例 会 案 内

第94回ウォーク例会・開催要項


 
     
【史跡巡りシリーズ・西尾張編partR3
                   11km

1.開催日時   令和4年2月5日(土) 9時~(15時)

2.集合場所   名鉄犬山線 江南駅(東口・北野天神社)

3.コース等   江南駅→北野天神社→歴史民俗資料館→宮後城址→宮後八幡社→

             →五丁堀砦→前野屋敷→堀尾跡公園→富士塚→生駒屋敷跡→

         久昌寺→お釜地蔵→布袋駅

4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

            但し初参加の人及び誘って頂いた人は半額(150円)

5.その他

     *雨天でも開催します。

     *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

   *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全

   健康管理は自己責任でお願いします。

          
傷害保険の内容    死亡・後遺障害保険  166万円

                          入院保険金(日額)   4000円

                          通院保険金        2000円


                               
主な見所の紹介


北野天神社 

宮後城址 

宮後八幡社 

五丁堀砦址 

前野天満宮 

前野屋敷 

若宮八幡宮 

堀尾跡公園 

富士塚 

生駒屋敷跡 

久昌寺 

 常観寺(お釜地蔵)


主な見所の説明

◎北野天神社
 学業成就、合格祈願、家内安全にご利益があるとされる。無住の神社であるが、1月・2月の日曜日と毎月25日の月次祭には合格祈願などの祈祷が行われる。毎年1月中旬には「筆まつり」が昭和39年より開催されている。この祭りのときに境内にある石造りの大筆に願いを書くと、字が上達するといわれている。当初は菅原道真の命日(2月25日)に近い日曜日に開催されていたが、大学受験シーズンにあわせて、1月中旬の土・日曜日に変更されている。筆まつりで行われる「大筆奉納行列」は、長さ約4m、重さ約50kgの大筆を、厄年男性と新入学児が御所車に乗せて神社まで曳き廻すものである。

◎五丁場砦
 天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いの時、西軍に備えて五丁有余の掘割を構え、前野喜右衛門義康は三百余騎をもって砦を守ったという。
  五町堀萩の歌
     立ちいでて 五町の堀を 見渡せば
             錦おりなす はぎさかりなり

◎富士塚の碑
 富士塚は、前方後円墳と考えられる高さ約6.5m、長さ約30mの小山である。天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いの時、東軍の家康は小折村の生駒屋敷を訪れ、織田信雄と共にこの塚に登って、敵である西軍(秀吉軍)の陣形を視察したといわれている。塚の上にある碑は、当時富豪としてこの一帯で勢力を持っていた生駒氏の第6代利勝が、天和4年(1684)生駒氏の由緒と武勲を後世に伝えるために、生駒氏の家紋(亀甲に五三の桐)にちなんで六角柱の石に碑文を刻み、亀形の台石上に建てたものである。お亀塚・お亀山とも呼ばれていて、市の文化財に指定されている。「尾張名所図会」には、碑銘塚として挿絵が載っている。(脇の道は柳街道)

◎久昌寺
 南北朝時代に創建され、はじめは禅喜寺、ついで龍徳寺といっていた。生駒氏の移住後、生駒氏の菩提寺となった。第3代家宗の娘・吉乃(信長の室、信忠・信雄・徳姫の母)が永禄9年(1566)に没した時に、その法名「久庵桂昌大禅定尼」にちなんで、久昌寺と寺号が改められた。信長からは香華の場として、660石を賜った由緒ある寺といえる。本堂西側の墓地には、生駒氏一族ならびに吉乃(久庵桂昌)の墓碑が立ち並んでいる。
 しかし、令和3年8月28日の中日新聞によれば、近年では老朽化が進み、江南市では令和4年に用地取得、5年に取り壊し、跡地は公園化されるとある。