wa049
米原町番場      
         (蓮華寺と鎌刃城跡)

滋賀県ウォーキング協会の5月の例会は、5月5日子供の日に
米原駅より中山道の番場宿、鳥居本宿を通り、彦根駅に至る
18kmであった。7月を思わせる高い気温ながら、さわやかな風と
素晴らしいコースに大いにウォーキングを満喫した。
私はウォークの魅力を「歴史を尋ね、自然に触れ、人と語らう」と
言うのが口癖であるが、この三つを見事兼ね備えたコースであった。

米原駅を9時に出発、50分ばかりで、蓮華寺に来る。
湖北随一の史跡と言われる浄土宗本山である。


 蓮華寺入り口の案内標柱

勅使門 (後は名神高速道の防音壁)
蓮華寺は今より1300年の昔、聖徳太子が創建せられ、
法隆寺と称したが、雷火により焼失。その後、1284年に一向上人が
土地の豪族土肥元頼の帰依により再興し、蓮華寺と称した。


北条仲時公始め430余名の墓
1333年後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒の兵を挙げたとき、六波羅探題
北条仲時も攻撃を受け、鎌倉に帰ろうと番場の宿場まで来るが、
又南朝軍に囲まれ、手兵432人と共に蓮華寺に入って自刃する。
寺僧は裏山に墓を作ると共に、姓名と年令法名を過去帳にしたためた。
その「六波羅探題南北過去帳」は重要文化財に指定され、
本堂裏の宝物館に収蔵されている。


斎藤茂吉句碑
茂吉は蓮華寺第49世隆応和尚の門弟で
あり、よくこの寺を訪れている。
「松風の音聞くときは           
         古への聖の如く我は寂しむ」

番場忠太郎地蔵尊
小宿・番場宿を有名にしたのは
文豪長谷川伸の戯曲「瞼の母」
の主人公番場忠太郎である。
親子縁結びの地蔵尊として
参拝する人が多い。(本殿裏)


住職さんの話を聞きながらゆっくり蓮華寺を見学した後、鎌刃城跡に向かう。
森林浴を楽しみながら、更に地元ボランティアの人による説明を受けながら、
標高差300mばかりをゆっくり登っていく。一列でしか歩けないような
登山道であるが、今は廃村となった山奥の村の生活道路だったという。


山頂近くから望んだ琵琶湖
中央の山は山本山、その手前の街は長浜市


鎌刃城は標高384mの山頂に位置する戦国時代の山城である。
築城年代は不明だが、応仁の乱で東軍方に鎌刃城主が討たれた
記録がある。以降、六角と京極、浅井と織田の境目の城として
攻防が繰り返されたが、安土城築城前の1574年に廃城となった。

最近の発掘調査で、中世の城としては高度な築城技術によって
築かれた城郭であることが分かって専門家に興味を持たれている。



      大 堀 切
防御施設として、平坦な地面を堀刻んだ通路。

       大 石 垣
高さ4m、長さ30mにおよぶ貴重なもの。


枡 形 虎 口
石垣と石段からできた枡形の出入り口。大手門に相当する門の跡。
一生懸命説明されるボランティアのガイドさんと聞き入るウォーカー。

大きな枡形の入り口があって、その奥に主郭が広がる。鎌刃城の中心部で
周囲は石垣で固められており、内部には建物の礎石が点在する。


山頂で40分ばかりの見学と説明を受けて下山、寺院で昼食後、
磨針(すりはり)峠に向かう。峠の少し手前より彦根市にはいる。


   磨針峠・弘法大師の大杉
弘法大師が植えたと言われ明治41年に落雷
に遭い、昭和56年雪害のため切り倒された。

鳥居本宿を通り、彦根駅にちょうど3時に到着する。

最初にも書いたように、本当に生きた歴史を勉強し、
森林浴など自然を満喫し、旧知の人とも始めての人とも
よく話をした。良いウォークであった。
滋賀県ウォーキング協会の運営には参考になることが多いが、
今日のようにガイドさんに案内を頼むことなども
機会があれば取り入れたいことである。

川柳&ウォーク