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木曽義仲の里
愛知県ウォーキング協会の平成14年7月例会は梅雨明けの21日、
青春18切符を利用し、涼しさを求めて中央線宮ノ越まで出かける。
ここは歴史の舞台・木曽義仲の里である。
歩行コース(13km) JR宮ノ越駅 ↓ 義仲館 ↓ 徳音寺 ↓ 巴ヶ淵 ↓ 旗挙八幡宮 ↓ 宮ノ越宿 ↓ 林昌寺 ↓ 木曽駒文化公園 ↓ JR原野駅 |
木曽義仲は1154年、武蔵の国に生まれ、幼名を駒王丸といった。
翌年、父源義賢が大蔵の戦いで源義平に滅ぼされ、
駒王丸は現在の長野県日義村に逃れた。
社殿 (左が樹齢800年の大ケヤキ) |
義仲は1183年に北陸に進撃、倶利伽羅峠で平家を撃滅し、
この年、入京し征夷大将軍に任じられ「旭将軍」と称された。
しかし、翌年後白河法皇の策略によって鎌倉軍に敗れ、
琵琶湖畔の粟津ヶ原で31歳の生涯を閉じた。
徳 音 寺 義仲が母小枝御 前を葬った寺で、 一族の菩提寺。 (上右)徳音寺境内 (上左)巴御前の像 (左)中央奥に義仲 の墓、手前右に 母小枝御前と今井 四郎兼平、前左に 巴御前と樋口次郎 兼光の墓碑。兼平・ 兼光は義仲の有力 武将。 |
巴御前は父中原兼遠のもとに義仲と共に幼少を過ごした。知勇優れた
武将として、義仲に従って戦功を立て、勇婦として誉れが高かった。
巴 渕 ..............
この付近が「巴御前屋敷跡」とされていて、この淵に住む
竜神が巴に化身して義仲を守り続けていたという伝説がある。
義 仲 館 義仲の生涯を描いた絵画や等身大の 人形を展示。右は館前に設置された 義仲と巴御前の像。 |
宮ノ越宿は江戸から京都に至る中山道の中間地点にあたり、
伊那に抜ける権兵衛街道との分岐点、追分けともなっていた。
寺さんのウォーク・トーク
・JR中央線宮ノ越駅は名古屋から快速列車で約2時間半、列車の旅の感じ
である。
・この日、名古屋では35度を記録し、大変に蒸し暑い日であったようだが、
さすが宮ノ越は木曽の山の中、暑くはあったが、風もありさわやかであった。
役員さんは良いコースを計画してくれた。
・そして、まさしく歴史を尋ねるウォーク、自然も豊か、会話も弾みウォークの
良さを満喫した。
・しかし大変なことも起こった。コースの最後近くになって私の近くを歩いていた
人が倒れ込まれたのである。早速少しでも楽になるように手助けをしたが、
残念ながらそれ以上の介護法を知らない。すると、会員のSさんがさっと寄って
きて、酸素ボンベを取り出し口にあてがわれた。その後Sさんに従い手当をし、
最後には救急車を呼んで、事なきを得た。熱中症であった。後で聞くところに
よると、Sさんは日本赤十字社の救急介護者の資格を得ていると言われる。
今回の事故から、会として救急対応のできる人を確保する必要を感じた。
一宮歩こう会の役員会でもこの事故の報告をしながら、こうした人材の養成・
確保を提案しようと思う。こんなことを学ばせてもらう例会にもなった。
(平成14年7月23日)
(木曽義仲関連ページ) http://haruu.web.infoseek.co.jp/5togakusi.htm
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