wa066
青春の秀吉
名古屋ツーデーウォーク
平成14年1月に一宮市の真清田神社をスタート・ゴールとする
「信長・秀吉 尾張野ツーデーウォーク」に続いて、今年(平成15年)は
1月18・19日の両日、名古屋市中村区の豊国神社をスタート・ゴールと
する「青春の秀吉 名古屋ツーデーウォーク」が開かれた。
スタート会場・豊国神社(正面・本殿)
熱田神宮コース25kmを歩いたので紹介していきます。
大会2日目の19日8時20分、中村公園内にある豊国神社を出発する。
2日目は昨年の反省から、今年はチェックポイントスタンプを
押してもらったら、自由に出発する方式がとられた。
(上) 豊国神社内に立つ秀吉公 誕生地の碑 (左上) 豊国神社の大鳥居 昭和4年完成、 高さ24m、 (左下) 中村公園内にある「日吉 丸となかまたち」の像 |
|
30分ほどで日吉公園に着く。この園内に日の宮神社がある。
日の宮神社 秀吉の母、大政所が男子を授かろうと日参し、日輪が 懐に入る夢をみて秀吉を産んだと伝えられる神社 |
更に30分で荒子観音に到着する。参拝後、200mばかり
南西方向にある富士権現社(荒子城址)に回る。
荒 子 観 音
寺伝によると729年、泰澄の草創と言われ、その後衰退。
永禄年間知恩院全運が再興し、1576年前田利家が修造を加え、
江戸時代にはいると尾張藩初代藩主徳川義直、
2代藩主光友の帰依を受け、尾張四観音のひとつとして栄えた。
富士権現天満宮 この土地の土豪前田利昌が築造した 荒子城があった所。 |
富士権現天満宮内に立つ 「利家誕生之遺址」の碑。 この地でない説もある。 |
その後白鳥公園を経て、熱田神宮に11時半に到着、1時間ばかり
かけて昼食をとる。大須には1時半に着く。ウォーカーに
「納屋橋饅頭」が振る舞われることになっていたが、もう品切れであった。
しかし、そこにいた運営スタッフのものを分けてもらった。
万 松 寺 織田信長の父信秀が名古屋村に建立した ものを、1610年現在地に移した。信長が 「おおうつけ」の名をとった寺でもある。 |
大須観音 1612年、徳川家康が成瀬正成に命じて 洪水の多い岐阜県大須庄から移した。 沿道は街おこしに努め、大変な賑わい。 |
コースにはなかったが、大須近くの若宮八幡社、政秀寺にも寄る。
その後、名古屋東照宮までは良く知ったところであるので、
コースを少し外れ、あまり歩いたことのない道を歩く。
若宮八幡社 1532年の那古野合戦で焼失、 1539年信長の父信秀によって 再建された。その後、徳川家康に よって城下名古屋の総鎮守とした。 |
政 秀 寺 織田信秀の死後、信長の素行が改まら ず諌死した信長の守役平手政秀の菩提 を弔うため信長が建立した。1610年、 清洲越えの際、現在地に移転した。 |
名古屋東照宮に着いたのは2時半、途中ゆっくりしすぎ、
ゴール最終時間の4時まであまり時間がなくなったので先を急ぐ。
ノリタケの森、産業技術記念館の中を
通り抜け、ゴール近くの妙行寺に着く。
名古屋東照宮 尾張藩初代藩主徳川義直が父家康の 像を祀ったのが始まり。1876年、名古 屋城内にあったものを明倫堂跡の現在 地に移された。 |
妙 行 寺 加藤清正が現在地より約100m東に あった寺を自分の誕生地に再建した。 「清正誕生之地」の石碑が境内に あり、写真奧に清正の像が見える。 |
ゴールに帰り着いたのはもう4時に近かった。早速完歩証とサービスの
甘酒をいただく。いつ降り出すとも分からぬ曇り空の中、
降られずに終えられたのは幸運だった。
こうして名古屋市内を歩いて、愛知県輩出の信長・秀吉・家康の
3英傑やそれに関連した史跡がいたるところにあることを
改めて認識した。このウォークもそのひとつであるが、
この資産をもっともっと活用していきたいものだ。
|