例 会 案 内
第64回ウォーク例会・開催要項 |
1.開催日時 平成28年10月1日(土) 9時~(15時) 3.コース等 伏屋駅→伏屋公園→正明寺→行雲寺→自性院→八屋孝女塚 5.その他 *雨天でも開催します。 *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。 *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全 健康管理は自己責任でお願いします。
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新 川 (長松橋付近) |
七宝焼き元祖の碑(生明寺) |
赤星神社 |
行雲寺 |
自性院 |
八屋孝女碑 |
庄内川水管橋 |
新川 (萱津橋付近) |
新川開削記念碑 |
小場塚弁財天(宮前公園) |
東海豪雨水害之碑(あし原公園) |
平田橋事件殉職記念碑 |
主な見所の説明
◎新川 愛知県名古屋市とその周辺を流れる庄内川水系の河川。江戸時代に開削された人工河川で、それまで庄内川に流れ込んでいた複数の川の水を名古屋西部からそらし、増水時には、新川洗堰を通じて庄内川の水を迂回させる目的で作られた。総工費40万両以上を費やし、天明7年(1787)に竣工した。延長27km。平成18年1月に特定都市河川に指定され新川洗堰とともに、愛知県が管理を受託している。 ◎行雲寺 もとは天台宗で、千手観音寺と号し、聖武天皇(724年~749年)の勅願寺であった。天平19年(747年)、命により右大臣藤原豊成が造営を行った。豊成の女が当寺山門にこもり写経をしたところから、この山門は閑籠門と呼ばれた。嘉禎元年(1235年)に岡崎の人本多左近尉政春が見真大師に帰依して、名を一音と号し、真宗に改宗、寺号も西光坊となり、さらに万治元年(1658年)には一音山行雲寺と改号した。応仁2年(1468年)に山門は焼失したが、現在の山門に閑籠門の額がかかっている。 ◎自性院 自性院は北野成願寺の支院。北野成願寺は行基の創設と言われ、源頼朝の妻北条政子の父である北条時政が、建久5年(1194)上洛の折、宿願成就を祈願し、翌年下向の際しばらく逗留し、堂塔を再建し、寺領を寄進したと伝えられる。他の3支院(成勝寺、新善光寺、楊柳寺)は廃絶し、自性院が残っている。自性院の山門には「成願寺」の額がかかっている。 ◎八屋孝女塚 八屋村に貧しくて3度の食事もままならない善立という修験道がいたが、2人の娘曽与(そよ)と久米(くめ)が孝養を尽くし、19歳と16歳で亡くなる。この善行を伝えるために、村人が塚を天明3年(1783)に建立した。碑文は尾張藩の漢学者須賀安貞が撰している。「尾張名所図会」に「八屋孝女の碑」ことが記されている。 ◎小場塚弁財天(市寸島社・宮前公園) 正式には市寸島社(いちきしましゃ)というが、地元の人は弁天神社、弁財天神社と呼んできた。 氏子が保管している「琵琶塚弁財天縁起版木」は、1179年(治承三年)に、太政大臣藤原師長と尾張井戸田の豪族・横江市の娘との悲劇について書かれており 嘉永七年(1854年)、市寸島神社(旧琵琶塚弁財天)の再建にあたり、神社の由来を琵琶悲恋物語とともに記述し、版行したもの。清須市指定文化財になっている。 ◎あし原公園 西区あし原町、街区公園0.61ha、開園は1982年。東海豪雨水害の記念碑がある。毎年9月11日早朝に「東海豪雨を語り継ぐ会」が追悼式をおこなっている。 ◎平田橋事件殉職記念碑 自由民権運動は1884年(明治17)の秩父事件で一応終息したが、一部の自由党員には全国的な蜂起を画策している者もいた。そのような状況下、愛知自由党の青年党員の中には、軍資金を集めるため高利貸しの家に押し入って金を強奪する者もいた。強盗は50数回に及び、その過程で名古屋近郊の平田橋で明治17年8月、警ら中の巡査二人が惨殺される事件が起きた。この事件をきっかけに20数名が検挙され、この一連の事件を名古屋事件と呼んでいる。この碑は殉職した警官を悼んで立てられたもの。 |