例 会 案 内

第93回ウォーク例会
開 催 要 項


 
     
【河川探訪シリーズ・二之枝川編part5
                   13km

1.開催日時   令和4年12月3日(土) 9時~(15時)

2.集合場所   名鉄本線 国府宮駅(国府宮神社)

3.コース等   国府宮駅→せんき薬師→性海寺→国分寺跡→下水道科学館→

        澤君遺愛碑→屯倉社→勝幡城跡→勝幡駅

        
4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

            但し初参加の人及び誘って頂いた人は半額(150円)

5.その他

     *雨天でも開催します。

     *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

   *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全

   健康管理は自己責任でお願いします。

            
傷害保険の内容 
                         死亡・後遺障害保険  166万円
                        入院保険金(日額)   4000円
                        通院保険金        2000円


                               
主な見所の紹介


国府宮・一の鳥居 
 
せんき薬師
 
性海寺
 
国分寺跡
 
下水道科学館
 
澤君遺愛碑
 
屯倉社
 
長福寺
 
伊久波神社
 
勝幡城跡
 
勝幡城跡
 
勝幡駅(駅前広場)


主な見所の説明

◎せんき薬師(西福院)
 約500年繭から続くせんき薬師如来を本尊とする真言宗智山派の祈祷寺。老若男女遠近問わず多くの参拝者が、病気平癒、がん封じ、せん痛封じ等の祈祷、先祖水子供養に訪れる。「疝気(せんき)」とはスジの病で神経痛・リウマチ・足腰痛・脱腸等々身体に巡っている筋の痛みの古い総称。

◎性海寺
 弘仁年間(810年~824年)空海によって愛染明王を本尊として創建されたと伝えられ、治承年間(1177年~1181年)阿弥陀三尊像が安置されたという。建久年間(1190年~1199年)に長谷部源政が開基となり良敏が開山となって中興されたという。その後、北条時頼・足利尊氏・織田敏定・浅野長政・松平忠吉・徳川義直の庇護を受けた。稲沢市では、境内隣の5703平方メートルを大塚性海寺歴史公園として1992年(平成4年)に開園し、毎年6月1日頃から「稲沢あじさいまつり」を開催している。園内には、「伊豆の華」「カシワバアジサイ」「城ケ崎」など約90種1万株のあじさいがある。

◎尾張国分寺
 奈良時代、聖武天皇が仏教によって国を守ろうと考え全国に置くことを命じた、古代の重要な寺院の遺跡。741年(天平13年)に聖武天皇は国ごとに国分僧寺と国分尼寺を建てることを命令し、尾張国では稲沢市矢合町から堀之内町にまたがる地に国分寺が建てられた。その後、884年(元慶8年)に焼損し、愛知郡の定額願興寺に役割が移ったと伝えられている。現在、尾張国分寺跡は、金堂跡、塔跡、講堂跡などが確認されており、東西約200m、南北約300m以上の大寺院であったと推定されている。

◎澤君遺愛碑
 古代以来,尾張西部を流れる日光川は氾濫を繰り返し、人々の生活を脅かしてきた。江戸時代中期以降の新田開発が行われる中で、清洲代官所の二代目代官として1785年(天明5)に就任した澤園兵衛(さわそのべえ)は、新田開発のみならず、三宅川の支流須ヶ谷川を開削して、人々の生活を水害から守り豊かにしたということで特にその功績を賞されている。稲沢市平和町須ヶ谷の神社の近くに遺愛の碑が,また稲沢市儀長町には園兵衛を祀った澤園社がある。

◎屯倉社(みやけしゃ)
 三宅地区の総氏神として厚い信仰を受けている。創建は不詳で、祭神は須佐之男命・牛頭天王。江戸時代には「牛頭天王社」と称し、『尾張名所図会』にも描かれている。それによると、「津島神社」が元々この地にあったことから、「津島神社」の「元宮」と呼ばれていたという。明治3年(1870)に、現在の社名に改称された。ここでいう「屯倉」とは、ヤマト王権の時代に、朝廷の直轄地から収穫された米等を収めた蔵のことで、転じて朝廷の直轄領を表わす様になり、大化の改新で廃止される。6世紀頃、この付近には屯倉があったと言われ、現在も境内に残る巨石は、当時の遺構だとも考えられている。尚、「屯倉」は「三宅」とも表すことから、地名の「三宅」はこの「屯倉」からきていると推察される。長福寺は屯倉社の別当職として寺院形成された。

◎勝幡城
 愛知県稲沢市から愛西市にまたがる地域にあったとされる城で、織田信定(信長の祖父)によって築かれた。天守閣を持つ城ではなく、館の周りを土塁や堀などで囲ったもの。信長は1534年にこの城で生まれたと言われている。現在、城跡には石碑や説明板が建てられ、近くの勝幡駅前広場では推定復元模型や幼少期の信長像を見ることができる。