例 会 案 内

第73回ウォーク例会・開催要項



 
       
【史跡巡りシリーズ・岐阜編part11
                   16km

1.開催日時   平成30年4月7日(土) 9時~(15時)

2.集合場所   JR東海道線 穂積駅(南口)

3.コース等   穂積駅→糸貫河川公園→馬場公園→美江寺→美江寺城址→

        千体仏→浄水公園→(Sコース:十九条駅へ10km)→小簾紅園→
 
        むかい地蔵→十九条駅(13km)→穂積駅

4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

            但し初参加の人及び誘って頂いた人は半額(150円)

5.その他

     *雨天でも開催します。

     *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

   *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全

   健康管理は自己責任でお願いします。

            
傷害保険の内容     死亡・後遺障害保険  166万円
                             入院保険金(日額)   4000円
                             通院保険金        2000円


                               
主な見所の紹介

 
糸貫川

糸貫河川公園 
 
延命地蔵

自然居士墓 
 
美江宿

美江寺観音 
 
美江寺城址
 
千手地蔵
 
千体仏
 
大月浄水公園
 
小簾紅園
 
むかい地蔵


主な見所の説明

 ◎美江寺宿
 中山道は慶長7年(1602)東海道の裏街道として67の宿駅(美濃には16宿)が設けられ、それから遅れること35年の寛永14年(1647)4月に美江寺宿は公式設置された。当時美濃地方には、東に加納宿、西に垂井宿という大きな宿場があり二つの宿場の距離は25キロメートルで、当時の旅人が1日で歩くことができる距離であった。美江寺宿は二つの宿場の間にあった「間の宿(あいのしゅく)」であったため整備が遅れた。美江寺宿は、江戸から56番目にあたり、現在の瑞穂市の中央を流れる五六川は、この宿場にちなんで名づけられた。

◎美江寺
 美江寺という名は、「美しき長江のごとくあれ」と祈念されて美江寺という寺院が建てられた事に始まる。かつてはこの地に存在したが、1549年(天文8年)、斎藤道三の稲葉山城の築城時に、城の裏鬼門を守護するために、現在の岐阜市美江寺に移築している。現在、美江神社の境内にある美江寺観音は、1567年(永禄10年)、織田信長の命で建立されたものである。

◎自然居士
 和泉国日根郡自然田村生まれで、行く先々の寺に泊まって旅をする遊行僧。生没は不明だが、大明国師に師事したと伝えられており、鎌倉後期の禅僧であろうと思われ、美江寺で没したと伝えられている。遊行の途中、美江寺の地で千躰仏を造立し、現在は瑞穂市田之上の千躰寺に祀られている。

◎小簾紅園(おずこうえん)
 1861年(文久元年)、孝明天皇の妹である皇女和宮が徳川家茂の元に嫁ぐために、中山道で江戸に下った折、旧暦10月26日、呂久川(揖斐川)の呂久の渡しを利用した。その際に、警護を行った大垣藩は御座船10隻を艤装し、和宮の旅情を慰めたという。御座船の玉簾の中から対岸(東)の馬淵家の庭の紅葉した楓を見た和宮は、その美しさに「落ちて行く 身と知りながら もみじばの 人なつかしく こがれこそすれ」の和歌を詠んだという。このことを記念し、1929年(昭和4年)4月26日に開園した。

◎むかい地蔵
 結婚を誓った古橋村(川下に向かって右側)の若い男が、毎晩木の橋を渡り、十九条(川下に向かって左側)の若い娘のところへこっそり通っていた。当時よそ者同士の結婚はとても難しいことで、両親にも強く反対された。しかし、それでも若い二人はあきらめず、ある大雨の降る晩にこっそり逢い、思い悩んだ二人は、体を紐で結んで、川へ身投げしてしまった。二人が亡くなったあと、それまでいがみあってきた二つの村が話しあって、若い男女の御霊(みたま)を祀るために、古橋側に男のお地蔵さんを、十九条側に女のお地蔵さんを立てたという。