例 会 案 内

第95回ウォーク例会・開催要項


 
     
【史跡巡りシリーズ・知多編part6
                   9km

1.開催日時   令和5年4月1日(土) 9時~(15時)

2.集合場所   名鉄常滑線 名和駅(名和駅南公園)

3.コース等   名和駅→薬師寺→長光寺→船津神社→カブト山古墳→名和古墳群

             →廻間公園→氷上姉子神社→寝覚めの里碑→替地公園→名和駅

4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

            但し初参加の人及び誘って頂いた人は半額(150円)

5.その他

     *雨天でも開催します。

     *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

   *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全

   健康管理は自己責任でお願いします。

          
傷害保険の内容    死亡・後遺障害保険  166万円

                          入院保険金(日額)   4000円

                          通院保険金        2000円


                               
主な見所の紹介

 
薬師寺
 
長光寺
 
舩津神社
 
早川三郎碑
 
カブト山古墳
 
名和古墳群

廻間公園 
 
氷上姉子神社
 
寝覚めの里碑
 
込高新田堤防


主な見所の説明

◎薬師寺
 ご本尊は薬師如来。長光寺の開山牧翁運拾大和尚が元亀2年(1571)カブト山のふもとに寺を建立。宝永年間(1702~1711)火災にあい、しばらくの間、新坂の草堂に本尊を移していたが、名和村庄屋小島庄助が、村人たちと共に北本郷(現在地)に瓦葺きの堂を建立。昭和10年に改築。 

◎長光寺
 ご本尊は十一面観世音菩薩。境内には名和出身で江戸時代末期に江戸相撲で活躍した力士「浦右ェ門」の碑や、江戸時代にこの地で活躍した俳人の「成田子襲」の塚がある。

◎船津神社
 第12代景行天皇の御子・日本武尊東征の時、伊勢より海を渡り、ここに船をつけ、なわで船を松の木につながれたことによって、名和と船津の地名が出来たとされる。社伝には、15代応神天皇の400年に社を建て、船渡大明神の号を賜わり、縄三郷の総氏神であったと伝えられる。61代朱雀天皇天慶2年(939年)、社殿を造営し、四種田(御供田、土器田、油田、番匠田)を賜わり神領となる。時に平将門が謀反を起したので、藤原忠文が征夷大将軍となり、東征の時、当神社に来て、武運と交通無難を祈願したとされる。

◎早川三郎
 明治30年(983)、県会議員名和出身早川三郎翁の尽力で、熱田・名和間に道路が開かれ、天白川・大江川・山崎川へ木橋が架けられた。このことにより知多郡各地で、道路が改修・新設されたという。この功績と喜びを表すため、大正15年(1926)、御歌所寄人正五位坂正臣の文字で「南涯早川翁頌徳碑」が名和・佐野七兵衛他56人により建立され、久野保心が碑文を書いた。

◎名和古墳群
 標高約10mの丘陵上に、3基の円墳(1・2・3号墳)で構成され、三ツ屋古墳群とも呼ばれている。1号墳は直径約20mの円墳で、内部に平石を7・8段積み上げた横穴式石室が発掘で確認されている。石室から須恵器が発見されており、古墳時代後期の築造と推定される。東海市指定史跡。

◎氷上姉子神社
 日本武尊(やまとたけるのみこと)のお妃・宮簀媛命(みやすひめのみこと)を祀っている。日本武尊なきあと、この地で祀っていた草薙神剣を遷して創祀したのが熱田神宮の始まりとされる。故地は宮簀媛命の父神の館があった地とされ、この地は火上の里とよばれていた。永徳3年(1382)、社殿が火災にあったため火の字を避けて「氷上」と改め、火高は「大高」に改めたとされている。隆盛を誇る熱田神宮の創祀に最もゆかりの深い社で、現在の本殿は明治26年に別宮八剣宮の本殿を移したもの。

◎寝覚めの里碑
 明治43年熱田神宮の角田忠行宮司が日本武尊と宮簀媛命の故事にまつわる碑を建てた。この地は昔は海で潮が打ち寄せて朝な朝なに海潮の波音に寝覚められたというロマンスがある。碑文には「大高の里なるこの寝覚めの地名は千八百年の昔、倭武天皇(日本武尊)の火上の行在所に居られし時、朝な朝なに海潮の波音に、寝覚し給ひし方なる故にかくいい効はせるものならん云々。」と書かれている。