例 会 案 内

第68回ウォーク例会・開催要項



 
       
【史跡巡りシリーズ・西尾張編part16
                   12km

1.開催日時   平成29年6月3日(土) 9時~(15時)

2.集合場所   近鉄 弥富駅

3.コース等   弥富駅→歴史民俗資料館→蓮如堂→おみよし松→海南こどもの国→

        弥勒寺→孝女そよ宅跡→三つ叉池公園→二つお宮の松→吉川英治文学碑

        →鹿島神社文学苑→親鸞聖人腰掛け石→蟹江駅

4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

            但し初参加の人及び誘って頂いた人は半額(150円)

5.その他

     *雨天でも開催します。

     *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

   *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全

   健康管理は自己責任でお願いします。

            
傷害保険の内容     死亡・後遺障害保険  166万円
                             入院保険金(日額)   4000円
                             通院保険金        2000円


                               
主な見所の紹介


蓮如堂 
 
金魚卸市場
 
おみよし松
 
黒宮重佳記念碑
 
海南こどもの国
 
孝女そよ宅跡
 
三つ叉池公園
 
烏ヶ池

二つお宮の松 
 
吉川英治文学碑
 
鹿島神社文学苑
 
親鸞聖人腰掛け石


主な見所の説明

 ◎水難の碑(場所:おみよし松)
 昭和34年9月26日の伊勢湾台風で犠牲者を出した弥富中学校に、3か月後の12月旧弥富中学校の玄関東、校舎前に建立された。弥富中学校移転後、日の出小学校新築に伴い「おみよし松」の下に移築された。「水難の碑」の文字は当時の内閣総理大臣岸信介の書。

◎服部承風(しょうふう)漢詩碑(平島町観音寺境内)
 服部擔風(たんぷう)氏の長孫、名前は靖、承風は号。昭和5年生まれで名古屋市在住。愛知学院大学教授。漢詩のみではなく文学全般に大変造詣が深く 「心聲社」を主宰され 弥富の漢詩部を長らく指導された。

◎黒宮重佳
 黒宮重佳(しげよし)は六條新田で文化11年(1814)に生まれ明治12年(1879)に没した。幼い頃から優秀で俳句、碁、押花に秀でて周りの村人たちからも師と仰がれた。この地で弘化元年(1844)から明治5年(1872)まで28年間寺子屋の師匠を務め 多くの優秀な門下生を輩出した。この碑は明治28年に門弟等が六條新田津島神社と相対する筏川堤防の南側に建てた。

◎孝女曽與(そよ)
 享保13(1728)年、鳥ヶ地で生まれた曽與は、幼いときに母親と別れ父親に苦労して育てられたため、父親の有り難さを思い一生懸命働いた。酒を飲み生活の寂しさを忘れようとした父親を、曽與は哀れに思い孝養を尽くした。この話しは鳥ケ地に住む当時の作家「西川菊荘」により「孝女そよ伝」として安政7年(1778)に出版された。そよさんは71歳(1800)で亡くなったが、その後も善行は伝えられ明治から大正時代にかけて「修身」の教科書に載り全国的に広まった。十四山弥勒寺には孝女そよの墓がある。

◎二つお宮の松
 正保4年(1647)以降、東蜆を含む十四山地区の北部が新田開発され、村人の安全平穏と五穀豊穣を願い、それぞれの村々に神社が勧請された。承応3年(1654)にこの地区(東蜆)に山神社が勧請された。この山神社に植樹された松は、樹齢約360年以上と言われ、伊勢湾台風にも奇跡的に生き残った。向かい側に神明社があるので「二つお宮」と呼ばれている。 

◎烏の池(うのいけ)
 神戸新田が出来上がって50年ほどたったころ台風によって大きな澪(みお)ができた。できた澪の形が烏(う)の飛ぶ姿に似ていたからとも、鵜がたくさん飛んでくるから、などと誰からともなく「烏の池」と呼ばれてきた。海の中に堤防を築き新田開発してきたこの地域では 高潮や地震で堤防が切れて洪水になることが多く、堤防の切れた跡に澪と呼ばれる池が所々に残された。現在はほとんど埋め立てられてしまい、この「烏の池」が唯一の澪の跡です。