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木曽川・長良川の
         背割堤を歩く

背割堤とは、2つの川を分流するために
両方の川の境界に設けた堤防のことである。


 左・長良川         右・木曽川

長良川と木曽川には岐阜県羽島市小藪から愛知県立田村の
立田大橋までまっすぐ延びる背割り堤が12kmに渡って続く。

・年月日  平成13年5月20日
・主 催  愛知県ウォーキング協会  
・場 所  岐阜県羽島市〜愛知県立田村
         〜三重県長島町
・距 離  24km
・時 間  7時間

(内 容)
 今年9月に廃線となる名鉄竹鼻線大須駅より
歩き始め、まもなく背割堤に出る。そして、延々
12km、大半が砂利道の背割堤を南下する。
両岸にはグライダー場、モトクロス場があったり、
水上では水上スキー、水上バイクが盛んに走り、
また立田大橋上流では多くの人がシジミ取りを
していた。
 木曽三川公園・中央水郷地区で昼食となる。
その後も木曽川と長良川に挟まれた地域を
歩く。船頭平閘門、輪中の里に寄り、JR関西
線長島駅にたどり着く。

    左・揖斐川 中・長良川 右・木曽川    

       木曽三川合流付近図


木曽三川流域は、古くから水との闘いであった。
宝暦治水や明治改修によってこの地域の暮らしは大きく
変わってきた。近年、三川は国営木曽三川公園として
整備が進み、人々が集う場所になっている。


     木曽三川公園・中央水郷地区
 高さ65mの展望タワーと治水の歴史などを紹介
した展示施設「水と緑の館」を始め輪中の暮らしを
紹介した「水屋」、四季折々の花が楽しめる大花
壇などがある。

      高さ65mの展望タワー

                         治 水 神 社
宝暦治水と治水神社
 徳川幕府は宝暦3年(1753年)、薩摩藩に木曽三川の治水工事を命じ、
翌宝暦4年、平田靱負(ゆきえ)を総奉行にしてこの難工事を始めた。
約40万両を費やし、工事中51人の割腹者と33人の病死者を出し、宝暦5年
この大工事は完成した。総奉行平田靱負は責任を一身に負って自刃した。
 治水神社は昭和13年に宝暦治水の大工事を成し遂げた薩摩藩の偉業をたたえ、
地元の人々によって創設された。平田靱負が祭神として祀られている。

 
  ヨハネス・デ・レーケ像(船頭平閘門公園内)

  ヨハネス・デ・レーケと船頭平閘門
 明治政府は明治6年(1873年)、オランダ人技師
ヨハネス・デ・レーケを招いて木曽三川の治水計画に
あたらせた。デ・レーケは明治20年より本格的に
分流工事を始め、明治44年総事業費975万円を
費やして工事は完成した。
 この工事によって木曽三川は完全に分流したため、
船の河川間の移動が不便になった。そこで船頭平に
閘門が造られ、河口まで行って廻ってくるより25km
も短縮された。

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