15m、1本の藤の木とし ては日本有数の大木。 境内には他に宝暦治水工事の後に 自刃した竹中伝六喜伯の墓(県史 跡)がある。 |
咲きほこった竹鼻別院のフジ (提供:mamuさん)......................
佐吉仏(竹鼻大仏) 仏の佐吉と尊称された永田佐吉 が1750年建立した青銅造りの 釈迦仏座造。仏像の高さ4.9m。 岐阜県指定文化財。 |
竹鼻町にはその他、十一面観音像の光照寺、龍の絵天井の本覚寺、
映画資料館、格子戸のある小見山邸、菱田邸等が見所である。
市街地を抜けると一路南下する。新幹線をくぐり抜けると
「円空資料館」である。生涯に12万体の仏像を彫刻したといわれる
円空は、この羽島市南部の上中町で生まれたといわれる。
美濃から尾張にかけて沢山の円空仏があり、
一度ゆっくり訪れる旅を計画したいものである。
新幹線沿いに東に歩いて木曽川堤防に出て、その後また
西中野渡船場まで南下をする。この渡船は愛知県営であり、
県道西中野岩倉線にあたる。つまり渡船も県道である。
船頭さんは愛知県側にみえ、岐阜県側から乗るときには白い旗を
掲げて見つけてもらうのである。すると迎えに来てもらえるのである。
岐阜県側(旗を掲揚している) |
愛知県側乗り場 |
木曽川の渡船 橋がなかったときは渡船が頼りであったが、橋が築造される度に 渡船は廃止されていった。現在この木曽川にかかる、愛知県と 岐阜県の間に運航されている渡船は、この西中野渡船の他には、 日原、葛木の2カ所である。いずれも橋を架ける計画が 進められており、いずれ無くなる運命である。 |
愛知県側に渡ると、今度は堤防上を北上し、新幹線をくぐり抜けた所にある
「愛知県尾西勤労青少年福祉センター・尾西グリーンプラザ」に到着する。
心配した雨も降られることなく到着できた。少し遅めの昼食後、
ここで「一宮歩こう会平成14年度総会」が開かれた。
寺さんのウォーク・トーク ◎2月初旬に痛めた右足ふくらはぎがまだ完治せず、ウォークは まだまだ無理の状態である。名古屋ツーデー以来もう 2ヶ月近く、ウォークに参加していないので、 満たされぬ気分満杯状態である。 近くであるし、総会ということもあって、車で出かけた。 少しずつ歩いて、後は車で追った。 ◎竹鼻町の町にはいるのは初めてである。静かな町で、 古い町並みも残っており、歴史も感じられる。 また円空ゆかりの地も併せて再び訪れてみたい。 ◎西中野渡船は遠くない時期になくなる運命にあり、天気の良い日に 再び訪れて、写真を撮っておきたいところである。 ◎一宮歩こう会の総会は、14年度決算、15年度予算、事業計画、 規則の改正、役員の承認などが滞り無くなされた。会としての 形式もかなり整ってきた。会員も174名と増えてきた。 私も役員として、最大限の協力をしていくつもりである。 ◎今日も良いコースであった。それにしても足の故障は歯がゆい。あまりに 当たり前のことであるが、ウォークは足が健在であってこそ できるのである。そして、ウォークで使う足は結構きついのである。 |